ミャンマー紀行2003(16)ビンダヤ 山の茶農家で

茶の製造法については、摘む→天日干し→鍋で炒る→揉む。摘むのは1芯1葉と丁寧だが、年間12-15回も摘み採るとのことで、質が良いと言う訳にはいかない。老婆は炒る為の鍋などを示して説明していたが、突然竈に薪をくべ、マッチも無しにささくれ立った木の破片でサッと火をつけた。まるで魔法使いのようだ。そして薪に火が点くと、何と竹の筒で火を噴き始めた。そう、時代劇などで風呂を焚くときにやっているあれだ。これには恐れ入った。突然江戸時代が目の前に展開した。火をつけて暖めた鍋で老婆は何かを温めていた。それは何とポテトチップだった。これにも驚いた。かなり厚手ではあるが、正にポテトチップ。塩気が無いが、返って健康食品のようだ。なかなか美味しいし、お茶請けに良い。尚お茶は既にポットに入っているものが茶椀に注がれる。

ミャンマー2003 156

ミャンマー2003 159

ミャンマー2003 163

 

話を聞くと夫と2人暮らし。お茶は20年ぐらい前から始め、今では自分の畑で採れるお茶や野菜、果物で十分生活が出来るという。水は生活の知恵で雨水を溜める設備が庭にあるし、不自由は無いようだ。カメラを向けると『大きく引き伸ばして送って欲しい』と老婆が言う。勿論約束した。後でTAMにどうやって送るのか聞いたところ、自分のところに送れと言う。何時か行くこともあるだろうから。その時間の流れがこの辺りのスピードなのだろう。

ミャンマー2003 160

ミャンマー2003 164

 

家は2階建て。2階も広くてきれい。家具などはあまり無く、極めてシンプルな生活。先祖の祭壇だけが、目立つ。彼らはダヌーと言う民族。この辺りはダヌーの村で、20年以上前は『ケシ』の栽培を主業務としていたらしい。頭の良い民族でケシによって稼いだ資金を浪費せず、茶の栽培に切り替えた為、家々は立派なのだと言うが、恐らくは転作の補助金などももらったのだろう。

ミャンマー2003 165

 

1階の残りは倉庫。生産された茶葉が布袋に入って置かれている。小さなビニール袋1袋分の茶葉を分けて貰う。老婆は金を受け取ろうとしなかったが、TAMが無理やり500Kを渡す。外に出ると遠くから老夫がこちらを見ている。まるで『おじいさんが山へ芝刈りに行き、戻ってきた』といった感じ。

ミャンマー2003 175

ミャンマー2003 157

 

それから更に登って行くと数軒の家が見える。TAMはまたズカズカ入って行く。何処の家でも『茶を飲んでいけ』といった気楽な応対が嬉しい。おばあちゃんと孫の組み合わせが多い。赤ちゃんを抱いた母親もいる。皆外国人が闖入することはあまり無い様で驚いてはいるものの、気さくだ。ある老婆は言葉が通じないのも構わずしゃべり続ける。意味が分かるはずが無いのに、何となく頷いてしまう。不思議と心が通じる。

 

TEMは先程ポテトチップに興味を持った私を、ガイドとして何とか満足させようと製造現場を探す。漸くかなり上の方で作っていることが分かり向かう。その頃には上り坂が辛いなどとは思わなくなっているから不思議だ。農家の納屋に入ると老婆と12-3歳の女の子が並べられたチップをひっくり返していた。その下では薪が焚かれており、韓国のオンドルのような仕組みでチップをゆっくり乾燥させていることが分かる。

ミャンマー2003 168

 

ポテトチップの単価は茶葉の2倍はするとのことで、最近この辺りでは多くの農家が切り替えている。しかしTAMに寄れば、単価は高いが、薪の費用なども馬鹿にならず、最終的な儲けが茶を上回るかどうかは疑問とのこと。兎に角ゆっくりとではあるが、着実に変化しているこの村は面白い。村の名をジーリンゴ村という。

 

下りは楽かというとそうとも言えない。村の子供が数人追いかけてきて、我々の先回りをする。かなりすばしこい。TAMも山育ちとは言えず、結構時間が掛かる。しかし道を下る途中に見える下界は素晴らしい。田園風景が見事に広がる。登ってくる女性たちも絵になっている。この風景を是非自分の子供たちに見せたいと思う。女性達が道脇で何かを探している。見るとサンダルを取り出した。平地はぬかるみが多く、下駄を履くが山道は別のサンダルとなるため、岩陰に隠しているようだ。微笑ましい。

ミャンマー2003 173

 

(7)洞窟寺院

下り切ると、ちょっと場違いな建物がある。洞窟寺院である。何と立派な建物でエレベーターが見える。今原始的な風景に感激した身としては、あまり興味をそそられない。入り口で靴を脱ぎ、エレベーターに乗る。かなりの高さがある。到着すると橋が架かっている。高所恐怖症には辛いが、景色は良いようだ。

FEC3を払い中へ。合計8,000体の仏像が洞窟に安置されている。これは圧巻だ。この洞窟は2億7千年前に出来たと言われる天然の物で、よくぞこの自然のカーブに合わせて大小の仏像を安置したものだと思う。かなり高いところまである。どうやって安置し、どうやって手入れしてきたのだろう?

 

洞窟内はかなり湿り気があり、足を滑らすほど。仏像と仏像の間を擦り抜けかなり細々と入り組んだ道を進む。仏像の前にプレートが置かれているものがある。ミャンマー語は全く読めないが、中には英語で名前が書かれている。どうやら寄付金を払い、仏像に金箔を施すなどした者の名が書かれているのである。西洋人の名前が多いが、香港人やシンガポール人の名前も見られる。信心深い人が多いのか、西洋人は記念の為か?ドナーは自分の気に入った仏像を選んで寄付するらしい。私もやってみたい誘惑に駆られたが、どう見ても信心など無い人間が寄付するといっても、TAMは許さないような気がして止めた。

 

洞窟はかなり奥まで続いている。それぞれに謂れがあるようで、西洋人の団体はガイドの説明に聞き入っている。願うだけで望みが叶うパゴダ、などと言うのもある。一番奥にもパゴダがあり、後は行き止まり。但し実際にはこの奥もまだあるようだ。かなり狭い穴が続いているが、人間は窒息の恐れがあるとのことで、犬を放ったが、終に戻らなかったとの話がある。何となく秘密の抜け穴があるような気がするが、戦乱が続いた場所なのだろうか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です