京都茶旅2015(3) 高山寺と明恵上人

高山寺

バスを下りると、そこは高山寺の裏門になっている。かなりの樹木に覆われている。観光客はほとんどいない。入山料500円を支払い、中へ入る。すぐに国宝、石水院が見えてくる。ここは明恵上人が禅堂とした場所で、後鳥羽天皇の学問所を移築したと書かれている。上人在住時代の唯一残っている建物。簡素な寝殿造りとなっている。しかし私には国宝はあまり興味がない。

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HPの紹介が面白い。『世界文化遺産、高山寺は京都市右京区栂尾(とがのお)にある古刹である。創建は奈良時代に遡るともいわれ、その後、神護寺の別院であったのが、建永元年(1206)明恵上人が後鳥羽上皇よりその寺域を賜り、名を高山寺として再興した。鳥獣人物戯画、日本最古の茶園として知られるが、デュークエイセスの唄「女ひとり」にも歌詞の中に登場しています。また、川端康成、白洲正子や河合隼雄の著書にも紹介されています』

 

こんな多彩な紹介がなされる寺も珍しい。何となくこの寺が他とはかなり違う、という印象を与えている。実際にそこに足を踏み込むと、どうみても寺院、という感じはない。山の中に、自然があり、自然の中に少しだけ人がいる気配がある、そんな場所である。本堂があり、鐘撞堂がある、という寺院建築とは見事にかけ離れていて、何とも面白い。紅葉のシーズンは観光客が列をなす混雑だというが、今はひっそりとしており、それがまたよい。

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擬人化された鳥や動物がコミカルに、しかし意味深く登場する鳥獣人物戯画には多くの関心が集まっているが、さて、私の関心の一つは、やはり何と言っても、『日本最古の茶園』であろう。しかしHPの説明は以下のようになっており、どう見てもここが最古の茶園ではないことは直ぐに分かる。それは先日訪れた佐賀の脊振山の石碑と相通じるものがあるようだ。

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『高山寺は日本ではじめて茶が作られた場所として知られる。栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を明恵につたえ、山内で植え育てたところ、修行の妨げとなる眠りを覚ます効果があるので衆僧にすすめたという。最古の茶園は清滝川の対岸、深瀬(ふかいぜ)三本木にあった。中世以来、栂尾の茶を本茶、それ以外を非茶と呼ぶ。「日本最古之茶園」碑が立つ現在の茶園は、もと高山寺の中心的僧房十無尽院(じゅうむじんいん)があった場所と考えられている』

 

囲いに覆われて園内。そこに入ることはできないが実に少ない面積の茶園がそこにあった。樹木に覆われ、いい傾斜の中にあるとは思ったが、茶樹は当然それほど古いとは感じられない。現在でも茶葉を摘み、茶を作っているのだから、当たり前であろうか。ここで興味深いのは最古かどうかではなく、栄西と明恵の関係ではないだろうか。大先輩栄西が、宋が帰国して、明恵に何かを伝えた。栄西は臨済宗を興して、後世の仏教界に名を留め、独自の宗派を作らなかった明恵の名は歴史の中に埋もれた。それは一体どういうことだろうか?

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白洲正子の『明恵上人』を読んでみると、この僧は華厳宗を信奉しており、法然を激しく批判し、また親鸞と匹敵するほど、当時の仏教界に大きな影響を与えた人物として語られている。私自身、明恵という名を歴史の教科書で見た記憶もなく、茶の歴史で初めて知ったのみだ。そして今年3月、和歌山へ行き、偶然にも明恵上人誕生の地を訪れ、更には高野山のK和尚からも、そのすごさを教えられ、その人となりを認識して、ようやく興味を持ったのである。

 

日本人で一体どれほどの人が明恵を知り、その行いを理解しているのだろうか。今回高山寺を訪れ、この自然の中の寺を見て、益々明恵に興味を覚えたのは偶然ではないだろう。日本の仏教はある意味で親鸞に始まる、とも言われている。確かに世界の仏教の中で、飲酒、妻帯など、日本のそれほど特異な存在はあるまい。明恵はそんな環境の中で、既存宗教に飽き足らず、激しい修行を自らに課し、自からの耳を切ったという。インドへの渡海も企て、承久の変で敗れた後鳥羽上皇に繋がる女人を助けたなど、その行動はかなりアグレッシブである。それにより、北条泰時と知り合い、彼が定めた画期的な『貞永式目』に大いなる影響を与えたようだ。明恵も元は武士の子、貴族社会から武家社会への流れを作ったのかもしれない。

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『仏陀の説いた戒律を重んじることこそ、その精神を受けつぐものである』と主張し、念仏仏教には批判的で、生涯にわたり戒律の護持と普及を身をもって実践した。昔から伝えられた教えを守り、原点回帰した僧侶であり、実は日本の仏教界では、一番重要な人物ではないだろうか。

 

更には河合隼雄の『明恵 夢に生きる』を読んで驚く。何と彼は19歳から死ぬ間際まで、夢日記を綴っていたというのだ。たかが夢、とバカにするものではない。明恵の見た夢は実にリアルであり、それが何かを暗示していることは明白だという。戒律を重んじることがどれほど難しく、葛藤のあるものか、ということを我々はこの夢日記を通して知ることができる。そこに人間としての明恵上人が感じられ、その教えに真実味が増している、とも言えるのではないだろうか。お茶のご縁で明恵上人を知り、そして高山寺を訪れる、それは素晴らしい出会いであった。

 

寺院内は参拝するというより、散策する感じだ。明恵の御廟も実にシンプル。開山堂という建物が見えるが、あれが本堂に当たるのだろうか。お寺は本来、人里から遠く離れない範囲の山にあり、俗世とは一線を画する場所にあるべきだが、まさにここは最適の場にも見える。1時間半ほど、思いを馳せながら、歩き回り、ある程度の満足を覚えたところで、次に向かう。

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