シェムリアップで考える2011(4)電気の無い村に滞在して

村に住む人々

到着すると日本語の出来るカンボジア女性が応対してくれた。聞けば、こちらの大学から香川県に2年間、農業研修に行っていたそうだ。ただ内容を聞けば、研修とは言っても実際には働きに行っていたと言っていい。日本は研修という姑息な名目で外国人を働かせている。このゆがんだ構造は改善した方がいい。

彼女は関空到着後、新幹線に一度乗っただけで、後日本国内の旅行も殆どせずに「研修」に励んだという。食事も日本食を食べ、特にうどんが美味かったという。そうして過ごして研修手当をため、2年後に帰国し、プノンペンに居るお母さんにその手当を渡したことが嬉しかったと言った。日本はもう少し何かを考えなければいけない。

またゲストハウスには何と日本人女性が住んでいた。既に3年ここに居るという。村の学校で日本語を教えている。これもまた凄いことだ。当初から5年計画で来ているが、なかなか思うようにはいかないという。翌日実際に授業を見学すると、7歳から11歳ぐらいの子供達が勉強していたが、直ぐには上達せず、また使う機会も限られるので難しいなと思った。この点を森本さんに聞くと、「日本人のお客さんが来た時、一言でも日本語を話し、会話することが彼らの財産」と言い、上手く話せることを目指してはいないようだ。

ただこのクラスで微笑ましかったのが、隣のクラスで1年生にクメール語を教えていた19歳の先生が、この日本語クラスでは子供達と一緒になって勉強していたことだ。これは実にすばらしい光景だった。

彼女は平日この村で暮らし、自炊している。週末はシェムリアップ市内のGHに泊まり、リフレッシュしてまた戻るという。この村には基本的に電気が無い。自家発電が点く時はいいが、そうでなければ如何に生活するのか。私もその夜、それを経験した。

電気のない夜

村には迎賓館と呼ばれるゲストハウスがある。普通の民家は木造だが、ここはコンクリート製。リビングがあり、部屋がいくつかある。部屋にはベッドと机が置かれており、快適に過ごすことが出来る。ここには一般の人も宿泊希望があれば受け入れる。ドネーション込み、1泊2食付で25ドル。

村はかなり広い。裏には池があり、夕日が落ちていく。ゆっくり眺める。森には水が必要だ。そう感じさせる何かがある。午後4時には工房では今日の作業は終了しており、村では炊ぎの煙が立つ。水浴びする人もいる。日が落ちる前に食事をし、日が落ちたら寝る。それが電気のない村の原則だ。

森本さんが村に戻り、話をする。日も暮れて来たので、私には特にやることがない。ただひたすら様々なことを話す。雑音が全く入らず、携帯もならず、ネットも繋がらない環境で、人とじっくり話すのは久しぶりかもしれない。

夕飯は母屋で森本さん及びスタッフと食べる。スタッフが作ってくれた料理だが、何とご飯に味噌汁、焼き魚、卵焼き、野菜の煮物、などが並ぶ。皆森本さんが教えたもので、食材は基本的に現地調達。非常に美味しく頂く。森づくりも食事作りも原理は同じかもしれないと思う。

夕食後コーヒーを頂きながら、また歓談。すると森本さんが「今日は電気いらないですね」と聞く。こんな会話は生まれて初めてだなと思いながら、「ええ、いりません」と自然に答える。実は母屋には自家発電があり、迎賓館にもあるのだが、今夜は母屋のみ使用するという意味。

そして迎賓館に帰る時、中国製のLED電燈を一つ渡される。母屋を離れるとそこは漆黒の闇。本当に暗い。電燈が無ければ何も見えない。このLED電燈が如何に明るいか、灯りが如何に有難いかを噛み締めながら歩く。それでも道に不慣れで、かなり戸惑う。日本では真っ暗と言っても、どこか見える物があるが、ここでは何一つ見えない。電燈から外れた所は何も分からず、進むと道が分からない。

ようやく部屋に辿りついても電気は点かないので、基本的に寝るしかない。トイレに行くにも電燈を提げて行き、歯も磨く。余計なことは何もない。実にシンプルだ。早々に就寝。

森が守ってくれる

窓から明るさが差し込んできた。いつの間にか眠り、起きることもなく、8時間ほど寝こけた。鳥が鳴いている。実に静かだが、外は既に起き出している気配が感じられる。散歩に出る。

村には森がある。今では百年も前からあったように見える木々だが、僅か10年前に植えられたもの。3か月前にはこの村を大洪水が襲ったという。一時は人の背丈ほどにも水が溢れ、工房の機織り機なども全て流された。しかし、その機器を守ったのが、この木々。洪水に流された物が皆木に引っ掛かり、流失を免れたという。これもまた貴重な体験だ。

森本さんは言う。「森が守ってくれた」と。その為にも日々、人は木々と向き合う必要がある。必要になった時だけ、頼っても何もしてくれない。私がこれまで歩いてきたアジアの村々で、同じような光景、話を何度も聞いた気がする。今の日本は災害を科学の力で防ごうとしている。

というより、日本人は今や「目に見える物しか信じられなくなっている」のだ。説明や説得力は数字など、自分の頭で理解できる範囲でしか成り立たない。人間を超えた何かが存在することをもう一度体験し、取り入れなければ何度も同じことを繰り返すだろう。

働くモチベーションとは

朝食は母屋でパンとサラダを頂く。非常にゆったりとして空間の中で、散歩後の朝食は実に美味しい。爽やかな風が吹き込む母屋は極楽だ。しかしこの極楽状態を作るのに、どれほどの苦労があったのだろうか。

食後のコーヒーを頂いていると、女の子たちが上がってきた。広いテーブルの所に座り、何かを始めている。覗きに行くと、何と絵を画いていた。何で朝からこんな所で絵を画くのか。

森本さんが解説する。『若い内に自然と向き合い、完成を高めることは大切。彼女達が描いた絵が、デザインにすぐに使えるわけではないが、一見仕事と関係ないこのような作業を重視している。彼女達には一定の給与を払って、仕事としてきちんと画いてもらっている。』と。

そう、今や日本企業が忘れてしまったゆとり。ゆとりというと『ゆとり教育』などイメージが良くないが、企業内でも車のハンドルの『あそび』部分が必要なはずだ。そのあそびから思わぬものが生まれ、企業が活性化する。森本さんの話と活動は、企業経営そのものだ。以前彼から聞いた『減収増益』の話もそうだ。良い物を作れば必ず買う人がいる、そうなれば単価は上がって行く。薄利多売はいつか行き詰る。

実際この村ではい1つ1つの製品に誰がデザインし、誰が織ったか、名前が書かれている。そして欧米のお客さんはこの村まで来て、気に入った物を買い、更には織り手がいれば、一緒に記念撮影をして帰るという。売り上げによって給与に大きな差をつけることはないとしている所が参考になる。モチベーションとはどこから来るのか。

森本さんは手法は職人さんのそれではなく、経営者の目線で作られている。カンボジアに進出する日本企業の参考に大いになるだろう。因みにカンボジアには若い、安い労働者が沢山いるのは間違いないが、それを束ね、仕事を進めてもらう班長クラスの人材が決定的に不足している。この伝統の森では、その人材が育っているのが大きい。





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