ご縁で行く湖南省茶旅(2)安化 女社長の誕生会に乱入し、千両茶作りを見学

安化への道

食後、私は明日どうすべきか聞いてみた。明日は日曜日、工場は月曜日にしか開かない。すると茶荘のオーナーが「八角茶業」と書いた。これはなんだ、と思っていると「じゃあな、俺たち、用事あるから」と言って、茶荘オーナーと茶葉局長は外出してしまった。取り残された私は茫然。「八角茶業」はどうなるんだ?

仕方なく店番していた奥さんに聞いてみた。「あ、ここは安化にあるよ、でも路線バスでは行けないね。うーん、地元の人しか乗らない乗り合いタクシーがあるから、明日の朝ホテルに迎えに行ってもらおう」と言い、電話してくれた。更にはこの「八角茶業」のオーナーにも電話し、明日の訪問の了解を取り付けてくれた。これで突然ながら、有名な安化へ行く道が開けた。何だかすごく簡単に事が運んでいる。

10月14日(日)  2.安化  安化まで

翌朝も天気は小雨。朝6時台に起きて、タクシーの運転手に確認の電話を入れたが、イマイチ要領を得ない。まあ、それでも待っていればいつか来るだろう。8時前にホテルをチェックアウトし、ロビーで待つがなかなか現れない。ちょっと不安。8時半前に普通の乗用車がホテル前にやって来て乗り込む。既に先客は3人、私は後部の真ん中に押し込められ、窮屈な旅となる。両脇は男女の若者。ちょうど街から村へ帰る所らしい。

最初は舗装道路を走って快適な田舎ドライブだったが、途中から本当の田舎道を走り始め、物凄く狭い農道なども走り、後部真ん中の座席はかなり大変な状況になった。後で聞けば、現在舗装道路の工事中とかで、已む無くこの道を通っているらしい。1年後ぐらいには益陽から安化までさっと走れるようになるのだろう。

およそ3時間、車に揺られた。これは結構堪えた。安化の街に入り、一人ずつ車を降りていく。実は安化に入る前に電話があった。女性からだったが、何を言っているのかよく分からずに、思わず隣の女性に電話を替わってもらった。彼女が受けた電話の指示を運転手に伝えた。そして・・。

川沿いの道でいきなり降りろと言われた。料金は70元だった。降りたがどうすればよいか分からない。キョロキョロしていると「八角茶業」の看板が見えた。助かった、と思い、中へ入ったが、そこにいたおばさんは無情にも「ここじゃない、あっちだ」という。

真昼の大宴会

どうしようかと又迷っていると向こうから女性がやって来た。こっちだ、という感じで、ずんずん先導していく。私が会うべき人物、鄧さんだった。レストランへ入る。既に人が沢山いる。一体何が始まるのか、そして私はどういう位置づけなのか、さっぱり分からない。

言われるままに奥の丸テーブルの席に着く。私の横に鄧さん、反対側には一番の長老であるおじいさんが座った。まさか私が主役ではいないよな、と不安に。今時どんな田舎でも外国人が来るからと、みんなが集まって宴会はないだろう。

おじいさんが何処から来たのか聞く。「日本人だ」と答えると、一瞬皆「え、」となる。良く見るとテーブルの向かい側には公安の制服を着た男性までがいた。あれ、どうしよう。するとおじいさんが「今回の野田(首相)のしたことは明らかに間違いだ」と言い始めた。これはまずいことになった、尖閣問題がこんな所で飛び出した。他の皆もどうしたものかと成り行きを見ている。

私は「政治的には日中は色々とあるが、私は純粋に皆さんの街のお茶の歴史を知りたくてやって来た者だ。安化黒茶について教えて欲しい」と率直に伝えたところ、誰かが「それはいいことだ」と発言、おじいさんも「好!」と言って、急激にその場が和んでいった。おじいさんも取り敢えず長老として、一言形式を述べたにすぎないという顔をして、その後は実に和やかに食事が進んだ。日本で報道されているような雰囲気ではなく、一つの儀式のようなものだった。

しかし鄧さんは今一つ浮かない顔で「そうか、お茶の歴史が知りたいのか、それなら街に詳しい人がいるかもしれない」などと言い出し、当初はあまり相手をしてくれなかった。というより、何故か皆が鄧さんに向けて白酒を突き出し、乾杯の嵐となる。これは凄い、真昼の大宴会だ。ようやくわかったのは、今日が鄧さんの誕生会だったこと。中国では誕生日の人が皆に御馳走するから、彼女も自分持ちで日頃世話になっている人、親せきなどを呼び集めたらしい。それにしても白酒のビンがどんどん空いて行く。恐ろしい。

料理も豪快だ。蛇の煮込みや虫の唐揚げなど、ワイルドな料理がテーブル中に並ぶ。久ぶりに辛い食べ物を堪能した。湖南省と言えば、辛い、というイメージほどではないが、程よい辛さの料理が多い。

鄧さんが酔っぱらって来た。するとしきりに私の方を向いて「よく来た、本当にこんな所までよく来た」と言い出す。そして「やっぱり、あんたは私のお客だ。私の工場を見に行く」と言い、宴会が終わると車に乗り込む。親戚数人がそれに続く。

安化千両茶の製造過程を見る

鄧さんは飲み過ぎで相当に気分が悪かったろうが、それから30分の山道を登り、工場に着いた。確かにここまで一人で来ることはほぼ不可能。これもご縁だな、と思う。雲っているが、空気も良い。

工場は思ったよりもはるかに大きかった。敷地内に入り、事務所で黒茶を飲む。何だかとても水が良いという印象。2009年頃までは普通の生産だったが、10年以降は生産が急拡大しているという。実はここでは黒茶だけではなく、春は緑茶、秋は紅茶も作っている。工場経営はそんなに楽ではない。

鄧さんはお父さんの工場を引き継いだ2代目社長。本日ちょうど40歳。私をどこかの茶商と間違えて、商売の話だと思って受け入れたようだ。本当に悪いことをした。だが、結果的には実によい出会いとなった。

そして工場へ入ると、何と千両茶を作っている所だった。これは滅多に見る機会がないと、写真を撮りながら見入る。千両茶は重さ千両からきた独特のお茶。茶葉を藁?に詰め、5人の男が足でそれを踏みつけ、転がして作る。これは大変な作業だ。伝統芸能的な雰囲気がある。殆ど作ることはなかったが、最近の黒茶ブームでニーズが復活、それでも毎日作っている訳ではないので、作業現場見学は貴重だ。

作業している5人のうち、熟練工は1人。後は若者。この作業は若者が良い。彼らは以前広東省などに出稼ぎに行っていたが、地元に職が生まれ、こうして故郷で千両茶を作っている。これが沿海部の人手不足現象の一端だと思われる。それにしても迫力がある。

鄧さんと工場前で記念写真を撮る。「来てくれて本当に良かった」と言ってくれたのが嬉しい。何だか鄧さん、泣いているように見えた。酔いのせいだろうか。

安化の街

親戚の人の車に乗り、安化の街へ戻る。「歴史を知りたいのならXXへ行け」と言われ、車に乗ったのだが、意図はよく伝わっていなかったらしく、運転していた人は「俺はよく分かんない」と言い出す。私も行く先の名前すら知らないので、こちらは諦めて、適当な場所で降りる。

今日は安化の街に泊まるつもりでやって来たが、何となく目的を達成したような気分になっており、また適当な宿も見当たらないことから、益陽に戻る道を探る。来る時はタクシーだったから、どうしたものだろうか。その辺の人に聞くと、バスターミナルを教えてくれたので向かう。ちょうど40分後に益陽行き最終バスが出るというので、切符を買う。

まだ時間があるので街を散歩する。実に古めかしい瓦屋根の家々が点在している。本当に昔の町並み、という感じで、空気も時間を超えている。資江という河が流れている。山に閉ざされたこの地域の唯一の道だっただろうか。この河が益陽に流れ、洞庭湖に流れ込んで行く。安化の茶葉もこの河を通じて運ばれていったのだろう。実に歴史を感じる風景だ。

バスは午後5時前に数人の乗客が乗って寂しく出発した。河沿いに道を取る。しかしやはり来るとき同様、道路工事の影響か、田舎の農道を走り出す。そうなると大型バスのこと、対向車とのすれ違いなどに大いに時間が掛かる。その内周囲は暗くなり、益々危険な感じがしてくれる。安化に泊まればよかったのだろうか。

一度トレイ休憩があったが、バスは3時間半ほど掛かり、益陽の街に到着した。益陽鉄道駅前で下車したが、既に相当に疲れており、タクシーを捕まえて今朝チェックアウトしたホテルに戻る。ホテルでは顔を覚えており、「昨晩泊まったお部屋は如何でしたか?宜しければ本日もこちらでどうぞ」と笑顔で言われる。安化で見たあの歴史的な風景とこの近代的なサービス、どちらも良いと思うのだが、突然都会へ戻り、少し戸惑う。





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