バングラディシュ・スタディツアー2011(6)運動会の準備をしたが

ライスマーケット

帰りは歩いて。メイン通りの一本北側を歩いていると、ライスマーケットに通じていた。ライスマーケットと言っても、米屋が並んでいるだけではある。しかしそのコメの種類が多いこと、そして我々にはとても区別できないが、かなりきめ細かく等級などが分かれていること、が面白い。

店先にはカップに盛られた米が並んでいる。お客はこのコメを眺め、触り、そして品定めを行うのだろう。米を入れた袋はジュートなのだろうか。私は自分が何も知らないことを少し恥じた。しかし我々が現在生きている世界では、既に何も知らなくても生きて行けるし、エコなどと言われても、あまり理解しようとしなくなっている。

コックスバザールの街は非常にシンプルで落ち着いていた。まだ車もそれほど走っておらず、空気がゆったりと流れている。カラフルな幌を付けたリキシャーが行く。そんな中に、真新しい建物も出て来た。何とベンツの代理店も兼ねている。この街にも嵐がそこまで来ている。

校庭整備

夕方4時に集合して、学校前の校庭を整備する。学校との交流イベントとして、運動会を開催することにしたのだ。ここはある程度の広さがあるが、砂と土が入り混じり、髙さも一定ではなく、運動会をするには、整備が必要。またゴミも大量に落ちている。

ラジョウがどこからから鍬を借りて来て、多少平らになる。大量のごみを丹念に集め、火を点けて燃やす。一部の学生及び地元の子供たちは火が点いている上に土砂を投げ込むため、火が何度も消える。焚き火の経験はないのだろうか。

この一連の行為を遠巻きに地元民は見ている。大半は学校と関係ないイスラム系だと思うが、何だか不思議な感じ。日本から来た人間がごみを拾い、地元民がそれを眺める。これがボランティアと言うものだろうか。子供たちは遊び半分に見よう見まねで参加するが、大人が行動を起こすことは少ない。

学校の先生では我が家の家主ただ一人が作業に参加している。そんなものだろうか。疑問を呈せざるを得ない。作業は暗くなるまで続いた。

その夜学生は明日の準備、我々は昨晩同様反省会を屋上で行った。

11月10日(木)   (1)   五日目午前

ラカインの祭り

翌朝も快晴だった。普通同じ場所に数日居ると飽きて来るのだが、ここはなかなか居心地が良い。それは先生一家の献身的なサポート、日本の大学生の積極性、そして何より日々起こる変化のなせる技だろう。

今日も朝は学校でのボランティア活動。いつものようにお寺に行くと、様子が違っていた。大勢の人がいて、飾り付けがなされていた。先日はイスラムのお祭りであったが、今回はラカインのお祭りらしい。独特の雰囲気がある。

通りの方から人々が歩いてくる。よく見ると先ずは若者男子がやってきた。造花に飾りのお札が付けられた物を持っている。供え物だろう。ミャンマーでも見られるロンジーを穿いている。Tシャツにジーンズというラフなスタイルもいる。

次に若い女性たちがやってきた。こちらはほぼ統一されており、白いブラウスに黒っぽいロンジー、肩から胸にかけて、布が掛かっていた。手には供え物として、布や飾り物を持っている。そして子供たち、女の子がやってくる。お姐さん達と同じ格好の子もいれば、洋服の子もいる。何とも可愛らしい。

このお祭りがどのような意味を持っているかは聞き漏れたが、何とも素朴な雰囲気が良かった。

学校② 体育授業の意味は

学校へ行く。2回目のこともあり、子供達も笑顔で迎えてくれる。学生は2-3人ずつに分かれて教室に入り、日本語を教えるなど、何らかの活動を開始。いい雰囲気になってきたが、未だに子供達に戸惑いが見える。

外では大縄跳びが始まった。日本では小学校などでやっているので違和感がないが、説明を受けた女の子たちは怯えて動かない。学生が見本を見せると、なるほどという顔をしたが、いざ自分がやるとリズムも取れないし、縄が当たるのでやりたがらない。この種目は運動会では使えない。

校庭では一列に並んで、走る練習。こちらは比較的スムーズ。しかしこの地の学校には体育の授業はあるのだろうか。運動会企画はどうなるのだろうか。体育の授業などなくても、皆外で楽しく遊んでいるのだろうに。運動を教えるとはどういう意味があるのか、今まで使っていない身体機能を使うことを促すのだろうか。その後は寄贈したサッカーボールを持ち出し、男子チームが炎天下で大活躍。





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