梨山に登る2014(4)梨山 急斜面の茶畑

炒青

昨晩寝かした茶葉を朝4時頃から順次電気釜に放り込み、炒青が始まっていた。単に窯に入れて炒ればよいというものではなく、茶葉の状態、気候の状態などに配慮して、出来るだけきめ細かく対応している。担当者は時々手を入れて茶葉の状態を確認している。乾き過ぎず、水分を適度に残す作業はなかなか難しい。発酵を止める段階で茶葉をあまり傷つけると、茶の味に影響するらしい。徐々に茶葉が多く集まってきているようで、6台の釜が全て使われている。茶葉を取り出して状態を見て、足りないようなら再度入れている。これは意外と大変な作業だ。集中力が求められる。

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Johnnyが炒ったばかりの茶葉を掴み、オフィスへ向かう。この時点の茶葉の味を確認している。全ては同じ要領で、カップにたっぷり熱いお湯を注ぎ、レンゲで香りをかぎ、茶葉を確かめる。何度も首を傾げながら、茶を飲む。味わうのではなく、舌とあごの内側で感じ取るようだ。納得がいかなければ戻って指示を出す。経営者の仕事は大変だ。

 

茶園

急にJohnnyが『茶園に行こう』と言い出す。願ってもないことなのですぐに車に乗り込む。出来るだけ彼の邪魔をしないようにしようと思っているが、彼の方は気を使ってくれているのかもしれない。有難いことだ。いずれにしても晴れている間にたくさん摘まなければならないのは確かだ。

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山道を10分ほど行くと、車は突然停車。どうしたのかと思って下りてみると、何と細い道から下が見え、茶摘みが行われていることが分かった。ただあまりにも急な坂道でどうやって降りるのだろうかと懸念していると、下から遊園地のジェットコースターの小型版が上がってきた。茶葉が積まれており、スタッフも一人乗っていた。そして・・・?

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何とこの車に乗る。それも一番前に。完全に直滑降だ。高所恐怖症の私はジェットコースターだって殆ど乗らない。でもこの場合、乗らないという選択肢は考えられず、目をつぶるしかない。後ろにはJohnny、その後ろにはスタッフが乗り込んだ。私はしゃがみこんでおり、一番安定したポジションを取っている。それでも動き出すと真っ逆さまに落ちていく感じで怖い。目をつぶると、目が回りそうで怖い。どうにもならない。

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僅か2₋3分だったはずだが長く感じられた。よろよろと地面に足をつけると、目の前には大勢の女性たちが茶葉を摘んでいた。いっぺんに酔いが醒めたように、写真を撮る。景色としては絶景だが、この急傾斜で茶葉を摘むのは大変な作業だろう。比較的若い女性もいる。外籍新娘と呼ばれる外国からの労働者だろうか。台湾人と結婚している働き手もいると聞く。

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『茶葉は朝早く摘むと朝露が付いて水分が多いため、午前中の遅い時間が良い』とJohnnyは言う。それでも早くから稼ぎたい摘み手は朝7時ごろから活動しているようだ。彼女らの給料は『摘んでなんぼ』らしい。給与水準はどんどん上がっている。重労働の上、万が一地震でもあれば、リスクが伴う仕事。摘み手は年々減っているが、それを外国人が補っている状況だ。

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また摘み手によってスピードもかなり異なり、丁寧さも違っている。このような労働者を如何にコントロールするかはいいお茶を作るポイントになる。茶農家は懸命に『きれいに摘め』と指示を出す。農家としては以下の多くの量を納めるかが大事。Johnnyは如何に質の良い茶葉を大量に確保するか、という一番難しい立場になる。

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茶樹の中には病気なのか、葉が出ない物もある。Johnnyは何故こうなっているのか、丹念に調べている。分からない物は持ち帰り、検査するようだ。分からない物を放置しない姿勢、忙しさにかまけて蔑ろにしない姿勢、えらいと思う。

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帰りのジェットコースターは登りだが、更に怖かった。どんどん吊り上げられていく感覚は本当にジェットコースターそのもの。上にたどり着いた時は、生きた心地がしなかったが、とてもいい経験をした。

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原住民の部落

昼ご飯をまた美味しく頂いた。本当にお茶関係で食べる飯は美味い。食後、またお呼びがかかる。タイアル族のけんちゃんと呼ばれている工場総監が『タイアル族の部落へ連れて行ってくれる』という。これも行かない手はない。Johnnyの車に乗り込み、けんちゃんの後を追う。因みになぜけんちゃんという名前なのかはよくわからない。

 

20分ほど行くと、山の中にちょっと立派な建物が見えてきた。この集落は90年代にこの地に起きた大型台風被害の後、政府が建てて、原住民に提供したものらしい。部落へ降りていくと、そこにはけんちゃんの家もあった。2階建てのかなり広い部屋だったが、彼は一部屋だけを使い、後は茶摘みで泊まりこむ女性たちに提供していた。簡易なベッドに簡易なシャワートイレ。食事の材料も提供し、自炊するらしい(昼は茶畑で弁当)。これも摘み手確保の重要なポイントらしい。

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部落の入り口で若者に出会った。彼らは珍しく部落に残っている。『この辺は茶園のお蔭で飯が食えている』と言っていたので、茶業関係で働いているのかもしれない。残念ながらこの辺りに農業関係以外に他に仕事はなさそうだ。

 

因みにこの付近は4区、5区などと呼ばれている元軍区。蒋介石が大陸からやってきた後、戦いが無くなって余った兵士を山中に駐留させ、開拓などを担わせたらしい。屯田兵だが、特に辺境警備などはないから、一種の放置だったかもしれない。それでも原住民などには大きな影響があっただろう。

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