鹿児島茶旅2020(6)再び知覧へ

そこから3日前も通った道を再び知覧まで行く。着いた場所は、先日Oさんと横を通った鹿児島県茶業試験場。あの時は分からなかったのだが、何とここは既に移転しており、元試験場になっていた。60年ほどの歴史があったようだが、確かに今や人影は全くない。Kさんの計らいで、自由に中を見学することができた。茶工場内には製茶機械などがそのまま残されており、まだ十分に現役の余韻が漂う。古びた木製の揉捻機が歴史を感じさせる。

試験場には研修生など若者もたくさん来たようで、その名前が書かれていた。県としても若手の茶関係者、茶農家を育てる必要があり、大学に近いところに試験場も移されたらしい。外へ出ると目の前に茶畑がある。よく見ると台湾種などと書かれた茶樹もあり、多くの品種が植えられていた。その品種改良も活発に行われていたらしい。

この茶畑もその内取り壊されて歴史から消えていくのだろう。何となく寂しい。現在鹿児島の茶業はあの静岡を抜いて、生産量日本一がまじかに迫っていると聞いている。春に来れば、その勢いが十分に感じられるのかもしれないが、今回訪ねた地域では、ごく静かな印象しかなく、どうしても中国などの他国を見てきたものかたらすれば、日本の茶業全体が伸びているようには感じられなかった。

Kさんは私のFBを見ていたようで、知覧バーガーを買いたいというので、先日Oさんと行った店に寄る。だが11時からしか開いていないとのことで、少し待つ間、私は向かい側にあった英国館という紅茶屋へ入り、その展示物を見学した。英国館は紅茶の世界では有名なお店だと聞いていたので、鹿児島紅茶の歴史などが詳しく語られているかと思ったが、それほどなかった。英国館という名前からしても、英国紅茶がメインであり、従来日本において紅茶というのは西洋の飲みものだということを思い出させた。

それから急いで市内に戻る。Kさんは学校の先生なので午後授業があるのに、今日付き合ってもらい、非常に感謝している。借り出した本を見て、必要な部分は近くの店でコピーした。ここのコピー代が安くて、それにも感激した。その後また歩いて宿の方へ戻る。30分ぐらい行って、川沿いの維新ふるさと館に入り、休む。ここは幕末維新の歴史、そして鹿児島の偉人とその家族についての展示があり、参考になる。

もうやることもないので、そのまま川沿いをフラフラと歩いて行く。途中に松方正義の立派な像と生誕地があった。松方は明治、大正に政府の重職を担った人物だが、この場所から見ると、西郷や大久保とは少し離れた位置関係にある。明治14年の政変から松方デフレ、茶業者には評判も良くなかったが、その人生はもう一度じっくり見ていく必要がありそうだ。

気が付くと海の方まで来てしまった。調所笑左エ門の像が建っていた。調所と言えば、幕末に藩財政を立て直した人物で、これが後の倒幕に繋がるから重要だ。ただ抜け荷などの嫌疑をかけられ、切腹しており、薩摩が大いに活躍する幕末には登場しない。出てきても悪役だが、果たして本当にそうなのだろうか。

天保山砲台跡があった。ここも昨日見た砲台跡と同様、薩英戦争で砲撃された場所だ。更に行くと、何と坂本龍馬新婚の旅碑というのがあった。坂本龍馬とおりょうは日本で初めて新婚旅行をしたと言われているが、本当にそうなのだろうか。明治以降のおりょうさんの寂しい最期を考えると何となく悲しくなる。

また川沿いを戻っていく。途中の公園に乃木静子像があった。あの長州出身の乃木将軍の妻、明治天皇に殉じた女性は、実は薩摩の出であった。なかなか歴史の表舞台には出てこない女性史。これからは大いに注目してみたいような気がする。

時間となったので、荷物を宿で受け取り、駅前のバスターミナルへ行って、空港バスに乗る。また昼ご飯を抜いたので、そこにあったコンビニでサンドイッチを買って食べようとしたら、税率が2%違うと言われ、驚く。確かにニュースでは聞いていたが、コンビニが設置したスペースで食べるのと、その外側のベンチで食べるのに、税金が違うというのは何とも新鮮ではあるが、府には落ちない。コンビニ店員の応答は門切り型で慣れたもの、この種の問いは既に多く投げかけられており、皆が疑問に思っていることがよく分かる。空港まで1時間ほど、到着しても乗客の姿はあまり見られない。『知覧茶 全国茶品評会 日本一に輝く』という横断幕が誇らしげに掲げられていた。

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