ミャンマー紀行2003(12)ヘーホー 生きているパゴダ

5.シャン州
(1)ヘーホーへ

TTに別れを告げて、パガン空港内へ。今回は昨日の経験があったので、慌てることも無い。順調に飛び立ち、30分ほどでマンダレー着。ここで3人の乗客を残して全員が降りてしまう。客室乗務員の男女2人ずつと合わせて7人が機内に取り残された。こんな経験も初めてだ。取り敢えず大人しく待っていたが、誰も乗ってこないし、出発するというアナウンスもない。仕方なく、いや好奇心で飛行機から外に降りてみる。こんなことも普通なら無いこと。

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飛行場の周りを見渡してみても、本当に何も無い。ただ良い天気が続いている。マンダレー空港は最近新しく出来たばかりとかで、ヤンゴンの小さな空港より余程国際空港らしいと聞いていたが、確かに建物は多少立派であり、滑走路もきれいに見える。しかしなぜここに停まったのか。

 

マンダレーはミャンマー最後の王朝があった場所で、現在でもヤンゴンに次ぐ第二の都市。また商業の中心地としても有名で、茶葉の集積地でもあるという。近年は雲南省から陸路つたいに、または空路チェンマイあたりから流れ込む中国商人が多く、投資も活発で、街は急速に中国化しているとのこと。空港が新しくなったのもそうした商業的な勢いのお陰のようだ。

 

40分ほど待っていたら、漸く乗客が乗り込んできて、出発した。ほぼ満席になる。因みに席は自由。最初のヤンゴンーパガン区間だけは指定されているが、後はいい加減なものだ。また台湾人の団体が乗り込んできた。どうやらミャンマー旅行は台湾でブームなのではないかと思う。

 

僅か30分ほどでヘーホー空港に着陸。ここはマンダレー以上に本当に何も無い。周りはパガンと異なり、畑と田んぼのみ。小さなターミナルに入ると行き成り男性が声を掛けてきた。私の名前と今日のガイドの名前を知っていたので、彼の指示に従う。後で分かったことにはこの空港ではガイドが空港内に入れないため、ガイドは空港職員に案内を頼むのだという。

 

空港の門の所にその女性は立って待っていた。名前はティンエーマー(以下TAM)。非常に小柄で、頬っぺたが日焼けしている。可愛らしくてまるでアルプスの少女ハイジだ。彼女はS氏が以前農業調査でシャン州を訪れた際、知り合った非常に優秀な女性ガイドだと聞いている。

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彼女に促されて、車のある場所まで歩く。並木道である。とても気持ちの良い風が吹きぬけていく。心が何故かホッとするような道である。『朝まで雨でしたから』とTEMは言う。雨季であるこの季節にシャン州で雨に逢わないことは大変な幸運であるらしい。この道から見える建物は以前の空港ターミナルであるが、1942年に日本軍が建設したものと聞いて驚く。

 

(2)インレー湖

車はしばらくは田んぼの間を行き、やがて山道を走る。途中で鉄道の線路の横を通る。この鉄道はパガンとタウンジーの間を走る線であるが、ヤンゴンからだとターズィ乗り換えとなるため、かなり不便であり、皆バスを使うという。バスでもヤンゴンータウンジーは17-8時間を要するらしい。我々の車の前をヤンゴンからのバスが走っていたが、TAMの話では、この時間にここを走っているということは数時間遅れているとのこと。我々は飛行機で簡単にやってくるが、地元の人々にとってヤンゴンはとんでもなく遠いところなのである。

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ローカルバスも走っている。日本でいうところのバスには大抵ドアが無く、一回り小さい1トントラックの少し大きいやつは、後ろの乗り込み口に大抵何人かの若者がぶら下っている。あの状態のままこの悪路を何時間もぶら下っていたら、私なら振り落とされて、死んでしまいそうだ。この辺り、殆ど車が走っていない。ミャンマーの地方ではまだ車両が大幅に不足している。

 

我々は1時間ほどして、目的地のニャウンシェに近づく。ここはインレー湖の玄関口であるが、やはり回りは田んぼである。TAMが車を停める。見るとパゴダがある。パゴダは昨日山ほど見たと言おうとしたが、そこはシュエヤンウェ僧院という19世紀に建てられた木造の僧院であり、多くの小坊主が共同生活をしていた。正に日本でいう畳一畳の生活空間だ。彼らは丁度ご飯を食べた後のようで皆寛いでいたが、中には5-6歳の子もいて、朝は托鉢、その後勉強、午後は自習が課せられているという。TAMによれば、この辺りで食べる物に困った家の男の子はここに引き取られ、育てられるという。『これがミャンマーです』と彼女は誇るでもなく、悲しむでもなく、淡々と解説する。ミャンマーのセーフティネットである。

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隣のパゴダには、数百体の非常に小さな仏像が、建物の回廊の壁に開けられた小さな穴に納められている。窓には西洋式の飾り窓があり、1870年代には既に西洋の影響を受けていたことがよく分かる。ミャンマー最後の王ティボーの時代に建立されたこのパゴダを見れば、マンダレーでパゴダを見る必要はないとのこと。シャン州にも多くの歴史がありそうだ。

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