新疆南路を行く2012(6)コルラ 危険なモンゴル宴会と幻のロプノール

6.コルラ   (1)危険なモンゴル流宴会

そしてコルラに到着。コルラ市内はこれまでの新疆の都市と異なり、ウルムチに近い、発達した街だった。KFCなどの外食、ブランドショップなども見え、景気の良さを伺わせた。今日の宿泊先は巴音郭楞(バインゴロン)賓館。何か馴染みのない名称だなと思っていたら、何とここはモンゴル自治州。新疆にもモンゴル族が多数住んでいるのだ。だが、何故モンゴル族多いのだろうか。どうやら新中国後に大量の移住が行われたらしい。

今回のJ教授、S教授のお知り合いは、モンゴル族。お互いが北京に居た時に知り合ったというS教授とモンゴル族幹部。不思議な出会いから、今日があった。面白い。夕食はモンゴル式歓迎宴会。テーブルには豪華な食事が並び、美味しく頂く。そして・・。

モンゴル式の歓迎宴。5人のモンゴル服を着た男女が登場し、歓迎の歌を歌ってくれる。そして踊る、そして酒が入る。白酒だ。一番恐ろしいのは女性三人が金の杯、銀の杯、玉の杯の3つになみなみと白酒を注ぎ、お客に1つずつ渡す。相当の量があるため、お客が途中で杯を返そうとすると、女性はさっと手を開き、受け取ろうとしない。絶対に受けた杯は飲まなければならない。

そしてその儀式は、1人ずつに行われ、全員がへべれけに酔う。A教授は横のソファーに倒れている。まさに飲めや歌えや大宴会。最終的には数人をホテルの部屋にかつぎ込むことになる。実に久しぶりの事態に呆然。

8月20日(月)  (2)コルラ郊外へ

翌朝、頭を抱えて起きて来る人々。昨晩の大変さが分かる。今日は月曜日だが、どうやらラマダン明けの休日らしい。ということで、企業訪問は出来ずに。郊外へ観光に向かう。市内を抜けると、そこには郊外の新しい街がある。どんどん立派になっている。このようなことが、農村の都市化と関連しているように思う。

90㎞近く離れたロプノールのテーマパークへ行く。ここはタクラマカン砂漠の東の端。古代はロプノール人がタリム河河畔に定住し、独特の生活文化を営んでいた。漢の時代には王国があり、シルクロードの楼蘭への道の通過点。確かに今でもタリム河が流れ、タクラマカン砂漠が存在している。

園内にはロプノール人の文化が分かるような住居や結婚式の風景などが展示されている。そしてタリム河を渡り、タクラマカン砂漠ヘと進む。そこには駱駝がいて、観光客を乗せ、俄かキャラバン隊が結成される。

午後は天然の地下渓谷を訪ねる。周囲に全く何もない場所に、突然深い渓谷が現れる。それは一体何なんだろうか、どうして出来たとか、何故あるのか、といった疑問は愚問であり、まさにあるからあるのだとしか言いようがない。

とても不思議な渓谷だ。長さ49㎞、深さは10-30m。2000年以上前に出来たらしい。これが地下になっていて水が流れていたのだろうか。現在全く水はなく、観光客は渓谷内を歩き回る。結構暑い。人は殆どいない。

その日の夜、また宴会をしようという地元幹部を押しとどめて、簡単な夕食をお願いした。が、焼肉屋となり、またたらふく食べる。これでよいのか、これでよいのだ。

8月21日(火)   7.ウルムチ2   (1)ウルムチへ帰る道

一連の南新疆調査を終え、ウルムチへ。毎日のように車に乗って移動していると、もう何日目か分からなくなる。1週間以上が過ぎていた。高速道路で一路ウルムチへ帰る。

途中ガソリンスタンドに寄る。これまで何度となく、ガソリンを入れ、トイレ休憩を取るために、ガソリンスタンドに寄ったが、最近はどこにでもコンビニのような店がある。入って行くとちょうど従業員が集まり、朝礼の真っ最中。これって、日本式か。「顧客第一」など、まさに日本的な指示を責任者が出していた。飲み物も沢山買うと安くなるなど、色々と工夫がなされており、面白かった。

ランチも高速沿いのレストラン。ラグメンを注文したが、ここの麺も美味しく、ついお替り、というか替え玉をお願いしてしまった。本当に幸せな気分だった。このラグメンさえあれば、私は新疆で暮らしていける。

7時間ほど掛けて、ウルムチに到着。先日のホテルにチェックイン。疲れていたが、N教授達は最後のウルムチの夜ということで、J教授一家が参加して、ホテルで晩餐が行われた。特にJ教授は日本でA教授の教え子、ということがあり、実に中国的な師弟関係を築いていた。「先生」と言えば、日本では今や濃い関係は少ないが、中国では先生は絶対の存在であり、生徒は一生先生を尊敬し、尽くしている。




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