ミャンマー決死行2014(9)チャウメイ 再びバイクで決死行

再びバイクで決死行

そしてついに宿泊先の前にバイクが停まった。村長の息子ともう人の若者がスタンバイしていた。急いで荷物を纏めて、下に降りる。今回茶葉を色々と頂いたので荷物が増えている。バックは運転手が股の下に挟んで運ぶ。これだって大変だろうが、もう慣れている。バイクは行きのスクーターではなく、少し大きいバイクが来た。後ろに乗るのも簡単ではなく、足の短い私は跨ぐことができずに苦労した。

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そもそも私は一昨日来た時に『帰りはバイク以外の乗り物で帰りたい』と強く主張し、村人も『そうか、分かった』という感じだった。現に乗合小型トラックが走っているのも目撃していたので、全く手段が無い訳ではない。だがその願いも空しく、無視された。というか、その乗合トラックは朝6時に下の街から出る。ということは朝の5時にここからバイクで行かなければ間に合わず、山から下りるバイクが一番怖い、しかも真っ暗な訳でそれは避けられない。更にはそのトラックでも相当の揺れがあり、十分に怖い思いをする、ということで、自然却下となっていたようだ。それでは仕方がない。またバイクにお世話になろう。

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若者の後ろに乗り出発したが、彼は外国人を乗せた緊張からか、実にゆっくり運転していた。これは本当に怖かった。手の皮は一昨日かなり剥けており、まだ治っていないので、無理してバーを掴むことも出来ない。彼は特に急な下りに慎重で、下りのスペシャリスト、村長の息子にスピードに全く付いていけない、どんどん引き離される。もしここでバイクがこけたら、探しに来て来るのだろうか。

 

村の入り口に着く。ここでなぜか休む、まだ30分しか経っていないのに。それが彼らの掟なのかもしれない。素直に従う。茶葉が今日も干されている。既に茶摘みをしたのだ。昨日作ったばかりの茶を頂く。いい雰囲気だ、本当にここは。

 

我々以外に道を走る者などいない、そう思っていると同胞がいた。朝チャウメイに向かう村人や近隣の人々は結構いるのだ。その代り道が狭く危険なので、スピードは更にでない。追い抜きも難しい。例の比較的大きな街に出ると、急に視界が開けた。バイクに風が気持ち良い。写真を撮りたかったが、今日は休憩なしに一気に走り抜けた。

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途中の道路脇でまた休憩。そこへミョーテイ村の例の中国人が追い付いてきた。彼も商売のため時々チャウメイに出て、売り物を買ってくるらしい。と言ってもバイクだ。積める物は限られているが。バイクがない時代はどうしていたんだろうか。歩いていたのだろうか。ちょっと考えられないが、なければ仕方がない。

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都合2時間ほど行った所で、本格的な休憩所に入る。店があり、ご飯を食べる。既に多くの人が食べている。お昼は12時、などと言う感覚はここにはない。朝明るくなると起きるのだから、すでに一日の半分は過ぎている。ここで麺を食べてみたが美味しくはなかった。やはりミョーテイのカオソイがいい。

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3時間経ち、ついに山を下り切った。今回も手のしびれが尋常ではない。体がこわばっているのは気温が低かったせいだろうか。それでも体は山道に相当慣れており、かなり的確に反応で来ていた。しかし平地に着いて安心したのもつかの間、今度は猛スピードで走り出す。60㎞は出ていた。更には何と女子高生にバイクで追い抜かれ(彼女のスピードは尋常ではなかった)、発奮した若者は更にスピードを上げる。私は体が対応できない。全身に痙攣が来そうだ、と思った頃、懐かしいお茶屋が見え、バイク旅は無事に終了した。生きていてよかった、または生きていることの実感が、真に味わえる旅だった。

 

人間、偶には冒険しないといけない。冒険すると自分が生きていること、今どんな立ち位置にいるかも、よく分かってくる。今回のバイク旅、当初は何も考えられず、ただ恐怖だったが、最後の方は、自らの旅の意味を少し考える機会となった。とは言っても、もうこれはしたくない。あとで聞いてみると『マンダレーでランドクルーザーをチャーターすれば、村の近くまで直接行ける』とのこと。今回は2人だったのでコスト面が合わなかったようだが、次回は4₋5人でランドクルーザーにしよう。

 

チャウメイの茶商

疲れが出ていた。茶問屋に入ってお茶でも貰おうと思っていると、この店のご主人がチェンマイから戻ってきていた。彼の病気は大したものではなかったようだ。元気に歩いていた。街の知り合いの人々が次々に見舞にやって来たから、今日戻ってきたのかもしれない。お茶を飲みながら、ミョーテイ村での出来事を報告した。この店の主人が、実質的に村の外交を仕切っている。

 

彼は自分たちの緑茶の売り先を何とか伸ばしたいといい、日本へも輸出できないか、と聞く。だが率直に言ってこの味は日本人にはなかなか馴染めないだろう。中国の緑茶ですら、日本では難しい。かと言って、そういってみても始まらない。まずはミャンマー国内で売り先を増やすのが先決ではないだろうか(南シャン州の緑茶の方が飲みやすいとも思えるが)。また茶葉そのものは良いのだから、何か改良などの工夫が欲しい。日本の茶農家など専門家の支援があればよいのだが。

 

今朝発作でチャウメイに搬送されたという宿泊先のご主人も、この店の奥、2階で寝ていた。取り敢えず発作は収まったようだったが、顔はかなり疲れており、辛そうな状況だった。それにしてもよくここまで来たものだ。健常な私でも相当に疲れており、フラフラなのに。これが村の厳しさか。そして今後彼は村へ帰れるのだろうか。

 

ゆっくりしていたかったが、今日はこれからマンダレーまで行かねばならないので、早々に茶問屋を失礼した。何とも呆気ない別れとなったが、Tさん運転の車は走り出してしまった。生死を共にした、バイクに乗せてくれた村人に満足に礼も言えなかった。残念。

 

街を抜けて街道へ出た。マンダレーとは反対の方へ走る。すぐに道沿いに土産物を売る店が並ぶ。そこではナムサンなどの緑茶や紅茶の茶葉も売られている。酸茶は見当たらない。やはり酸茶は下ビルマに人々が飲むお茶のようだ。特に目を惹くお茶もなく、何も買わずに立ち去る。

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