ミャンマー紀行2003(7)ヤンゴン ストランドホテルに圧倒される

(13)ダウンタウン
その後ヤンゴン最大の市場、ボージョーマーケットに行く。かなり大きな建物の中には多くの店がある。今日は月曜日で休みの店が多く、雨が降り出したせいもあり人通りは少ない。我々は英国伝統の手芸品『タッチィング』のショールを見る。買うつもりなど無かったが、非常に見事な細かい刺繍を見て、思わず買ってしまう。8,000K。S氏によれば、これは見る人が見ればお値打ち物だそうだ。家内にあげると非常に喜んでいた。

 

このマーケットには、貴金属を売る店、ロンジーなどの衣類を売る店、みやげ物を売る店等等、多彩な店が並ぶ。但し人通りが少なく活気は無い。尼さんや小坊主が托鉢に歩いているのが目立つ。ミャンマーの尼さんの服装がピンク色なのが不思議。でもなぜ午後に托鉢?

 

郵便を出す為に中央郵便局へ。ヤンゴン川沿いの古い大通りの中央にある古めかしい建物。TTMについて行くと、建物の中は非常にレトロ。大きな扇風機が天井で回る。入り口で年代物のタイプライターが打たれる(このタイプライターは骨董屋に持って行きたいほど年季が入っていた)。但し非常に暗い。単に停電だったのだが、最初は凄い雰囲気に圧倒された。手紙一つ出すのに、窓口を盥回しされるのは昔の中国並み。それでもEMSの表示があり、国内なら2-3日以内に着くなど、スピードはあるようだ(EMSの中身は全てチェックされる)。

 

郵便局の隣に100年の歴史を誇るストランドホテルがある。要はイギリスが19世紀にヤンゴンを占領後、川沿いに主要な建物を建設したのだ。これはシンガポール、マレーシア、香港でも同様。香港のペニンシュラーホテルの兄分に当たる。これもまた由緒正しそうな建物。中に入るとビックリ。非常にきれいに整えられている。これまでどこに行くにも短パン、サンダルで問題なかったが、ここだけはかなり恥かしい。

Myanmar2005b 188m

 

幸いロビーに人影は無かったが、上品そうな受付嬢が立ち上がりニッコリしながら近づいてくる。『ここに泊まりませんか?』パンプレットを見て驚く。何と2泊すれば1泊US$300だそうだ。勿論夕食、朝食、アフターヌーンティーなどが付いているが、それにしても高い。途轍もなく高い。夢を見ているのかと思った。何しろ今泊まっているホテルがFEC20、日航ホテルでもFEC45である。この国ではUS$1で一日家族が暮らせる。1泊が1年分か??一体誰が泊まるのか?『ヤンゴンの地図は無いか?』と聞いてみると、ニッコリして出してくれる。これは深夜特急の香港編のペニンシュラーホテルで地図をせしめる場面を再現。イギリスは良いホテルを残すものだ。

 

ストランドホテルに圧倒されたので、ついでにもう1つ立派なホテルを見ることにする。パンシーホテルは街中にありながら、静寂が保たれている素晴らしい空間。100年前の建物を移築した客室もあり、如何にも西洋人が好みそうなコロニアル風リゾート。全てがチーク材で出来ている感じで、落ち着きがある。南国の大人のリゾート。ヤンゴンでは考えられない。プールも静かな雰囲気でとても子供などは入れない。木の葉が微かに水面に落ち、実に風情がある。雨が降り、更に雰囲気を盛り上げる。プールに面した通路でゆったりとお茶を飲む。紅茶がFEC3。聞けばこのホテルは1泊US$120程度とか。次回泊まって見たいところである。

ミャンマー2003 104

 

(14)夕食

夕食はS氏のマレーシア人の友人、T氏夫妻とタイレストラン『サバイ サバイ』へ。TTM、SSも同行。きれいな内装のレストランで、メニューが豊富。それ程辛い物は注文されず食べ易い。T氏はマレーシアのコタバル出身、8年前ヤンゴンに来て、商売を始め、シャン州出身の奥さんと結婚。年齢は私と変わらないが、奥さんは相当に若い。どこで見つけたんだろうか?

 

S氏とT氏は専ら禁止となったドル決済の行方をマレー語で話し合っている。S氏がこれ程マレー語を話せることを初めて知る。なかなか奥の深い人物である。TTMとSSは大人しく食べている。T氏夫人はシャン州の話題などをしてくれる。彼女の実家はガロウに別荘があるそうで、相当のお金持ちのお嬢さんのようだ。T氏からはコタバルの良さを説明され、一度訪問してみようと思った。

 

今日も1日、かなり充実したヤンゴン見物ができた。色々なものを目にしたが、時間はあっと言う間に過ぎていった。さあ愈々明日はヤンゴンを離れ、パガンに出発。緊張感は無いが、気持ちは盛り上がる。ミャンマーの地方都市は一体どうなっているのだろうか。楽しみだ。

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