東北、北海道を行く2021(3)バスで大間へ

さすがに歩き疲れた。ちょうどバス停があり、バスが来るらしいので待ってみる。原野、という感じのところに、なぜか日の光が差してきた。ミニバスがやってきたので乗り込む。町まで戻るだけだったが、何と運転手が運賃が分からないというので困る。このコミュニティーバス、近隣の人しか乗らないので、彼らは勝手に料金を放り込んでいくようだ。

そこから別のバスに乗り換えて、宿の近くを通り過ぎていく。今度の目的地は柴五郎旧居跡。むつ運動公園近くの林の中、クマ注意と書かれた看板の先にそれはあった。これだけを見ても、150年前会津から来た柴家がどんな環境にあったかは推して知るべしだ。その苦難の様子は『ある明治人の記録』に詳しく書かれている。

ここには柴五郎顕彰碑が建てられている。苦労を重ねた柴五郎は、1900年の義和団事件の際、各国公使館と連携して居留民保護を行い、各国に称賛された英雄。その後に締結された日英同盟の陰の立役者とも言われており、会津初の陸軍大将に上り詰めた。彼については、興味深い人生が満載であり、今後も調べていきたいと思っている。

歩いて宿に戻ろうとしたが、途中でエネルギー切れを起こす。ちょうどすき屋があったので思わず入る。午後3時、こんな時間にご飯が食べられるところは他にない。温かい物が欲しくて、牛すき鍋定食を注文。生卵が2個もついていて、感激。なんだかとても美味しく頂く。

また雨が降り出し、急いで宿へ駆け込む。チェックインすると、何と温かい肉まん1個が渡される。こんなサービスは初めだ。今思いっきり食べたばかりだが、冷めてはいけないので、部屋で腹に押し込んだ。疲れて果てて寝込むと夜になっており、腹は相変わらず満腹で、風呂だけ入り、また寝てしまった。

11月15日(月)大湊へ

今朝は天気も回復している。当然早起きして、朝ご飯に挑む。和洋折衷を思いっきり食べた。今日は大間までバスに乗るのだが、出発まで時間があるので、隣駅の大湊まで歩いてみることにした(昨日電車に乗れば乗り放題切符で無料だったのに)。20分ほど歩くと、『斗南藩士 上陸記念の地』という表示が出て来る。会津からこの地にある者は陸路で、ある者は新潟から船でここへやってきた。

線路が続いている。そこを横切り港の方へ。小さな港、その横に記念碑が隠れるように置かれていた。その先にJRの終点、大湊駅があった。ここまで来ると、突き抜けた感じになる。会津から来た人々が見た風景、不安は如何ほどだっただろうか。帰りがけに立派な体育館や公園を見た。公共事業だけが盛んなのはどこの地方も一緒か。

バスで大間まで

宿まで戻り、荷物を取って駅前のバス停に向かう。念のため大間に行くバスを確認すると案内所の女性は『バス停のところに書いてあるでしょ』と素っ気ない。だがそこには終点の佐井行とは書かれているが、大間を通るとは書かれていない。なぜこんな対応を取るのかと訝しく思ったが、最近の傾向として『そんなのは検索すれば、分かるでしょう』なのであろう。でもそれなら『案内所なんかいらないでしょう』と言いたい。でも人がいないよりいた方が安心感はある。

バスに乗り込むと他に乗客は1人しかいない。本当に大間に行くのか運転手に聞いてみると、ちゃんと頷く。料金は高額でしかも現金のみだから予め両替した。バスが走り始めると何と私が昨日歩いた道をなぞっていく。実はこのバス路線、Googleでは出てこない。だから不安だったのだが、乗客も徐々に乗ってきて順調に進む。

バスは軽い山越えを経て、太平洋へ出た。何だか急に視界が開けた。1時間弱で大畑という営業所でバスは停車して休息した。私はトイレを探してまごつき、乗り遅れそうになる。ここは元々鉄道路線があったところのようで、線路が見えた。この付近でも結構人が乗ってくる。彼はどこへ行くのだろうか。

更に海岸線を北上すると下風呂温泉郷なる所で、おじさんが降りた。鄙びた温泉宿にでも泊まるのだろうか。非常に率直な感想を言えば、『こんな場所にも人は住んでいるんだな。温泉もあるんだな』。会津の人も下北でそう思ったのかもしれない。海岸線には漁に出る船も見られ、また漁師小屋もあった。

大間と言えばマグロが有名だが、こんなところにあるとは思っても見なかった。ちょっとした街に出たが、フェリーターミナルはまだ先だという。そして街はずれ、本州最北端の地という表示を見た後、ついにターミナルが見え、バスを降りた。乗車時間は約2時間、料金は2500円を超えていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です