ミャンマー紀行2003(1)初めてのミャンマーへ

《ミャンマー紀行2003》  〈2003年8月の旅〉

  1. ミャンマー行きの理由

上海に留学していた頃、西洋人がよく『バンコックに行ったついでにビルマに行ってきた』と言うのを聞いて、たまげたものだった。我々日本人にはビルマは遠い国で決してタイのついでに行く国ではない。『ビルマには素晴らしい遺跡もあれば、きれいなビーチもある』と言われても、俄かには信じられなかった。

 

確かミャンマーに初めて行きたいと思ったのは、1996年の正月、何の理由も無くカンボジアのプノンペンに2泊3日の旅行に行った時だったと記憶している。だがやはり行きたい理由は何も無かったと思う。ただ1週間前に突然カンボジア行きを決めたため、一番の観光地アンコールワットに行けなかった悔しさが少しあったからかもしれない。既に1988年にインドネシアのボルブドールを訪れていたため、世界の3大仏教遺跡のもう一つがミャンマーのパガンだということだけは知っていた。それだけあれば、理由が出来た。行こう、と思ったが、3月には転勤で東京に戻ってしまった。

 

その後ミャンマーのことはすっかり忘れていた。東京でも北京でも先ず思い出すことは無かった。それが香港に戻り、中国茶の勉強をしていると『中国茶の原木は雲南省、更に原木はミャンマーに在る』などという記述が目に入ってくる。そうだ、ミャンマーだ。行く理由はいくらでもあるのだ。あとはどうやって行くか、ツテだな。

 

  1. 香港でビザ取得

7月に航空券を押さえた。そこで旅行会社にビザの取得を尋ねると自分で取ってくれと言われ、ミャンマー領事館の電話番号を教わる。恐る恐る電話すると『会社からレターを貰って来て下さい』と言う。休暇なのに何故?どうやら本当に休暇なのか確認するためらしい。『レターが無いとどうなるの?』と聞くと、『何時ビザが出るか分かりません』とのつれない回答。これでは、まるで80年代の中国だ。そう言えば、色々と情報を下さり、今回の旅行のアレンジをして下さるS氏に話しを聞いていると、大体ミャンマーは80年代の中国に間違いは無い、と確信出来た。

 

ビザが無くては行けないので、直接香港の領事館へ出向く。以前は中国でも埒が明かないものは直接交渉するに限った。緊張して訪れると、お客は誰もいない。受付で申請書を出すと、『レターは?』と聞かれる。勿論会社にそんなレターを書いてもらう気はなく、無い旨を伝えると会社の名刺を出せと。担当は名刺を一瞥し、2時間後に取りに来いとだけ早口で言った。拍子抜けした。観光ビザは3ヶ月以内の入国で、滞在は4週間まで。最近はスーチーさん問題で米国が経済制裁を行い、日本のODAも止まっていることから、何時ビザが出なくならないとも限らないと聞いていたので、その日の内に入手でき、一応滑り出しは上々だ。

 

8月16日(土)

  1. ヤンゴン

(1)空港
いつもの事だが、何の準備も無しに8月16日(土)にミャンマーに向けて出発した。香港―ヤンゴンの直行便は無く、タイ航空のバンコック経由で行く。香港発14時10分、バンコック着15時50分(時差1時間)、18時バンコック発、18時45分ヤンゴン着。タイ、ミャンマーの時差は30分。時差が30分と言うのはあまり聞いたことが無いが、何となく両国の微妙な関係が感じられる。

 

バンコックからのフライトは、7割程度の乗客だったが、後ろにイギリスの大学生の団体(スポーツチーム)が乗っていなければ、半分以下といった感じだった。前の方の席に欧米人を乗せているのが、髪の毛の色を見れば一目で分かる。外国人は休暇といった感じのカップルが多い。飛行機はあまり緊張する間も無く、ヤンゴン空港に着陸してしまう。暗くて空港の周りがどうなっているのか良く見えない。タラップを降りるとバスが来ている。見ると日本の中古車で『京都市営バス』と書かれており、まさかここで日本に会えるとは、と驚く。

周りを見渡したが、軍用機などは見えない。軍事政権なので当然あるものと思っていたが?後で聞くとヤンゴン郊外に軍専用の飛行場があるようだ。(中国では80年代時折軍用機が飛行場の隅に停まっていたのを思い出す)バスを降りると古ぼけた建物があり、入るとやけに小さいカウンターがある。係員にパスポートを差し出すと『SARS、SARS』と言っている。健康カードを出すと、突然看護士姿の女性が私の耳を目掛けて、体温計を突き刺してきた。何とSARS騒ぎが過ぎて既に2-3ヶ月は経っているが、手動で体温を測っているのだ。見ると私に使った体温計を何の躊躇も無く、次の欧米人に当てている。かろうじて外国人とミャンマー人は分けているようだが、果たしてこの国に衛生概念はあるのだろうか?

 

イミグレーションのボックスには3人の女性が座り、役割分担があるらしく、一人一人がパスポートとビザを確認している。それでも昔の中国のように入国に30分も1時間もかかることは無く、あっと言う間にイミグレを抜ける。さあ愈々悪名高き強制両替かと辺りを見渡したが、銀行の看板はあるが、誰も声を掛けてこない。預けた荷物も無く、税関の前に到着してしまう。税関職員に申告書を出すと一瞬にしてOKが出た。

 

何処から出るか探していると、出口のおじさんはドアを開けずにちょっと待てと言う。当然両替をしていないので留められたと思ったが、どうやら私が一番先に到着してしまい、後続を確認していた模様で、もう一人来ると直ぐ開放された。S氏は空港に迎えに着てくれると言っていたが、姿が見えない。これは困ったと思いながらも、案外楽しんでいる自分を発見。出迎えゲートでは多くの迎えが来ている。かなり暗い照明でなかなかS氏が見つからない。漸く端から端まで行った所で、S氏の後姿を発見し、声を掛けると本当に驚いた様子で『何でこんなに早いの?』と聞かれる。

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