ミャンマー紀行2005(4)ビンダヤのサクラ

(3)ビンダヤのサクラ

我々は山に入っていった。TAMとSS、それに宿の男性が先頭を切って歩く。TAMの説明は実に明快。『1回目にビンダヤの山に登った時、1月にはサクラがきれいだといったら、是非来たいと言われたから無理にスケジュールに組み込んだ。今はサクラのベストシーズン』。私はそんな会話を全く覚えていない。TTMに聞いてもよく分からないわけだ。1回目はTAMと二人で旅立ったのだから。しかしほんの何気ない会話を1年以上覚えていて、今回の予定に組み込んでくれるとは、TAMという人は有り難いというか恐ろしい記憶力というか??

 

最初の急な坂を上り切ると少し広い山道となる。山から流れる小川が乾季で干上がり、近道になっている所もある。背の高い木が見えてくる。サクラの木もパラパラとある。そうか、日本でサクラの名所といえば、サクラの木が並木のように繋がっており、サクラ吹雪が舞う中を行く、またはお花見を木の下で行う、などが連想されたが、こちらはあくまでも山の中に疎らにピンクの花びらが見える程度。尚この道の名前は『サクラ街道』だそうだ。しかし本来野生のサクラとはこんなものではないだろうか?そしてこのサクラは一体どこから来たのだろうか?いや、日本のサクラはどこから来たのだろうか??日本の桜の原型もこの辺りから来たのだろうか?全く植物の知識のない私にはお手上げである。TAMも首を横に振る。

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先頭の男性はどんどん進んでいく。手にビニール袋を提げて、まるで街の中を飄々と歩いているようにしか見えない。SSは常に遅れ、TAMがサポートしているため、私は中間で一人、歩を進める。山の中は下界の暑さと違って、実に爽やか。いい時期に来た。男性とは言葉が通じないだろうと思っていたが、何と彼は英語が普通に話せた。しかし口数は少ない。

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途中で休憩した。TAMが腰に着けた袋から何か取り出し、皆に振舞う。恐る恐る手を出すと煎餅のような丸い形で中に豆が埋まっていた。食べてビックリ。まさに煎餅そのままだった。但し日本のように人工の塩気ではなく、微かに塩の味がする程度で、天然の食べ物といった感じがする。昔の日本の煎餅はこんな味だったのではなかろうか?実に素朴で美味い。

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この山の頂上まで行くには時間がないようだ。SSのせいかな?途中の見晴らしの良い場所からビンダヤの街を眺める。下に湖がはっきりと見える。また大きなお寺も見える。周りには相変わらず断続的にサクラの花も見える。美しいというより長閑な午後の日差しに和む。

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付近にお茶の木が見える。しかし既に老朽化していて、お茶が採れるのかなといった感じ。これが在来種というのだろうか?お茶はもっと山の上の方に若い木があるよ、若者が言ったが、今回は見ることが出来なかった。近くに洞窟があり、中には仏像が沢山置かれている。1999年に作られたばかりだそうで、新しいものだが、村人が積極的に仏像を寄贈している。こんな山の中に窟院があり、仏像がきれいに保存されている所が如何にもミャンマーらしい。

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山の中の村に差し掛かる。ここから迂回して山を下りるようだ。どこでも村に入るところには大きな木があったりして、入り口であることを告げている。日本で言う所の道祖神であろうか?子供達が珍しそうにやって来る。家は道から上に上がった所に有るようだ。カメラを向けると皆笑顔である。手を振る子もいる。幼い弟をおんぶする女の子を、思わず写真に撮る。この写真から忘れ去られた古きよき日本の原風景が蘇る。後で眺めても涙するほど、よく撮れていた。SSは疲れ果てて座り込む。都会の子と山の子はやはり違うようだ?

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シャン州の山の中は気持ちが良い。牛がいる。草を食べさせている。近くで焚き火をしている人もいる。乾季のせいか、家の修理をする為の木材を切り出している人々がいる。近づいていくと態々のこぎりを動かして見せてくれた。夕陽を浴びるサクラの花びら、が見えた場所もあった。ひっそりと咲く山の中のサクラ、何とも見方が変わるような風景だった。

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下界が近づく。学校から戻る子供達とすれ違う。TAMによればここから1-2時間掛けて帰るらしい。凄いことだ。毎日往復3-4時間掛けて学校に行く。しかも自分の足で。今の日本の子供にはそんな気概はないだろう。いやここの子供も特に気負っているわけではなく、極普通のこと、日常生活の一環なのであろう。それでも学校に行けることが幸せだという。

 

学校が見える。校庭ではサッカーに興じる男の子が見える。彼らはこの付近の村の子だろうか?山の子は日が暮れる前に家路に向かっていることだろう。これも貧富の差というのだろうか?そして誰が本当に幸せなのだろうか?我々日本人は大いに考える必要があると思う。 

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