シェムリアップで考える2011(3)年金オジサンと若者、横柄な中国人

日本の年金オジサン

部屋からPCを持ち出しいじっていると、変なおじさんがやって来た。日本人だが、何となく胡散臭い。ここの部屋代はいくらかなどとスタッフにつたない英語で聞いている。仕方なく、私が対応した。おじさんは興味を持ったようで、あれこれと色々聞いてくる。

どうやら定年退職し、カンボジアに遊びに来て嵌ったらしい。2回目だという。一人でふらふら安ホテルに泊まっており、こちらの条件を確認に来たようだ。年金をもらって暮らすこんなおじさんがシェムリップには沢山いると、と聞いたことがある。どこが楽しんだろうか。

そこへ日本人の若い子がやって来て、「何かお手伝いしましょうか」と聞く。聞けばここの研修生らしい。誰とでもすぐ話が出来そうなフランクさがある。元々バックパッカーで、シュエムリアップにやって来たらしい。だが泊まっていた宿は1泊1ドルと聞いて驚く。日本人の女の子もここまで行くと、凄い。が、恐らくは日本人社会では相当難しい立場になるのだろう。このような多様性を受け入れる社会は日本にはない。

おじさんは私の部屋を見て、帰っていった。どうやら自分が泊まるべき場所ではないと分かったようだ。子供が壁を登り始めた。ロッククライミングの設備がある。

横柄な中国人観光客

そうこうしている内に昼になってしまう。シェムリアップのゆっくりとした空気が私の行動も制御しているようだ。このスローな状態が心と体を癒してくれる。普通の日本人は『こんな環境に長くいれば日本に復帰できない』と思うのだろうが、こちらは復帰する必要もなく、むしろ好ましく思う。

結局ランチの約束をしていたNさんを待たせてしまう。ゲストハウス内でランチを取る。とんかつ定食が3ドル。結構立派な物が出る。このゲストハウスに泊まって、食事をここでしても月5万円は掛からないだろう。シェムリアップは私にとってロングステイの候補地である。

Nさんから最新シェムリアップ情勢を聞く。観光客は韓国、日本が頭打ち、中国人が非常に躍進しているらしい。と話していると、中国人観光客が二人、フラッと店に入ってきた。何と全て北京語を使い、横柄な物言いである。言葉が通じないと分かるとメニューを指さし、何かを注文。そして出て来た食べ物に『塩辛い』といちゃもんをつける。

私には彼らの言っている意味が殆どわかったので、困っている店員の間に入ろうかと思ったが、Nさんから止められる。店員は落ち着いた対応で、英語を使いながら上手にあしらう。最後は中国人がぶつぶつ言いながら、お金を払って退散した。

中国人観光客は態度が横柄で、特に現地人を見下している。困ったものだと思いながら、ふと、『それは日本人観光客も似たようなものだった。今でも横柄な態度を示すオジサンなど、ごろごろいる』と思ってしまう。人のふり見てわがふり直せ、ではないか。

4. 伝統の森      修行者の道

GHをチェックアウトして、いざ伝統の森へ。実は前回2月にIKTTを訪ねよ、と言われ、シェムリアップ市内の工房兼ショップを訪問。そこではクメールの伝統的な織物が再現されており、興味を惹かれた。しかもそのクメール織りはポルポト時代に廃れており、それを復活させたのが、何と日本人だと聞き、益々興味を覚えた。工房の行くとちょうどその日本人、森本さんがおり、お話を聞いた。そして『もっと知りたければ森にいらっしゃい』と言われ、2日後には伝統の森に行っていたのだ。

その時は日帰りで村を見学した程度だったが、あの印象は忘れることが出来なかった。もう一度行こう、出来ればあの村に泊まろう、連絡してみるとゲストハウスがあるとのことで2泊お願いすることになった。

その村は市内からアンコールワットの遺跡群の横を抜け北へ30㎞。途中まで遺跡の関係で道路が舗装されているが、半分は未舗装の悪路。しかも私はそこを車ではなく、サレンのトゥクトゥクで行くのだから、結構すごい。約2時間掛かるが、道のデコボコで尻は痛くなり、腰はよじれ、まるで修行の旅に出たような気分で行く。

そして到着した伝統の森、それだからこそこの村を一から開発した森本さんとカンボジアの人々の物凄い努力が実感できる。10年前は何もなかったこの場所をあるご縁で所有し、クメール織りの為の蚕、桑の木から工房、自宅まで全て自分達で作って来たという。そして今では200人が暮らす村となり、織物が見事に織られている。

 

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