ミャンマー紀行2005(15)メイミョウ 日本人の建てた家

TAMは私の心を見通していた。この話をすると直ぐにルート変更をOKした。そして善後策を練り始めた。今日はマンダレーに行き、明日のフライトでヤンゴンに戻る。その為にはヤンゴンのTTMにマンダレー→ヤンゴンのフライトを抑えさせる必要がある。SSは直ぐに連絡に走り回る。今ならネット予約さえ可能なミャンマーだが、この時点では、フライトを変更すること、突然新しくチケットを購入することはかなり労力のかかる作業であった。

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突然慌しい朝になる。しかし誰も文句を言わない。本当に申し訳ない気持ちになる。TAMなどは、我々とマンダレーで別れてからも、タウンジーまで乗ってきた車で戻らなければならない。今回はこちらが何も希望を述べず、全てTAMが計画を書いてくれたが、その通りことが運ばなかった。全くこちらの責任であるが、ガイドであるTAMは淡々と業務をこなしている。

 

そしてSSに呼ばれて行ってみると彼女は旧式の電話機に向かっていた。その電話機は何と箱に入って鍵がかかっていた。勝手に使われないようにしている。この時代、それ程電話を掛けるということは地元では貴重なことなのである。その貴重な電話を使って私のために皆が色々と面倒な作業をしている。本当に申し訳ない。

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SSはガローのウラミット氏に電話を掛けた。なかなか繋がらない。ようやく本人が電話に出た。私は申し訳ない気持ちで一杯になりながら、訪問出来ないことを伝えた。残念そうな声で、最近身体の調子が悪いことを氏は口にした。まさかもう会えないなどということはないと思うが、次回はいつになるのだろうか?

 

ウラミット氏は私がミャンマーを最初に訪れた際、日本とミャンマーの歴史を、第二次大戦の話を実話で教えてくれた恩人である。その貴重な話を聞く機会を逸したことにかなり狼狽しながら、計画を元に戻そうかと思った瞬間、何故か電話が切れてしまった。そしてSSの努力も空しく、その電話はもう2度と繋がらなかった。今回の旅がここで終わったような気がした。

 

(3)K氏宅訪問

9時になり、昨夜訪問できなかったK氏宅を訪問した。K氏は大阪出身の建築士。奥さんがミャンマーから日本に留学し、知り合ったという。年齢はかなり離れているが、仲の良いお似合いの夫婦である。K氏は数年前にここメイミョウにやってきた。ここにはイギリス時代の年代物の建物がたくさん存在しており、勉強になるという。建築士の仕事は何処でも出来るのでこちらに居を移し、Faxでのやり取りで、日本の仕事をこなしているらしい。

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既に還暦を過ぎたK氏であるが、今日訪ねた家は自ら設計し、自ら指揮を執って建築した。しかしここはミャンマー、いくら指示しても、なかなか思うように行かず、何回もやり直した。ミャンマー人を使って建築するのは相当の忍耐が要るし、第一に自分が欲しい資材一つ揃えるのも並大抵の苦労ではないという。

 

現地政府の役人と親しくすると色々と便宜が図られるが、それまでは大変だったようだ。この家が完成すると近所からこの家のような家を設計して欲しいと言う依頼がいくつか来た。向かいの家もK氏の設計だ。ミャンマーでも良いものは良い、ということであろう。しかし実際に家が建てられるのは、特権階級だけ。

 

最近はここメイミョウに中国系が多数現れ、不動産を買い漁っている。100年前のイギリス風の家が、それほど高くない値段で買える、それは彼らには魅力的だろう。だが古いだけに住むとなると、冬は寒いし、不便なことも多く、その環境は決して良いとは言えないそうだ。

 

その内K氏宅を見て、こんな家が欲しいと言い出す中国人も出てくるかもしれない。K氏の家はコテージ風。2階には小窓が3つ付いている。庭にはきれいな花が咲く花壇がある。3段になっている浄化槽も設置されており、自ら汚水処理をしている。家の中も暖炉のあるリビングがあり、ダイニングがあり、快適なキッチンも見え、戸外に竈がある。見ると外には地下水くみ上げ用の井戸もある。地下室もあり、自家発電機の横には梅干が漬けられている。

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家具もかなり凝っているが、全て材料を集め、地元の職人に作らせた。勿論最初はとんでもないしろ物?を作ってきたというが、粘り強く何度も教え、やり直しをさせて完成させた。やはり建築士であるK氏ならでは、である。職人のスキルも上がる、これは地元にとっても悪い話ではない。

 

K氏はメイミョウ唯一の登録した日本人。他に数人の日本人が滞在しているらしいが詳しくは分からない。中には戦後日本に戻らなかった元日本兵もいるかもしれないが?マンダレーでも日本人は少ない。日本食は手に入らないが、野菜は新鮮だし、奥さんも日本の味付けが出来るのでそれ程苦労はない。出されたクッキーが美味しい。メイミョウにはこういう洋風の菓子もあるという。

 

K夫人はヤンゴン生まれ、大阪に留学してK氏と知り合った。前回のミャンマー訪問時には、ヤンゴンで一緒の火鍋を食べた。非常にハキハキして活発な女性。この家の2階には瞑想部屋が作られている。殆ど日本人にしか見えないK夫人もやはりミャンマー人。瞑想は何より重要だという。1時間半ほどで失礼する。何だか不思議な気分。日本人にも色々な人がいるものである。

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