タイ北部お茶散歩2015(3)メーテン 凍える夜と日本の歌

寒い夜は

2時間弱、散歩するように村を歩いた。程よい疲れがあり、暑いシャワーを浴びて寛ぐ。皆は夕陽を見ながらビールを飲み始めた。同時にGさんにより、ラオスのお茶が淹れられる。この辺がお茶ツアーらしいところだ。何とも緩いこの世界、爽やかな風が吹く中、ずっと寝転がっていたい愛すべきこの空間を堪能した。

この村のサンセットは方向の関係で見えなかった。明日の朝の日の出を待とう。徐々に辺りが暗くなり、ランプが点る。雰囲気が幽玄になってくる。同時に夕食が運ばれる。このロッジは1泊3食付。まさに山間部のリゾート型。内容は春巻き、スープ、野菜炒めなどシンプルだが、地元の新鮮な野菜を使うなど、味は良かった。ボリュームは満点。ビールやワインとご飯がかなり進み、満腹になる。

そこへ民族衣装を着た一団がやってきた。小さな子供や少女たちだ。きっと村の人々なのだろう。音楽が鳴り、踊りが始まった。何とも素朴な踊りだった。皆が輪になって踊る。それだけだ。決してプロの上手い踊りではない。決してきちんと揃っているわけでもない。それでもなぜか微笑ましさを感じる。茶園ツアーメンバーも踊りの輪に加わり、一緒に写真に納まる。これは村の雇用対策なのだろうか。恐らくは村を維持していくためのプログラムではないかと思うが、特に説明はなかった。

それからゆっくりとワインでも飲みながら、夜な夜な話でもしようかと思っていたが、どんどんと気温が下がってきた。たぶん10度ちょっとしかなかったのではないか。夜9時前には全員が持っている服を全て来て、更には支給された毛布を被っていたが、それも限界ということでお開きとなり、各自ベッドに入る。

さすがに部屋の中はそれほど寒くはなかったが、タイでこれほど寒い思いをしたのは初めてかもしれない。ベッドには蚊帳がつられていたが、この寒さでは蚊も活動できないだろう。朝早く起きて飛行機に乗った疲れもあり、久しぶりにぐっすりと深い眠りに落ちた。因みに部屋は2人一部屋でツインもあったが、ダブルが多かった。私は男一人なので、広いダブルベッドに寝た。

2月15日(日) 朝日

前夜早く寝たので、当然のように早く起きる。まだ薄暗い。うっすらと山の稜線が見える。メンバーも早起き(寒さで眠れなかった人も?)しており、皆毛布を被って日の出を待っている。その情景が実に、実に自然な、そして穏やかな日を思わせる。犬たちが転げまわって遊び始める。日の出は近い。

建物の向こうには日の出を見るための物見櫓?が建っている。昔は狼煙で合図し合った、名残だろうか。そこから空け行く朝の景色を眺める。日が出る頃には皆疲れて思い思いのポーズで休む。寝っ転がれるソファが心地よい。日が出る時は、グワーッと起き上がる感覚がある。

早くから起きたので腹が減る。とそこへちゃんと朝食準備のスタッフが来て、朝食が出てきた。目玉焼きにベーコンなど、洋風朝食をオーダーしていた。美味しく頂く。早起きてし、心をリラックスさせて、朝ご飯を食べる、なんて健康的な生活なのだろう。ここまで一度もPCを開かず、ネットにも触れていない。こんな生活が理想的なのだろう、とつくづく思う。

リビングでダラダラしているとガイドのチャーリーがやってきた。昨晩食事の時に歌を歌うと約束した彼、結局姿を見せなかったが、その約束を果たしに来たという。日本の歌を歌うというので、皆の予想では『タイ人に人気のある昴ではないか』ということだったが。ところが日本語のできないチャーリーは突然『ちょっと待ってください』と言いながら、歌い始めた。何と歌詞は日本語?何かの替え歌だろうか、聞いたことはないが、何とも味のある歌だった。

あとで調べてみるとこの歌はれっきとした日本の歌で、あの全員ハーフのグループ、ゴールデンハーフが1970年代前半にヒットさせたものであった。『チョットマッテクダサイ』というカタカナ表記が正しいらしい。まさかこのタイの山奥で、このような歌が飛び出すとは意外だった。チャーリーが如何にして、この歌をマスターしたのかは謎のままだったが、彼が相当に歌い慣れていることが、彼のこれまでの人生を大いに想像させる材料となった。

茶畑へ

それからゆっくりと休息し、ついにメインイベントである茶畑ツアーに出掛けることになる。何と全員が自転車に乗る。久しぶりの自転車、それもマウンテンバイク、ちょっとワクワクした。宿泊していた欧米人も多数参加。大勢の自転車が村を走っていく。舗装された、のどかな山道だが、欧米人は慣れているのか、走るスピードが速い。我々は遅れ気味で付いていくのがやっと。途中の景色を見る余裕もなく、ただペダルを漕いでいく。

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