ミャンマー紀行2005(18)マンダレー また会いましょうおじさん

1月20日(木)

(4)朝

朝は5時台に起きる。今日はヤンゴンに戻る。飛行機の時間は9時半。既に辺りは明るくなっていたので、ちょっと散歩。SSも何とか起きて一緒に来てくれる。何しろ彼女は今回私のガイドである。そして今日はTAMが早くにタウンジーへ戻ってしまうので、責任重大なのである。

 

ホテルの近くにも古い建物がいくつか残っていた。しかし正直言ってあまり見るべきものはない。ここマンダレーは文化都市というより商業都市なのである。どうしても街が平面的になる。モスクが見える。朝から祈りを捧げている人々がいる。6時過ぎには食堂で朝食。食堂は電気が点いていないので暗い。そして誰もいない。TAMが別れを告げに来る。今回は3回目のミャンマーで初めて日程に文句を言った。あまりにも車に乗っている時間が多くて、私の旅が出来なかったからだが、その事はTAMをかなり傷つけたはずだ。

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TAMはこれに懲りずまた是非来て欲しい、と言っていた。余程気にしているらしい。しかし私は英語で上手く気持ちを伝えられなかった。悔いが残った。彼女は常に精一杯やってくれていた。それなのにこんな別れ方はない。しかし彼女と運転手は行ってしまった。次回再訪する以外このわだかまりを払拭する方法はない。トーストと目玉焼き、紅茶という定番朝食を食べて、急いで荷物を纏めてチェックアウト。ガイドSSが懸命にその役をこなしていた。

 

(5)空港で

前回は雨季で空港までの道が洪水で一部不通になっていて、かなり焦ったことを思い出す。今回は乾季ではあるが、タクシーを頼んで早めに出発する。何の混乱もなく、道も空いていてかなり早く到着してしまう。SSがチェックインカウンターに向かう。すると驚いたことに昨日オフィスにいた例の『また会いましょう』おじさんが制服を着て手続きをしているではないか。何と彼は空港のカウンター係も請け負っていたのだ。

 

おじさんは流暢な口調で『おはようございます』と言った。うーん、彼は日本語が分かっていたのだ。彼は翌日空港でまた会うことも分かっていたのでまた会いましょう、と言ってという訳だ。なるほど。

 

空港は広い。荷物を運ぶコンベアーもかなり遠くまで続いている。私はおじさんに釣られてつい荷物を預けてしまった。自分の荷物が運ばれていく、と思っていると突然電気が落ちる。停電となる。さすがミャンマー。ここからは急に手動となるが、日本の空港なら大騒ぎだろうが、ここでは皆慣れており、何の問題もない。

 

おじさんに手を振りながら『さようなら』と言うと何と彼は『また会いましょう』を繰り返した。どうなっているんだ?いつかまた出会えると言う意味か?仏教は一期一会ではないのか?ターミナルですることもなく過ごす。飛行機は定刻に呼び出しがあった。国内線で遅れないのは珍しい。ラッキー、と思って飛行機に近づくと、何とジェット機である。ミャンマーの国内線では初めて乗る。

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そしてラストサプライズ。あろうことか、例のあのおじさんが飛行機の横に立っていたのである。そしてあの笑顔で『また会いましたね』と言う。うーん、おじさんは荷物の積み込みもしていたのである。タラップの前でSSと記念写真を撮る。そして、そして飛行機に乗り込む我々に向かって『また会いましょう』である。

 

機内でSSと『彼は飛行機に乗っていてヤンゴンであのフレーズを言うのではないか?』と期待を込めて話していたが、流石にそれはなかった。しかしエアーバガンのCAは美人である。全員背が高く、モデルのようだ。カメラを向けると嫌がる様子もなく、にっこり。写真にも慣れている。

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いよいよ離陸である。あのふわっとした感覚がないのでいい、と思ったのだが、SSはそうではなかった。いきなり上空へ飛び上がったため、驚きのあまり体がかなり浮き、こちらに倒れそうになった。確かにそうなのだ。私でさえ、プロペラに慣れた為、そのスピードにはちょっと驚いたのだ。SSにとってはまさにジェットコースターに乗った気分であっただろう。

 

このフライトもヘーホー経由であった。しかし速い。10分ぐらいで着陸してしまった。そしてまた直ぐに飛び上がり、40分ほどでヤンゴンに到着。まさにあっと言う間。軽食が出たが、食べている暇がない。しかしこれが我々には普通だったはずである。慣れというものは恐ろしい。

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