インドムナールお茶散歩2014(6)ムナール お茶博物館

Tea Museum

先ずはTea Museumへ向かう。ここへ行けば何か分かるだろう、という理由から訪ねてみたのだが、突然ビデオルームに入れられ、ビデオを見た。だが途中から見たので、この地域の初めの頃の歴史は分からなかった。ただ一つ重要なことに気が付いた。私は『ムナール=ニルギリ』と思い込んでいたが、実はニルギリではなく、ここのお茶はムナール茶だった。しかもインドの最大財閥タタが経営しているという。

ラトールさんには『インド南部の茶畑に行きたい』と伝えていた。勿論ウーティという地名も出していたのだが、『ウーティよりムナールの方が良いと聞いた』ということ。どうなるんだろうか。ニルギリは有名なブランドだが、ムナールなんて聞いたこともない。

博物館なのにここには茶工場に設備が一式あり、Tea Factory見学ができるようになっていた。そしてお茶の販売所があった。私は歴史に関する資料を探したが、見付からず。他の見学者(多くはインド人)は緑茶を買い漁っていた。何故緑茶?

実はこの見学の中でここのマネージャーのオジサンがお茶について説明した。いきなり『緑茶は薬であり、紅茶ではなく緑茶を飲む方が健康に良い。日本人は緑茶を飲んでいるから健康で長生き、また仕事も一生懸命できる』というので、内心『このオジサン、何言っているんだ』と思い、あまり真剣に聞かなかった。折角ここまで来たのに、紅茶の話ではなく緑茶の効能などを聞いても仕方がない。

初めてお茶の説明を受けたラトールさんは喜んでしまい、オジサンの説明にも感化されていた。私はオジサンを探し『この地域と工場の歴史を知りたい』というと、『ビデオを見ろ』と素っ気ない。仕方なく最初に戻ってビデオを見た。1880年に初めて茶が植えられ、1894年頃から本格生産が始まり、1924年には大洪水で壊滅的な被害を受ける。この辺の歴史は全てイギリスが主導である。茶葉はロープウエーでコーチンに運ばれ、輸出された。

戦後はイギリスが手を引き、60年代にはインド最大の財閥タタが参入。80年代には株式を完全に握り、タタ経営で紅茶が造られていたが、2005年に従業員に株式を譲渡。タタは17%を保有する一株主となり、KDHRは従業員12,500人、17の工場を抱える大集団となった。現在は3工場でリーフティ、1工場で緑茶、残りは紅茶を作っているという。

この辺の話はオジサン、スニール氏から聞いた。ビデオを見て戻ってきた私が彼のオフィスを訪ねると快く迎え入れてくれ、話をしてくれた。開口一番『この辺の人々はお茶の何たるかが分かっていない』といい、それはインド全体だともいう。彼はここに来て2年、緑茶の研究をしているという。だから先ほど緑茶についての説明を重点的にしていた。毎日Webで色々な資料を読み、日本の茶についてもそこから知識を得ている。だから教科書的な『日本人は緑茶を飲んで健康』という話になったようだ。

タタが株式を従業員たちに売却したのも、『タタから給料をもらって、満足している人々にやる気を出させるため』だったという。タタの給与、福利厚生などはインドでも最高水準にあり、それに慣れた従業員たちは自ら考え、動くことはなかった。勿論そもそもお茶はコーチンのオークションに送られるため、自分たちで品質向上を図るとか、販売戦略を考える必要はなかったのだが。

これから訪ねるべき工場と買うべきお茶を聞こうと思っていたら、ちょうど次のお客さんへの説明の時間となり、スニール氏はそそくさと行ってしまった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です