タイ北部お茶散歩2015(11)ゴールデントライアングルに踏み込む

タイ側にはゲストハウスがあった。元々はここに1泊して、チェンライへ帰るつもりだったが、今日は見学だけにした。いや、見学しようとしたが、少し坂を上る、そしてネットが繋がり難いと聞き、荷物が重いことから、行かずに戻ってしまう。帰り道、小さなカフェがあったので、そこで休みながら、ネットを繋ぐ。店のおばさんが荷物を見て『宿は必要ならあるよ、500バーツ』という。この辺には安いゲストハウスがいくつもあり、1か月4000‐5000バーツで借りられるらしい。欧米人の中には、ここに宿を取り、時々ミャンマーに出国して暮らしている人もいるようだ。何とものんびりした国境沿い、悪くはない。

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アーケードに戻ってくると、別の道が見えた。ちょっと上ると、そこには『中国街』の文字が見える。洋服屋やベルト・小物系の店が並んでいる。昼下がりで人は多くなかったが、この道、細長くて、かなり歩いても出口に着かない。そこにEさんから、『もうすぐ着くよ』という電話があり、急いで出口を探し、国境前の通りを歩いた。

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Eさんの車は国境から少し離れたところに停まっており、何とか合流した。当然国境での駐車は厳しく制限されている。それにしても3日前にチェンマイで会って以来だが、何だか随分と時が経ったような気がしたのは何故だろうか。車は国境の前をUターンして、川沿いを走り始めた。

 

6.ゴールデントライアングル

ラオスを見る

車はメーサイの郊外に出る。一面田舎の風景になる。それにしてもいい道だと思っていると最近開通したばかりだという。『昔はデコボコの道だったが、アジアンハイウエーのお陰』だそうだ。所々に家がみえるが、殆どの場所に何もないのはそのためか。時々メコン川が見え隠れしている。

 

30分ぐらい行くと、川の中州が見え、『中州はミャンマー、向こう岸はラオス』と言われる。これぞまさにゴールデントライアングルだ。ラオス側に見えるモスクのような建物は『カジノ』だとか。カジノが禁止されているタイに替わり建設された国境カジノ、タイ人が大挙して行くらしいが、それには小舟で川を渡るのだろうか。何とも風流な賭場通いだな。

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もう少し行くと、川に送電線が掛かっているのが見えた。『ラオスからタイへ電気が送られている』という。日本はODAでラオスの水力発電を支援しているが、その結果生み出された電力は、この送電線を通じて、タイに売電され、ラオス経済に貢献していた。一昨年ラオス経済の異変に気付いた際、調べてみると、このタイへの売電量も減っていた。タイ経済の確実な落ち込みを感じていたのだが、当時バンコックの日本人ビジネスマンの誰に聞いても『タイ経済は好調』と言っており、このようなシグナルは無視されていたように思う。確かに中国離れ、とかで、大量の出張者がタイに来ていた時期。ある意味で日本人、企業は日本人バブルに沸いており、タイの実体経済を見誤った(見ないようにしていた)とも言える。それは今でも続いている。何とも感慨深い送電線だ。

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古都チェンセーン

そしてチェンセーンという街に入る。こじんまりしたメコン川沿いの街並み。14世紀にはチェンセーン王国という国があり、かなり栄えたようだ。街中に古い仏塔をもつお寺がある。道路脇に相当に古い仏像が無造作に両手を合わせている。城壁跡とみられる土塁もそのまま保存されている。

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この街、その全体が遺跡であり、時間は完全に止まっているように見える。次回はゆっくりと歩いてみたい。そして出来れば1か月単位で滞在し、歴史と向き合い、世俗から離れてみたい、とふと思う。実際欧米人の中にはここで暮らしている人もいるようだし、日本人が住み始めたらしい、との話もあるようだ。何となくその理由が分かる街。

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川の方を見てみると、中国語が書かれた船がいくつもある。この川を遡ると中国の雲南省へ行ける。昔はこれが交通の主要ルートだったのだろう。今でも西双版納と書かれた船が雲南まで航行しているようだ。この付近は19世紀頃、中国との中継貿易港として栄えたようだが、今はかなり静かになっている。

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19世紀といえば、1840年にアヘン戦争があり、清朝が衰退に向かう時期。残念ながらアヘンは一大輸出物資であり、この川から大量のアヘンが流れていったことは想像に難くない。ケシの産地もこの付近の山の中、それならケシ栽培を止めた時、代替作物として茶を植えたところはないのだろうか?このあたりの歴史、恐らくは書かれていないことばかりだろうが、実に興味深い。

 

ただ今でも中国との貿易は続いているようで、郊外には港があった。ちょうど旧正月で殆どの物流は止まっており、活発な交易の様子は見られなかった。ただ、車を走らせていると、対向車線に何台、いや何十台もの中国ナンバーの車を見掛け、驚く。『雲』という字が見えるので、雲南省から来ていると思われるが、どのようなルートで来るのか、その時は良く分からなかった。

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