フラフラと沖縄2015(8)那覇でミャンマー料理を

壺屋やちむん

宿の外にこの宿を予約してくれたIさんが来てくれた。彼女の家からかなり近いらしい。本当は夕飯を一緒にする予定だったが、お子さんの具合が悪くなり、急遽お茶に変更した。彼女は宿の横の高校出身だと言ったが、コバルト荘については知らなかった。そして何となく雨も止み、歩いて、公設市場の方へ向かう。そしてなぜか吸い込まれるように壺屋焼き物博物館へ。

DSCN3384m

 

先ほど行った読谷やちむんの歴史などを確認するにはちょうどよい施設だった。秀吉の朝鮮出兵後、様々な動きがあり、沖縄にも焼き物が本格的にもたらされたと考えられる。何と音声ガイドの中に、『うちなーぐち(沖縄方言)』というのがあり、沖縄出身のIさんが聞いてみたが、殆どわからないそうだ。

 

それから博物館のすぐ近くの喫茶店に入る。南窯と書かれた表示があり、ここに窯があるようだ。今は使っているのだろうか。この店も焼き物などを売る傍ら、喫茶もやっているので、かなり落ち着いた雰囲気が良い。雨が強くなる。Iさんは観光業などをやっていたが、最近は勤めを始めたという。ゴルフをやらないのに、ゴルフクラブの関係だというから、面白い。

DSCN3385m

 

外に出ると雨が強くなり、慌てて傘を買う。何と200円だというのでそのビニール傘を買ったが、5分もしないうちに止んでしまい、何となく騙された気分になる。勿論傘にではなく、雨にだが。次の目的地は栄町市場。前回も訪れたこの市場、公設市場とは違い、何ともローカル色が強い。午後5時台で既に酔っ払っている人がふらふら歩いている。行列のできている店の前はかなり賑やかだ。今晩はここにあるミャンマー料理店へ向かう。

DSCN3391m

 

那覇のミャンマー料理屋

昨年5月、突如Nさんに誘われて乱入した沖縄ミャンマー人の会、その時出された料理が美味しく、このロイヤルミャンマーに足を運ぶことにした。実はこのお店は、ミャンマーに作った学校の支援をしているという。私は昨年8月にこの学校を訪問しており、いい勉強をさせてもらった。その報告もしたかった。

 

 DSCN3392m

 

6時前にお店に着くと、開店準備中だった。奥さんのチョチョカイさんは、ちょうど今日から仕事でミャンマーへ行ってしまって会えなかった。店にいたご主人と少し話す。開店して2年、何とか軌道に乗っているという。お店に少しずつ客が入ってくる。常連の人が多いようだ。ミャンマーでビジネスをしている人もいた。お店ではミャンマーのグッズも販売しており、この収益金も学校支援になるようだ。学校にいた子供たちの笑顔が少しだけチラつく。

DSCN3395m

 

今晩は過去2年会っている沖縄舞踊家のKさんと、先日バンコックのゲストハウスで知り合ったTさんとここで待ち合わせしていた。だが、2人とも全然来る気配がない。実はネットには、遅れる旨の連絡が入っていたのだが、全く見ていなかったのだ。いや今回は東京に寄らなかったため、ポケットWi-Fiも用意しておらず、見ることが出来なかった。何とも困ることが多い。ようやく1時間後にKさんが現れ、モヒンガーやカレーを食べ始めた。やはり美味しい。ご飯がどんどん進む。

DSCN3397m

 

その内Tさんもやって来て、更に食が進む。食べるお茶、ラペソーも食べてみる。Tさんは沖縄市に住んでおり、私に会いにわざわざ那覇まで来てくれたのだ。申し訳ない。2人とも沖縄でミャンマー料理を食べるのは初めてだ、ということだったが、それなりに好評だったと思われる。

DSCN3399m

 

帰りはTさんの車で宿まで送ってもらう。Tさんは淡々と生きていて、時々フラッと旅に出たりするのが、とても面白い。特に人にも迎合しないし、派手なこともしない。コツコツ生きるタイプなのだろう。バンコックでの行動が印象に残っていた。部屋に戻り、久しぶりにテレビ番組などを見て、それから広い部屋を持て余しながら、何とか寝入る。

 

4月26日(日)

コバルト荘の朝

朝7時過ぎに起き、ちょっと経ってからリビングへ行ってみた。オーナーの女性が座っており、お客も2人いて、コーヒーを飲んでいた。オーナーは私にも飲み物を勧め、『座っていかない』と聞いてくれたので、インスタントコーヒーを自分で淹れて、自己紹介しながら席に着く。先客はお医者さんと内地から来たサラリーマン。お医者さんはここの常連のようで、オーナーとの話も弾む。リピーターが多いのは、部屋の広さもあるが、このような交流の場、情報交換の場が設定されているからだろう。

 

ここでも読谷の読み方などについて、何か情報はないかと聞いたが、分からなかった。沖縄関連の本も沢山あり、話の合間に見てみたが、どこにも書かれていないように見えた。沖縄の歴史といっても、史実にある琉球王国、薩摩絡み、そして戦争関連、基地関連が並び、時々民俗学的な本もあるが、日本の歴史同様、そのルーツに触れるものの数は少ない。ゆったりとした時間を過ごして、部屋に引き上げる。

2 thoughts on “フラフラと沖縄2015(8)那覇でミャンマー料理を

  1. コバルト荘は沖縄復帰前本土の活動家などが泊まって当局から目を付けられた事もありました。
    読谷には読谷(山)花織り、ユンタン(ザン)ハナウイ、と言う有名な織物も在ります。

  2. 読谷には戦後何故か米軍の情報通信施設が集中していました。陸軍情報部隊、VOA受信所、像の檻と言われた巨大な方向探知アンテナなどで電波障害が問題に成っていました。今もまだ一部が残っています。私が関係した核ミサイル発射基地の一つもありました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です