ある日の台北日記2024その3(3)台湾白茶の歴史

4月22日(月)台湾白茶の歴史

先日寄った台湾紅茶の東門店へ再度向かう。今日は予め羅さんに連絡しており、彼と話すためだった。『台湾白茶の歴史』について、事前に調べたい内容を伝えておいたら、大変興味を持ってくれた。羅さんの実家では、紅茶や煎茶作りが多かったと思うが、お茶全般に関しても、様々な知見がある。

更に羅さんに質問をぶつけていると、ちょうどいい人がいると電話してくれた。そしてすぐに頼さんがやってきた。彼は包種茶などに詳しいそうだが、1950₋60年代に一般台湾人がどんなお茶を飲んでいたのか、などを話してくれた。『元々台湾人はどんな茶を飲んでいたのか』は私の重要テーマであり、貴重な話を聞く。

この話しの中から、香港に輸出された台湾白茶の正体も見えてきた。白茶というか、日本で言う番茶のようなものは、日本時代から既にあり、台湾では『大鍋茶』などとも呼ばれ、飲まれていたのだろう。これで何となく謎が解けてくる。やはり現地にいることによるアドバンテージは大きい。コミュニケーションも進み、解決してくれる人も見付けやすい。

調査に責任を負っている訳ではないが、何となく肩の荷が下りた気分だ。気持ちが落ち着くと、腹が減る。ということで、自分へのお祝いに台湾メシをたくさん頼んで、思いっきり食べる。こんなことも偶には必要だ。台湾メシの歴史も知りたいテーマだが、人の一生は短いだろう。

4月23日(火)台湾図書館で

今回の花蓮地震からちょうど20日経ったが、実は余震(又は新たな地震)は結構続いていて、眠りは浅いままだった。今朝はちょっと大きめな揺れが来て、また地震を思い返す。日本人は台湾に来て、台湾を元気づけようというニュースも流れているが、日本と比べても少しリスクが高いのでは、と考えてしまう面もある。

昼前に最近お気に入りの弁当屋で食事を取り、そのまま図書館へ向かった。台湾図書館の上の階は1年間閉鎖のはずだったが、なぜか6階は開いているという。それで6階まで上がってみたが、台湾日々新報の閲覧は出来ないというのだ。ではなぜ開放しているのだろうか。更に1週間前は2階で閲覧できたPC検索、何故か1階に移動したという。そこで1階で聞くと、奥の方にある別室に案内されたのだが、何とそこではUSBへの取り込みが出来ないというのだ。

さすがに変わり過ぎていて驚いてしまった。係員にそれを告げると、どうも図書館内のシステムに問題がある、ということらしい。そして最終的に1階の一般閲覧で、全く普通に閲覧し、取り込みも出来てしまった。何ということだろうか。よく分からないが、それから4時間ほど、取り込みに勤しんだ。元々知りたかったことは、上手く見付からなかったが、他の資料が色々と出てきて面白い。今日も帰りにお祝いの牛肉麺を食す。

4月24日(水)蘆州へ

今朝はMRTに乗って大橋頭駅へ。前回木柵を案内してもらったUさんとのグルメ散歩第2弾である。大橋頭駅で待ち合わせ、更にMRTに乗って蘆州方面を目指す。終点の蘆州の一つ前の駅で降りる。今日は天気が悪く、残念ながら雨が降っていたので傘をさす。大きな通りからちょっと入ると、そこはレトロな街並み。その一軒で朝ご飯を食べることになる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です