ある日の台北日記2024その4(4)阿里山石棹で

バスは台湾好行。車内は広くて座席は少ないが、ちょうどよい感じで出発する。悠遊卡が使えて便利(念のため高鐵駅でお金入れといてよかった)。私は20年以上前に阿里山にバスで上ったのが最初だが、あの頃は高鐵もなく、台鐵嘉義駅からバスでかなり緊張しながら上った。今みたいにスマホもないし、どこで降りるかもよく聞き取れなかった。それがどうだ、今はキレイな車両、はっきりした表示があり、言葉が出来なくても石棹まで簡単に行けるようになっている。進化だ。

バスは阿里山公道を上り、きっちり1時間半で石棹に到着した。そこにはKさんの知り合いの林さんが待っていてくれ、車で彼の店まで行く。まあ歩いても行ける範囲で便利だ。林さんがお茶を淹れてくれる。私が22年前に最初に石棹に来たと話すと『その時は誰のところへ行ったのか』と聞くので、店名をいうと、『え、あそこの奥さん、隣にいるぞ』と言われ、すぐに隣へ移動する。

そこでは近所の女性たちが母の日の花飾りなどを作っていた。恐る恐る中へ入っていくと突然『え』と私の名前を呼ぶ女性がいた。ああ、懐かしい郭さんだった。恐らく15年は会っていないが、すぐに名前を思い出してくれて嬉しい。何とも驚きの再会だった。ここは林さんの奥さんが花道などを教えているスペースだという。林夫妻は茶文化協会をリードしていた。

林さんが裏山の方へ歩いて行く。ついて行くと階段があり、両側が茶畑。烏龍と金萱が植えられていた。更に登っていくと、石棹が一望できる高台に。そこには古民家が建っており、それは以前阿里山で見た建物と全く同じだった。50年以上前、阿里山公道が開通する前は、皆このような家に住んでいたらしい。

林さん一族の茶工場にも行ってみる。工場に入るといい香りがしてくる。春茶は終わっていたが、どこからか茶葉が運ばれてきており、最新鋭の機械で揉捻などが行われていた。出来立ての茶を飲んでいると、急に激しい雨が降り出す。元々今日は天気が心配されてはいたが、山の天気だ。小雨になると小走りに戻る。

ふと気が付くと夕方になっており、林さんが夕飯を出してくれた。これは奥さんがやっている食堂の料理だった。所謂定食で美味しい。するとどこからか、外国人の家族連れが入って来て食べ始める。最近は阿里山にも個人旅行で来る外国人が増えており、こういう食べやすい形態が好まれるらしい。言葉は通じないが、皆スマホアプリでやっている。

食事を終わってお茶を飲んでいると、そこに林さんのお父さんがやってきた。石棹で茶業が始まったのはちょうど45年前。その初期に茶を植えたのはこのお父さんを含む林家の人々であったらしい。私が以前台湾高山茶の歴史を調べた際は、もう少し下の隙頂あたりで始まったと聞いていたが、ほぼ同時期に石棹でも始まったようだ。その苦労はかなりのものだったらしい。

夜、林さんが車で夜景がきれいなスポットを案内してくれた。あの郭さんも一緒だった。郭さんとの思い出話が懐かし過ぎて、夜景をよくよく見てはいなかったが、嘉義市内だけでなく、台南の方面や海など、かなり遠くまで見えていて驚く。ここは地元の人しか知らない穴場スポットだった。郭さんの店に寄ったが夜遅かったので、お茶を貰って別れた。次はいつ会えるだろうか。

今晩の宿は何とその郭さんの店舗のほぼ隣だった。アレンジした林さんも苦笑している。昔は民宿が多かったが、今や立派なホテルがいくつも建っている。今日の宿もかなり立派で、部屋も快適。だが疲れていたので、シャワーを浴びるとすぐに寝込んでしまう。

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