フフホト茶葉の道散歩2014(3)『茶葉之路』の著者、鄧九剛氏に会う

茶葉の道展覧館で

そしてついに鄧氏に会うために、研究所へ。研究所と言われていたが、行ってみると展覧館。かなり立派な建物だった。中は広くて迷路のよう。案内を乞うと2階に連れて行かれる。女性が待っており、そして鄧氏と対面した。鄧氏は柔和な文化人、威圧感もなく、温和な語り口で、実にすんなり話に入ることが出来た。

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勿論彼は私の目的を知りたがったので、その説明からした。そして茶旅の中でモンゴル‐ロシアの国境キャプタで茶城を見たこと、湖南省益陽で磚茶工場などを訪ねたことを話すと、大きく頷いてくれた。『日本人がここに来たのは初めてだ』と言われ、大いなる歓迎を受けた。女性は北京で不動産業を営んでいると言ったが、お茶が好きでこの茶葉の道研究を資金的にサポートしているらしい。この展覧館も彼女の敷地に彼女が建てた、ものだという。淡々と武夷岩茶を淹れながら、話を聞いていた。

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私は鄧氏の著書を一通り読み、いくつもの質問を携えてきた。だが1₋2質問すると彼はそれには答えず立ち上がり、書棚から本を取りだすと私に差し出した。『君の聞きたいことはたぶんここに書いてある』という。『復活的茶葉之路』、という題名の昨年出版されたその本には、前著には書かれていなかった、その後新たに分かって来た茶葉の道に関する情報がふんだんに盛り込まれていた。

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特にモンゴル族商人もこのルートを使い、茶葉交易を行っていたことや、最近の茶葉の道研究に賛同する中国、モンゴル、ロシアの関係都市の様子なども書かれている。既にこの道は単なる茶の交易ルートではなく、シルクロードに続く、中国‐ヨーロッパの一大交易ルートとして脚光を浴びつつあったのだ。勿論そこには各都市の経済的な思惑もあり、また中国の中央政府の政治的、外交的な思惑すら見えてくる。

 

地図を広げながら説明する鄧氏。その地図の大きさ、広さにちょっと圧倒される。こんなに長い距離を300年前にラクダと共に歩いた人がいた、というだけで旅人心をくすぐられる。『君も旅の観点からこの道を研究したらどうだ』と鄧氏は言う。確かに茶旅をしている者としては、まずはこの大ルートを1つ1つ歩いて行くことが重要だろう。『次に行くべき重要な都市は、漢口だな』との指示もあり、意欲が湧く。

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フフホトを拠点に清代に巨万の富を築いた茶商、大盛魁。鄧氏は大盛魁についても詳しく調べ、本を書いていた。その本が2₋3年前にテレビドラマ化されていた。この本も欲しかったが、ここで言いだすとおねだりすることになるので、後日本屋で探すべく、我慢した。ところがフフホトでは見付けることが出来なかった。やはりどんな場面でも必要な物は勇気を出して貰い受ける、これが研究者なのだろう。

 

大宴会

あっという間に3時間ぐらい過ぎてしまった。話は尽きなかったが、トイレに立ちあがった際に、この建物中を見学させてもらった。茶葉の道に関するポイントが簡潔に書かれていたプレート。往時のフフホトの写真も飾られている。実は20人ほど入る部屋では同時にセミナーが行われていた。この展覧館は茶葉の道の認知度を高める、研究を進めるために様々な催しが行われているらしい。

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そして夕飯を食べていかないかと誘われた。中国では食事に誘われれば認知された、と考えるので、喜んでお受けした。同じ階のさらに立派な部屋に食事が用意され、いつのまにかフフホトのお茶好きなどが集められていた。そしてお茶ではなく、白酒が出てきて、乾杯が始まる。いつもはお酒を飲めないと断る私だが、今日は覚悟した。ここでは中国流でやらなければならない。

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お隣の女性が『山西の古歌』を歌い出した、実にリズムが良くて上手い。山西方言のため意味は良く分からなかったが、参加者の一人は『子供の頃に母が歌っていた歌だ。方言も懐かしくて涙が出る』と言っていた。フフホトに住む漢族の多くは山西あたりの出身だ。とても参考になる。

 

そして酒を飲まないアチト君も早々に草原の歌を披露した。彼の故郷はモンゴル国境に近い草原で、両親は今でも馬や羊を飼っているらしい。それにしても本当に草原にいるような気分になるから凄い。結局お前も歌えということになり、定番の北国の春を歌い出したが、完全に歌詞を忘れてしまって困った。横のオジサンが2番を完璧な中国語で歌ってくれた。そして『子供の頃、いつも歌っていたよ。俺たちにとっての日本といえば北国の春と高倉健さ』としみじみ言う。そう、高倉健は誰もが知る大スターだ。

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2時間ぐらいの宴会で白酒をどのくらい飲んだだろうか。実に久しぶりに完璧な酔っ払いになってしまった。帰りは誰かが車で送ってくれたが、ホテルの部屋に倒れ込んだところで記憶は途切れた。

 

それにしても茶縁、恐るべし。このような楽しい出会いがあるから、茶旅は止められない。いや、止めるどころかどんどんエスカレートしていく。ロシア語も出来ないのに、どうやってロシアへ行くか、なんて考え始めていた。まあ、なるようになる、ご縁は必ずつながる、と思う。

1 thought on “フフホト茶葉の道散歩2014(3)『茶葉之路』の著者、鄧九剛氏に会う

  1. 貴重な出会いと素晴らしい宴ですね!。私も2011年頃「茶叶之路」は地図と年表を横に、散々苦しみながら簡体字と戦ってました。
    そしてすべてが漢口という事も分かりました。
    次に期待します。

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