《北京歴史散歩2007》(1)貢院と智化寺

【貢院と智化寺】2007年4月28日

北京に住み始めて1ヶ月。6年前まで2年住んでいた北京についても、やはり何も知らなかった。慣れてくると同じ場所を行き来するのみで、新たな発見も無かったし、北京の歴史を調べる心の余裕も無かった。

そして何よりも北京は散歩をする雰囲気の無い町であった。夏は40度を越え、冬は零下10度にもなる。春は短く、しかも黄砂と柳の綿、突風に吹かれると、歩くことも出来なくなる。僅か短い秋だけが何とか外へ出る気分となるといった具合だ。

ところが今回3月に来て以降、黄砂は殆ど無く、連日良い天気が続いている。爽やかな風が吹けば、空のスモッグも吹き飛び、快晴となる。思わず外に出て歩き回る。無闇に歩いても勉強にならないので、今回は約20年前に書かれた『北京歴史散歩』(竹中憲一著 竹内書店新社)を参考に歩いてみることにした。

1.貢院
(1)貢院

私が居を構えた建国門外の地下鉄の出口の一つに社会科学院という建物がある。社会科学院とは現在中国における社会科学分野、経済は勿論哲学や文学を含む最高のシンクタンクであり、3000人以上の人材を抱える中国の頭脳と言える。10階を越える立派な建物が広がる。

社会科学院に所属する研究者に何人か知人がいるが、その全てが明らかに優秀な人々であり、日本語の出来る人材も豊富である。『日本のバブル経済とその幻影』などと題した過熱する中国経済への警鐘を鳴らしている人もいる。多才である。

その建物の両側の道が貢院東街と西街とある。貢院、それは隋の時代から1905年まで続いた中国の公務員登用制度である科挙の都での試験場なのであった。社会科学院はその歴史を受け継ぐべく跡地に建てられたと言うわけなのである。

科挙は先ず地方で『県試』『府試』『院試』の3段階の試験を潜り抜け、そして役人の末席である生員となる。その後3年に一度各省の省府で行われる『郷試』に合格して初めて首都北京に上り、『順天会試』をここ貢院で受験するのである。気の遠くなる道のりであり、またここにやってきた人々が如何に秀才であったかは想像を絶するものがある。

科挙は王朝が変わっても継続された独特の制度である。どうしても王朝、支配者一族の専横が起こりがちな中国で、閨閥に縛られず優秀な人材を登用し、国を治めていくという実務的な、そして合理的な制度と言える。

 今はこの貢院の通りにその名残は見つからない。僅かに胡同が点在し、老人たちが中国将棋に興じている姿が見られるのみ。南京にも貢院があるようだが、どのようになっているのやら??

 

 

(2)四川省政府北京事務所
貢院の北を少し歩くと貢院頭条という道がある。その真ん中に『四川省人民政府駐北京弁事処』と書かれた立派な建物が見える。北京には地方政府の北京事務所が大体ある。やはり北京が国の首都だと感じるのはこういう場所を見た時である。

上海は経済の中心であるが、政治の中心は北京なのである。各省は何かあると北京の中央と連絡を取り合う必要があり、また全国人民代表大会の代表をはじめ地元要人の北京訪問も多い。事務所が必要なのである。私の立場と変わりは無い。

しかし普通の人が何気なく入っていく。子供も入って行く。ここは招待所でもあり、泊まることも出来るのであろう。興味本位で中に踏み込むと、奥にレストランがあった。はたと思い出す、そうだここが会社のスタッフが言っていた安くて美味い四川料理屋なのである。

 

中に入ると普通のレストランである。しかし客でごった返していた。ぷんぷんと山椒の匂いが漂ってくる。本場の四川料理は北京人にも人気のようだ。値段も数十元で食べられる。飲み物は頼むとコーラでも水でも大きなペットボトルで運ばれてくる。辛さに耐えられない人のためにそうしているのだろうか??今度皆に紹介したい場所である。尚もし土日に行くのであるなら、5時前に行かないと席がない。これは本当の話である。2階の個室は個室料を払えば予約可能なので人数を集めて予約しよう。

2.智化寺

更に北に歩いていき、小牌坊胡同に至る。ここを北に上がっていくと一角に人が屯していた。何だろうと見ると観光バスまで停まっている。胡同巡りツアーか??と見てみるとそこに寺があった。智化寺と書かれていた。

 

北京歴史散歩によれば、この寺は80年代当時一般公開されておらず、筆者は僅かに開いていた門から中に入れてもらったようだが、今や入場料を取る立派な観光地に変身している。10元支払って入場券を買い中へ。

 

 中は中国の地方から来た団体観光客ばかりで、皆ガイド付きであるが、ガイドが『私の言っている言葉が分かるか??』などと聞いているのには笑ってしまった。しかしよく見てみると仏像に触るな、などと書いてあっても無視してしまうおじさんもおり、ガイドは完全に地方出身者を馬鹿に仕切っていた。ここにも中央と地方の格差??軋轢??が見えた。また北京人のプライドの高さが鼻につく。

寺に入ると左に鼓楼がある。明代建築の名残がある。右には鐘楼、この佛鐘は1444年に造られた銅製の鐘で、高さ1.6m、仏語が彫られている。真ん中には智化門という建物があり、その裏には庭がある。

庭の左側には蔵殿がある。中を覗くと薄暗い中に大きな柱のようなものが。その柱の中に無数の小さな仏様が安置されている。この場所にしかない明代の転輪蔵という蔵らしい。観光客がガイドに促されてその周りをグルグル回る。恐らくご利益があるのだろう。

智化殿には釈迦、薬師、阿弥陀の3像が安置されている。この殿のあった物の一部は1930年代のアメリカに持ち去られたとある。どうやって持ち去ったのだろうか??更に奥に行くと如来殿がある。2階建て、上に上ると横の胡同が良く見える。像もどっしりとしていて良い。

 

智化寺は音楽で有名な寺である。500年余り前の明代に始まり、口頭での伝承が行われ、27代目が現在に伝えているとか??寺では定期的に音楽の演奏も行われているようだが、当日は聞く機会には恵まれなかった。

 

 

 

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