ミャンマー紀行2003(6)ヤンゴン 日本人墓地

(11)日本人墓地
TTMの案内で日本人墓地へ行く。場所は空港よりちょっと北側、市内から車で小1時間かかった。途中で花を買う。TTMは知り合いの日本人の墓に献花する花を用意したのだが、私が払おうとすると『自分で買わないと意味が無い』という。このあたりにミャンマーを感じる。この日本人はミャンマーで農業を発展させようと日本の技術を持ち込み、様々な活動していたが、残念ながら夢半ばの51歳で亡くなり、本人の遺言でヤンゴンに葬られたという。

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TTMの実家は実はこの墓の直ぐ近くにあると聞いたので、折角来たのだから、寄っていくか、と尋ねると今は勤務中だから行かない、との答え。そうか、私のアテンドは彼女にとっては仕事なんだ。何とも生真面目な女性だ。彼女は大学卒業後JICAに勤めた経験があり、80年代に農業プロジェクトの関係で日本での研修も予定されていたが、丁度軍事政権のクーデターとぶつかってしまい、全ての夢が消えたという。この話を日本人墓地で聞くとここに眠る19万人の戦没者の心境と重なるものがあるような気がした。尚JICAから派遣された11名が、1978年に飛行機事故に遭い、ヤンゴンで亡くなったとの慰霊碑も建てられている。

 

墓地は数年前にきれいにされたとかで、良く整っていた。真ん中に献花塔があり、周りに戦没者関連の碑がいくつか建っている。なぜか杉良太郎が建てた記念碑なども在る。墓地にはミャンマー人管理人もおり、線香などは用意してくれる。記帳するノートもあり、それを見ると、観光客に混じり、戦中ミャンマーで従軍した元兵士、その家族、遺族、何故か国会議員の名前などもある。

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S氏によれば、数年前までここは荒れ果てており、心ある日本人が日本政府に働きかけた結果、大使館も動き出して、現在のように整備されたとのこと。戦後58年、日本政府はあの無謀なインパール作戦を実行した責任を再度考え直すべきである。全てを当時の軍部の責任とするのは、少し無理があるように思う。

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(12)昼食
事務所に戻るとSSは大学に出かける所であった。昨日夕食を共にしたSさんはPCが動かなくなったらしく、道具を借りに来ていた。愛犬パトラッシュ(?)はとても元気で直ぐに私のところに来て構ってくれと催促していた。机の上に乗ったり、じゃれついたり、まるで人間のように、愉快な犬だ。

 

TTMがSSの弁当の味見をしないかという。何と料理はSS自身がしたという。興味津々で台所に行って見るとマッシュルームと空心菜がニンニクで炒められていた。一口食べるとマッシュルームが柔らかく、これがあっさりしていて、実にいい味を出していた。今日のお昼はこれだと決めて、思いっきり食べ始める。エビも美味く煮付けられており、ご飯と一緒に食べたくなる。ところがTTMは節目がちに『そんなに食べてはいけません』という。何とそれは弁当の残り物ではなく、門番のおじさんの昼飯だったのだ。穴があったら入りたい心境になった。それにしても、20歳でこれほど美味しい料理が出来るSSをかなり見直した。

 

それからまた出かけた。S氏とTTMと3人で、タイ航空のオフィスに行き、帰りのフライトのリコンファームをする。80年代の中国同様、当然電話では出来ず、チケットを直接持って行く。オフィスはダウンタウンのサクラタワーという日系企業が建てたビルの1階にあった。このオフィスビル、日系企業の事務所が入居しているようだが、日本人は既に引き上げており、現地スタッフを残し、看板だけというところも多いと聞く。タイ航空は思ったよりきれいで、PCによる管理もきちんとなされており、80年代の中国とは違っていた。お客は殆ど居ないので、直ぐに終わる。この界隈は外国人が多いようで、ちょっと歩くと英語で話しかけられる。『チェンジマネー?』という懐かしい言葉を聞くと、在りし日の上海を思い出す。

 

お昼はアジアホテルの中華レストラン『海外天(Overseas)』となった。またまた空心菜の炒め物が美味しい。S氏はここにFish Head Curryを食べにやってきたという。この料理はシンガポール、マレーシアでよくあるもので、鯛の頭をカレーで煮込んだもの、かぶと煮か。インドと中国の夢のコラボ、というところだろうか。久しぶりに食べたが、これは実にコクがあり、特にミャンマーのご飯と合うのだろうか?いくらでも食べられる感じがした。

 

このレストランの客には、大陸から来たと見られる中国人がかなりいた。中には昼から大声で話し、白酒を飲んでいる者まで居る。白酒を飲んでいる人々の中国語の発音はどう見ても中国北部の人間のそれだった。資源関係か?国有企業の社員か?ミャンマーに対する中国の影響力が徐々に大きくなり、最近は米国の経済制裁の影響でインドと中国がミャンマーに手を差し伸べて来ると聞く。特に中国雲南省は地続きであり、経済的にもかなり緊密な関係にある。

 

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