ある日の台北日記2024その2(1)龍譚へ

《ある日の台北日記2024その2》  2024年4月11₋17日

4月11日(木)龍譚へ

今日は台鐵に乗るため、台北駅へ向かう。早めに駅に着き、財布から小銭を出して切符を買う。小銭が無くなってラッキーと思ったが、よく考えてみると台鐵の区間車なら、悠遊卡が使えた。何だかボケた出だした。Mさんと待ち合わせて区間車に乗り込む。前の方は自転車等貨物用に座席が少ない。

1時間ほど乗っていると埔心駅に到着。ここで7年ぶりに会う葉さんが出迎えてくれた。何とも懐かしい。彼の茶工場がある龍譚に向かう前に、寄りたいところがあった。駅からほど近い場所に出来た故事館だ。車がそこに着くと、すぐに思い出した。ここは13年前、あの徐英祥先生にただ一度お会いした時、連れてきてもらった場所だった。あの時先生は『ここが1903年に製茶試験場が最初に出来たところだ』と説明されたが、その風景は倒れかけた日本家屋だったと記憶している。

あれから13年。そこはキレイに整備され、日本家屋は改修されて展示館となっている。もう一つの建物は台湾茶葉学会と書いてある。展示館の方に入ってみると、ちょうど4月初めに起きた地震の点検が行われていたが、大きな問題はないようだ。さすが日本家屋。ここは官舎として1907年に建てられたとある。入口近くの部屋は『戦後呉振鐸場長が住んでいた部屋』と説明された。呉振鐸は福建人の茶業専門家で、師匠はあの中国茶界のレジェンド張天福。戦後台湾に渡り、茶業改良場の場長を30年以上勤め、戦後の台湾茶業を支えた重要人物だ。

故事館には台湾人の担当者がおり、来場者に対して、藤江勝太郎の説明をしている姿を見て、思わず涙してしまった。実は7年ほど前、改良場のスタッフにその歴史を聞きに行った際、『初代場長の名前は知っているが、どんな人かは資料がないので分からない』と言われたのが記憶に残っている。そこから私も必死に調べて最近ようやく略歴などが語れるようになってきた。7年間は台湾で誰も知らなかった藤江について、今では彼の話が出来る人がいる、歴史は掘りこされるものなのだ、と強く感じた。

故事館から龍譚の街へ入った。実は龍譚には2₋3度来ているが、いつも茶工場へ行くだけで、街を見ることはなかった。街は結構古くていい感じだった。客家が多いということもあり、客家粄條という米麺(平打ち麺)をご馳走になる。人気店には行列が出来ている。食後は1935年創業の『松屋』でアイスを食べる。完全に昭和の店だった。

街の中には、日本家屋が残っており、日本時代にはかなり栄えていたことが分かる。これも茶業のお陰なのだろうか。龍元宮という立派なお寺もある。近所に大きな池があり、そこにも大きな寺がある。時間が無く、そこまでは行かなかったので、次回は訪ねてみようか。

街から少し離れると、茶畑が見えた。畑の中に大きなお墓があるのが如何にも、という感じだった。その茶畑には、何と日本のやぶきたが植えられていた。烏龍茶主体の台湾だが、ここ龍譚では、釜炒り緑茶のガンパウダーや日本の煎茶を作っていた時代がある(今も作っている)。

葉さんの茶工場、7年ぶりに訪ねたが、雰囲気はあまり変わっていなかった。ここは日本時代より前に創業し、現在まで続く長い歴史を持っている。それだけにお茶に関する写真や資料も残っており、また茶工場のレトロ感も良い。ここでお茶を飲みながら、長い時間話をした。

駅まで送ってもらい、また台鐵で台北駅まで戻る。駅の2階の食堂街で早めの夕飯を取ることにした。台南の有名店でエビ炊き込みご飯を初めて食べる。目玉焼きを乗っけると何だか旨い。セットメニューが充実しており、外国人でも選びやすいのも良い。さすが台湾、商売人だ。Mさん、ご馳走様でした。

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