フラフラと沖縄2015(7)読谷は何故『よみたん』と読むの

4月25日(土)

読谷の由来

翌朝は鳥のさえずりで目覚める。いい環境だ。朝ごはんを頂き、持参した梨山茶を飲んでみる。何とも言えないいい香りが部屋に充満した。朝の陽ざしが差し込む部屋でゆっくりとお茶を飲む、悪くない。二人のお子さんも朝から元気だ。歳が離れているので、お兄ちゃんが幼い妹の面倒を見ている。それもまたいい光景だ。

DSCN3339m

 

H家を辞して、昨日も行った座喜味城のところにある読谷歴史民俗資料館を訪ねる。どうしても気になっていた『読谷』をなぜ『よみたん』と読むのかが知りたかったからだ。資料館に入ると、昔の人々の暮らしなどが展示されている。入り口付近には読谷の歴史に関する本なども置かれていたが、パラパラと見てみても、読谷の読み方に関する由来は見付からない。

DSCN3340m

 

仕方なく係の人に聞いてみたところ、『そんな質問は受けたことがない』という顔になり、他のスタッフと協議をし、いくつもの資料に当たってくれたが、結論は『昔からなので分からない』とのことであった。更には昨日発見した、『谷茶』という地名。これもたんちゃ、と読むのだが、その由来については皆目わからなかった。『北谷(ちゃたん)』という地名があることは知っていたが、まさか谷茶があるとは。何となくお茶の繋がりが出てきているが、それ以上探ることはできなかった。

 

読谷やちむん

それから読谷やむちんへ行ってみた。ここは陶芸家が集まる里。那覇に壺屋やちむん通りがあるが、ここは自然の中に登り窯が備えられ、焼き物が実際に作られている。いきなり目の前に読谷山窯という登り窯が見えた。かなりの大きさがあり、瓦屋根がどっしりとした本格的な窯だった。台風に対する備えなのだろうか。20年以上前に4人の陶芸家が共同で作ったというが、各々は独立しており、窯を共用しているだけで経営は全く別だという。近くにはこれも共同の販売所、読谷山焼がある。ここで作品を見ることも出来る。

DSCN3355m

DSCN3350m

 

もう一つ窯を見た。ここは屋敷の庭、という感じで、工房で働く人が忙しそうに出入りしていた。晴れた日だったので、焼かれる前の物が外に干されている。屋敷の裏に大きな窯があった。先ほどの窯より、ここの方がハッキリと焼き物を焼く雰囲気が出ていた。窯が動き出すと昼夜を問わず、忙しくチェックする。大変な作業のようだ。

DSCN3359m

 

金城次郎窯というところにも行ってもいた。金城次郎という人は、沖縄初の人間国宝、有名な陶芸家だった。那覇の壺屋に窯を作り、壺屋焼を発展させた。1972年の沖縄返還と同時に読谷に移住した。この読谷やちむんは、沖縄の本土復帰に合わせて、米軍施設の跡地利用として作られたようだ。当時那覇は本土同様公害問題があり、窯を移設する必要に迫られていた。

DSCN3348m

 

金城次郎の長男、金城敏男の名前が付いたショップがあった。奥さんと思われる人が陶器を販売していた。魚モチーフ、独特の絵柄が目に飛び込んでくる。だちびん、と呼ばれる酒入れ。懐に抱いたまま飲めるということらしいが、如何にも沖縄を思わせる。ここには次郎、敏男の作品を求めて、遠くは海外からも愛好者がやって来るという。なかなか興味深い。

 

その後戦争関連の遺跡を見る。学校の脇、かなり隅の方にリンガを思わせるような不思議なモニュメントが建っていた。だが、それが何であるか見てもよくわからない。何とそれは1935年に建てられた忠魂碑、戦後碑文は消され、説明文は持ち去られたらしい。沖縄の実に複雑な心境を表わしているように見えた。もう一つ、空挺隊玉砕の地という建物があった。どちらも戦争を忘れないために敢えて残されている物だが、早く忘れたい、という願いが込められているようにも見え、何とも言えない心境になる。横のグランドでは男女が野球の試合をしており、平和の大切を感じさせる。

DSCN3365m

 

昼は渡具知ビーチという地元の人が行くビーチにあるがんじゅうファームという肉屋レストランへ行く。駐車場には米軍の家族が使用する車が並び、金髪の子供たちが楽しそうに遊んでいた。今日は土曜日だった。ビーチには殆ど人影がなく、とても雰囲気が良かった。また性懲りもなく、カツ丼を食べたたが、肉が柔らかくて美味かった。レストランはかなり広かったが、既にほぼ満員。何とか外のスペースを確保する。サラダや飲み物、副菜なども付いているので、ランチはお得感がある。

DSCN3374m

 

天気が下り坂になってきた。ビーチで雲を眺めていれば分かる。Hさんに車で那覇まで送ってもらった。道を進むと、嘉手納、宜野湾など馴染の地名が出てきた。それは皆基地の名前であり、我々が知る沖縄は基地の街なのだ、と再確認することとなる。沖縄は車社会であり、渋滞は多い。今日は土曜日で、それほどの渋滞もなく浦添を通過して、早めに那覇に到着した。

 

6.那覇

コバルト荘

今日のお宿はコバルト荘。県庁からほど近くにある、1972年からやっているという老舗のゲストハウスだ。今日会う予定のIさんにいい宿はないか、と聞いたところ『あそこですよ、あそこ』という返信があったのだが、それがこのコバルト荘で、予約はIさんがしてくれた。ただし二人ともなぜコバルト荘なのか、記憶がなかった。確かに2年前、話題に出たGHなのだが、それが誰から出たのか、何も分からないままチェックインした。

 

チェックインをしたリビングは居心地が良さそうだった。沖縄関連の本が沢山置かれており、期待が持てる。『明日の朝7時過ぎにオーナーが下りてくるので、一緒にお茶を飲みながら歓談してください』と言われ、えー、と思う。ここは一体どんなGHなのだろうか。確かご主人は昨年亡くなったとどこかで読んで気がするのだが。

DSCN3379m

 

ここはビル一棟がGHになっており、何とアパートタイプの部屋、ということで、通されたのは、6畳に3畳、ダイニングにバストイレが付いた広々とした豪華な部屋。これで1泊3000円とは何と安いこと。出張で来る人も利用しているというのも頷ける。Wi-Fiも問題なく使え、テレビも見られる。凄い!

DSCN3376m

 

3 thoughts on “フラフラと沖縄2015(7)読谷は何故『よみたん』と読むの

  1. 私も知りませんが、沖縄の方言や地名には日本本土の言葉や字の発音を訛ったものや、漢音(中国)にしてしまったものが多いです。

    1. 書き忘れました。
      読谷は今普通にはヨミタンですが、古い言い方ではユンタン或いはヨンタンとも言います。

  2. 書き忘れました。 読谷は今は普通ヨミタンと言っていますが、古い言い方にはユンタン或いはヨンタンとも言います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です