ミャンマー決死行2014(8)ミョーテイ 酸っぱい夕飯と急病人

酸っぱい夕飯

村の集会場に戻り、ラペソーと緑茶を頂く。私はこの村を紅茶作りの村と勘違いしたため、お土産にスリランカとタイ産の紅茶を持ってきていた。それを渡すと、皆興味津々、さすがに茶作りの人々で、すぐにコップに入れて、茶葉と味、色を確認、色々と話合っていた。村では紅茶が作られているが、彼ら自身が作っている訳ではない。もしやすると『紅茶の方が売れる』と感じているのかもしれない。

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そして村人たちと記念写真を撮る。すっかり打ち解ける、というには2日間はあまりに短いが、少なくとも怪しい者ではない、お茶が好きだから来たのだ、という認知は得たのではないだろうか。そのまま村外れに歩いて行く。何となくパゴダが見えたので行ってみた。パラウン族は仏教徒なのである。何故仏教徒かと聞いてみてもよく分からない。少数民族で仏教徒、というのは多いのだろうか?ミャンマーに移住してから仏教に変えたのだろうか。

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とてもいい景色の場所にパゴダがいくつかあり、その向こうには廟がある。そこに神から茶樹を授けられた伝説が祭られていた。あとでネット検索すると12世紀頃とあったが、それはパラウン族全体の歴史なのだろう。同じ民族でもその足跡、歴史はかなり違ってくるはずだ。もしここのパラウンの人々がチベット近くから来たのなら、パラウン全体もその付近の出なのだろうか。雲南の山の中で何があり、茶とどのような関係を持ったのか、パゴダは何も教えてはくれない。

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夕暮れ時、子供たちが仲良く遊んでいた。よく見ると外に放置されたラペソーの袋の上に乗っている。彼らが漬物石の役割を果たしているのだろうか。そういえば鶏が乗っている袋も見たが、軽すぎるだろう?何とも微笑ましい。

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夕飯は宿泊先で提供されたのでそこの主人と食べた。食べてみて良く分かった。野菜炒めも、スープも勿論漬物も全てが酸っぱいのである。これがパラウン族の普通の食事ではないかと思う。山の中、保存食は当然発酵している。これはいい経験をした。村長たちと食べるとお客さん用に中華系の美味しい食事を出してくれるのだが、それでは村の暮らしは分からなかった。確かに外から来た者にはちょっと食べ難いとは言えるが。特に私は酸っぱい物がちょっと苦手。

 

あとで村長の息子がやって来た。『何でここで食べているんだ?』ということになってしまったらしい。どうも双方の意思疎通がかみ合っておらず、ここの主人の勘違いで食事が出てしまった。こんな偶然が喜ばしい。だが、この夜、事件が起こっていた。

 

11月3日(月)

急病人

昨晩に続き、夜中に一度起きたが、何も気が付かなかった。何となく微かに物音がしたような気はしたが、目が覚めると周囲は明るくなり、普通の朝を迎えていた。外で顔を洗いさっぱりして戻ってくると村長が来ていた。神妙な顔で『実はこの家の主人が昨晩発作を起こしたので、急遽チャウメイに搬送した。あんたらは気にしなくてよい』というではないか。

 

え、昨晩我々と普段通りにご飯を食べていた彼が、病気?下では奥さんと幼い子供が普段通り朝食の支度をしていたが、あれは我々に気を使わせないためだったのだろうか。それとも村ではどうにもならない、という諦めだったのだろうか。それにしても発作で搬送、と言っても、この山道、しかも車なしでどうやって運んだのだろうか。バイクの後ろにただ乗せても振り落とされてしまうはずだ。恐らくは更にもう一人が乗り、サンドイッチにして運んだのではないかと思う。

 

この村には医者はいない。このような急病には全く対応できない。酸茶などを飲んでおり、自然な暮らしをしているので『この村の寿命は長いでしょう』と昨日聞いたが、村長が『決してそんなことはない』と言い切ったのを思い出す。健康を保っても、緊急対応できずに命を落とすことがある。特に子供は大変だと聞いた。環境の良い村で暮らす、事の厳しさを思い知らされた。それにしても彼は大丈夫なのだろうか。心配だ。

 

ブランコを発見

今朝もカオソイを食べに行く。もうこれがあれば他は要らない。不思議なほどに美味いし、飽きない。私の先祖はビルマ系、とよく言われたが、実はビルマに住む山岳民族ではないか、と思うほど、ここにも馴染んできた。だが、それも今日でおしまい。もうすぐここを離れることになっている。

 

最後に村を一周した。お寺では相変わらず朝から大音響の経が聞こえてくる。仏教は昔こんなことはしていなかったと誰かから聞いた。イスラム教が朝から大音響を出すので対抗上、始めたと言われたが、それならこの静かな村には不要のはず。大声が聞こえると、それが仏教の危機感を表わしている、と聞こえてしまうのは私だけだろうか。

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そのお寺の横には大きなブランコのように見えるものがある。これはタイのメーサローンの祭りにもあったし、インドのダージリンの茶畑の脇にもあった。実に興味深いものである。山岳民族特有の、いやもしやすると、茶葉を伝承している民族特有の祭事ではないのだろうか。もしそうであれば、茶の伝承に一端を見ることができるのだが。これも検証できないかと思う。

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2 thoughts on “ミャンマー決死行2014(8)ミョーテイ 酸っぱい夕飯と急病人

  1. 昨年東静岡で世界お茶祭りで食べるお茶を頂きました多分これがラペソではないかと思います
    とても酸っぱくて葉をナッツや龍眼などを巻いて食べましたか馴染みめませんでした
    ミャンマーの人には申し訳ないでした

  2. タイ、チェンマイの日本語情報誌Chao281号、12月25日発行、に北部メーサロンのウーロン茶に関するレポートが掲載されています。バンコックでも入手可能と思います。連絡先:mail@chaocnx.com 高橋敏

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