京都ぶらり茶旅2020(5)歩き疲れて京都を去る

既にどれだけ歩いてきたのだろうか。更に金閣寺を目指して30分ほど歩いた。京都でも屈指の観光地であるこのお寺、他の場所よりは観光客がいたが、外国人の姿はここにもなかった。さすがに3日目となり疲れも出てきたので、今日の午後は金閣寺傍にある、お知り合いのISO茶房へ行き、ゆったりとした時間を過ごすことにした。

特に予定はなく、美味しいお茶を淹れて頂き、店主とダラダラと茶の話をする。残念ながらコロナの影響でお客はかなり減ってしまったらしい。今日は定休日なので、お客を気にする必要もなく、ゆっくりと話し、そしてお茶関連の本を見せてもらった。夕飯も近所のインド料理屋へ行き、バターチキンを食べた。京都へ来るとなぜかインド料理、という不思議な巡り合わせがよい。

夜、バスで宿へ向かった。いつもは渋滞がある時間だがスイスイ走り、立っている乗客もいないのが、今の京都である。京都駅の一つ前のバス停で降りてみたが、灯も薄暗く、何とも寂しい光景だった。まあ、人が多過ぎる京都よりは良いのかもしれないが、これからが大変だ。

6月25日(木)本願寺

今日は夕方の新幹線で東京へ帰ることにしていた。お天気は雨模様であり、部屋でゆっくりしてから荷物だけ預けてチェックアウトして、外へ出た。取り敢えず近所の本願寺へ向かった。西本願寺へ行くと、しっかり門が閉ざされていた。ここは横の門だったのだろうか。

フラフラしていると、由緒正しき建物が見えた。龍谷大学の建物らしい。それから東本願寺へ行く。ここは敷地が広い。本堂へ上がろうとすると、靴は自分で持っていくようになっていた。勿論消毒液も備えられていた。コロナ対策も万全なようで、こちらには地方から団体でお参りか研修に来ている人々がいた。

コロナのような状況下、本来宗教はどのように対応するものなのだろうか。人々の苦難、危機に対して、日本の仏教は何ができるのだろうか。東南アジアなどでは、このような状況が発生すれば、お寺が率先して困っている人々の救済に動くと思われるが、日本においては、お寺が何か行動しているとの報道を見かけることはあまりないように思う。我々もそれに期待することはなく、政府の支援にばかり目が行ってしまう。宗教に関心が薄い日本人、そして拝観料を取って寺を経営する仏教団体、これはどう考えればよいのだろうか。

更にずっと歩いていくと、豊国神社に出た。豊臣秀吉の像が飾られている。本来はここから方広寺へ出るはずだったが、なぜか反対を歩いてしまい、初日に行った三十三間堂の向かい、国立博物館に来てしまった。折角来たのだから見て行こうとすると、現在見られるのは庭だけらしい。京都の歴史を知りたいと思っていると、係員から『それならここではなく、京都文化博物館でしょう』と言われ、その行き方まで教えてくれた。

雨が降り出した。ちょうどバスが来たので急いで乗り込む。一昨日歩いた四条通で降りて、そこから北へ向かう。京都文化博物館はかなり重厚な建物だった。そこは別館で、旧日本銀行京都支店だったという。昔金勘定が行われていたであろう場所も今はだだっ広い空間となっている。

繋がっている本館まで行く。入場料を払う前に、名前や住所を書かされる。これもコロナ対策だ。東京の文字を見るとほんの一瞬、係員の目が動いたように思えた。2階、3階を見学したが、残念ながら茶の歴史に関する有益な情報は特になかった。京都では茶は日常なのだろうか。まあ歴史が多過ぎて、展示もできないのであろう。

もう京都に用はないように思われたので、駅前まで戻る。腹が減ったので、駅地下へ行ったが、あの洋食屋は昼過ぎでも満員で驚いた。仕方なく、京ラーメンを食べに入る。セットに衣笠丼というのがあり、珍しいので頼んでみた。油揚げと九条ネギを玉子で綴じている、大阪ではきつね丼というものなのだろうか。

ふと宿でもらった割引券を思い出す。展望台と大浴場の券だったが、展望台には興味がなく、汗をかいていたので、地下の大浴場に行ってみる。浴室には数人のお客がいたが、ゆっくり浸かっている人はいなかった。そうだ、ここでも感染リスクはあるので、不必要に来るべきではなかった思い、体をさっと洗って、すぐに上がってしまった。ゆっくり体を伸ばしてほぐす、という雰囲気はなく、むしろ体が緊張してしまった。

京都駅のバスターミナルは依然として人がいなかった。新幹線のチケットを買い、素早く京都を離れた。駅には『7月からレジ袋有料化』『新幹線の特大荷物事前予約サービス』などのポスターが虚しく貼られていた。乗客はやはり多くはなかった。途中名古屋駅のホームできしめんが食べたかったが、降りるのが面倒で、そのまま通過して、東京へ向かった。

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