ミャンマー紀行2003(14)ビンダヤ 山の学校に思う

(3)フーピンホテル

本日の宿はニャゥンシェのフーピンホテル。フーピンホテルとは湖濱賓館のことで、どう見ても中国系である。オーナーと思しきおばさん姉妹は顔がそっくりであり、その顔はどう見ても中国系である。彼女たちの父が設立し、今は母親のみが健在でその娘2人が仕切っていると言った感じ。英語は流暢で、日本語も話す。このホテルの設備は今1つであり、これでUS$30は高い印象がある。しかし何となく、中国系のせいか居心地は悪くない。夕食もS氏の推薦がありホテルで予約して食べる。相変わらず美味いが量が途轍もなく多い。TAMと2人では食べきれるわけが無い。

 

隣に日本人の夫婦2組がガイドと一緒に食事をしている。今日の旅が満足だったようで上機嫌である。食事中2回ほど停電があった。この辺では普通のようで皆慣れており、蝋燭が運ばれる。これも風情があるなと思っていたら、3回目の停電は故意であった。何と隣の1人が誕生日でホテル側がバースデーケーキを出したのだ。そのユーモアのあること、なかかな気に入ってしまった。

 

食事が終わると裏でショーをやっていると言う。どうやら西洋人の団体が予約したものだが、地元の人も含めて金も払わず見ているのが、何とも微笑ましい。TAMなどは見飽きているのか何処かへ行ってしまう。出し物は女性の踊りが数種類あり、その合間に京劇の一説や曲芸などがある。獅子舞の獅子が象になっている出し物では、チップを拾い上げる芸を披露しようにも西洋人が理解してくれず、芸人が困っていたのでチップを出そうとしたところ、例の誕生日のおばさんがさっと100K札を置いたのは流石日本人。だが西洋人がそれを理解したときには次の出し物に代わってしまった。最後は皆で踊りましょう、と座長が客席から客を引き出している。私のところに来たその瞬間、また停電となり、お開きとなった。

 

それでもまだ8時である。TAMが散歩しようというので、外に出る。所々に明かりがあり、お茶を飲んだり、食べたりしているようだが、やはり暗い。その代り空を見上げると一面に星が輝く。久しぶりに空を見上げた、星を見た。最近は心に余裕が無かったのかな、と反省する。それにしてもこの田舎町の星空は見事である。東京でプラネタリウムを見た時より遥かに迫力がある。この夜空を是非子供たちに見せたいと思う。本当の自然と向き合う機会はこういう所にでもこないとないのだから。シャワーを浴びると、熱いお湯が日焼けに沁みた。

 

8月21日(木)

翌朝も6時過ぎに起きると既に外は何となく賑やか。下に降りてみるとまるで炊き出しのよう。台湾人の団体が托鉢への施しを行う為、外にテーブルを出し、僧を待っていた。その向こうを見るとこのホテルの母屋のような建物の前で老婆がやはり炊飯器を出して、佇んでいる。どうやらこのホテルのオーナーなのだろう。恐らく毎日こうして佇んでいる、これがミャンマーの宗教というもの。僧達は十数人でやってきた。小坊主もいる。皆壺を持って中にご飯とおかずを入れてもらっている。台湾人は一生懸命に施しを行っている。日本の仏教はどうなっているのだろうか?私はただの観光客となり、呆然と見ているだけだった。

ミャンマー2003 141

 

(4)山の学校

朝食も豪勢でお粥、目玉焼き、パン、ミャンマー料理とまた食べきれないほど出てきた。残念ながら大量に残して、ホテルを後にする羽目になる。今日は今回のミャンマー旅行のハイライト、茶畑へ向かう。茶農家に果たしていけるのか?車は昨日の道を逆戻りし、途中からビンダヤへ向かう。道の途中に検問所があり、料金を払っている。これまでヤンゴンでも見たことが無かった有料道路は何を意味しているか?

ミャンマー2003 142

 

途中に山の学校があった。丁度TAMとミャンマーの教育について、話していた時だ。突然TAMが『そこの学校を見ていきましょう』と言うではないか。山の中の道の端に校庭が広がり、奥に平屋の木造校舎が見える。一目見てどうしても見てみたくなる、それはまさに『山の学校』のイメージそのままだった。もし校舎から蛍の光が聞こえてくれば、そのまま山田洋二監督の世界ではないだろうか。

 

夜中に雨が降ったのか道端には泥濘があり、下りて行く場所はなかなか難しい。校門も無い。そのまま校庭、全くのオープンスペース。校庭には遊具なども一つとして無い。ただ地面が広がっているだけ。ここでは子供が自ら遊びを想像する空間がある。昔の日本もこうだったはずだ。

ミャンマー2003 143

 

校舎は高床式。廊下はミシミシ音がする。授業に邪魔にならないようにそっと歩く。懐かしい感触で、思わず雑巾掛けがしたくなる。そして何より教室から大きな声で英語・ミャンマー語が聞こえてくる。まるで声の大きさを競っているよう。その元気だ、今の日本の子供に必要なのは。幼稚園から中学生まで、5つほどの教室の分かれて懸命に勉強している。ミャンマーでは、特に田舎では学校に行けない子供のほうが多いと聞く。彼らは学校に行けることがどれほど幸せであるかを知っている。自分の子供たちにも是非とも伝えなければならない、そんな光景がここにあった。

 

S氏によれば、ミャンマーの田舎で学校を建てるのには日本円で100万円もあれば出来るという。実際日本人で寄付をして学校を建てた人もいるという。私が学校を建てたいと言ったら、それはエゴであろうか??

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です