《新疆南路を行く》 2012年8月13-23日
大学の先生の調査団に同行して、この1年で2度新疆へ行った。最近の傾向として同じ場所へ何度も行くことが無くなっており、貴重な旅となっている。3回目の旅にもお誘いを頂き、是非行こうと考えた。ところが日程を見ると8月9日出発、私はサラリーマンを辞めた時の夢の一つ、一日中オリンピックを見ながら過ごす、をロンドン五輪で実践することになっていた。
どうしようかと迷ったが、兎に角オリンピックが終わったら、走って行けばよい?という気持ちになり、途中合流を画策。何と合流場所は新疆の果て、南新疆のホータンになった。どうすんだ、大丈夫か。
2012年8月13日(月) 1.ウルムチまで (1) 北京経由
ロンドンオリンピックの熱戦を家内の実家に泊まり込み、16日間見た。一日16時間、飽きもせず、むしろリズミカルなほどに規則正しく見た。朝6時にゴミだしか洗濯を干し、就寝。午後1時ごろ起床し、食事、買い物、そして午後4時頃から再びテレビを見ていた。
閉会式は12日、日本時間の朝4時頃から始まっていたが、実は競技には興味があるものの、閉会式には何の興味もなく、出来るだけ睡眠を取り、それでも朝6時には家を出た。羽田から朝の便で北京へ向かった。羽田で知り合いの夫婦が仲良くベンチで寝ていた。微笑ましい。
飛行機は満席で、何とビジネスクラスにアップグレードされた。だが眠たくて、殆どビジネスクラスを満喫できずに、時間が過ぎて行った。順調に北京に着いたが、次のフライトが少し遅れた。3時間ほど待って午後4時のフライトで更にウルムチへ向かった。午後8時過ぎにウルムチ到着。だがここ新疆には新疆時間があり、まだ午後6時半だった。何だか一日がとても長い。
(2) 迎えは来ていたが
空港にはJ教授が依頼した迎えが来ているはずだった。だが私の名前を持った人はいない。どうしようか、J教授たちは今、ホータンで活動中である。すると無垢付けきオジサンが私の方にやって来て、私の名前を告げた。何とか助かった。
彼の車に乗り、夕暮れのウルムチ市内へ。夕陽が綺麗だった。日本は蒸し暑かったが、ここ新疆の夕方は結構過ごしやすい。途中日本人女性から携帯に電話がある。北京駐在のMさんの奥さんがちょうどウルムチ旅行中で、気を使って電話をくれた。一人なら一緒に食事を、と言ってくれたが、実は約束があり、ジョインできなかった。残念。
車は若干渋滞があったものの、40分ほどで、ホテルへ。ホテルの名前も良く知らずに来てしまったが、迎えのオジサンは「俺は車から降りないよ」と言って走り去る。あれ、大丈夫かな?
案の定、ホテルでチェックインしようとしたが、誰の名前で予約したか分からないという。私の名前を入れていないのだ。困ってしまいJ教授の名前から、大学名、その他知っていることを全て言ったところ、何とか予約が見付かった。やれやれ。
2.ウルムチ (1)ホテルのネット
チェックインが済み、部屋に入り、インターネットを接続してみたが繋がらない。新疆では何度もこのネットトラブルに見舞われており、またかと思う。フロントへ行き、事情を話すと、担当が行きます、との答え。部屋で待っていると従業員が二人来て、機械を置いてサル。
ところがこの機械、どう使ってよいのか分からない。何だかガチャガチャやっている内に、何故か繋がった。この機械は不要だった。どうなっているのだろうか。確かにフロントでは、パスワードがあれば繋がると言っていたのだが。それでも私にこの機械が回って来たということは、時々繋がらない、またはある階は繋がらない、ということがあるということか。
このホテルも古いホテルを買い取ってオープンしたのだろう。いくらブランドが新しくても、設備はなかなか改善できない。現在は夏の繁忙期。これでもJ教授はいい所を抑えてくれている。昨年はホテル全体で10室しかネットが繋がらなかったのだから。
http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/4614
http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/4622
まあ、兎に角メールチェックできた。今日はこれで良しとしよう。
(2) 屋台と少女
今回お茶のご縁で、ウルムチ在住のOさんを紹介された。ウルムチに日本人が住んでいるのか、と何故か感心。Oさんは80年代から新疆の良さに惹かれ、今回1年の留学でやってきた。ウイグル語の勉強だそうだ。それはそれで凄い。
ホテルの直ぐ近くの屋台街へ行く。夜も8時過ぎると涼しい風が吹き、雰囲気がある。ラマダン中の今、日暮れ後は大勢の人が出て来て賑わう。ケバブを頬張り、ポーラを味わうと、新疆に戻ってきた感触が出る。
小さな女の子が抱えきれないほどの新聞をもって、テーブルを回っている。こんな夜に新聞を読む人などいるのだろうか、と思ってみていると、恐らくは内地から来た中国人観光客と思われるオジサン、オバサンが結構買っている。それは決して新聞が読みたかった訳ではない。今では豊かになり、新疆旅行に来られる身分になった人々が昔の自分や自分の親族、そして近所の人々のことを思い出して、呼び止めているように見える。ただ新聞を買うだけでなく、何か声を掛けている姿が非常に印象に残る。中国の格差社会はまだまだ続く。
8月14日(火) (2) チャイハネ
翌朝も昨晩に引き続き、Oさんにお付き合い頂き、ウルムチのお茶屋さんへ行く。現在ラマダン中でウイグル系のお茶屋さんは皆、日中営業していない。Oさんは態々調べてくれて、回族系なら開いているということで出掛ける。
今日はいい天気だ。市内中央にある広場の近くに、そのチャイハーネはひっそりと営業していた。そこでは朝ごはんを食べる回族の人々の日常があった。我々が入って行くと、ちょっと場違いだぞ、という視線に晒されるが、既に動じるような神経は持ち合わせていない。
油餅やサラダを取り、ミルクティ、チャイを飲む。このチャイ、私には正直飲み難い。元々牛乳やチーズが苦手であるから、仕方がないが、濃いミルクの味はどうにも飲みきれない。
店を出て、Oさんお勧めの湖南省の黒茶専門店へ行く。新疆では湖南省の黒茶、特にレンガ茶と言われている安いお茶が一般的に飲まれている。今回はその歴史を知りたいと思い、やって来たのだが、残念ながら閉まっていた。更にスーパーへ行き、どんなお茶が売られているのか見てみた。
意外や紅茶が並んでいる。レンガ茶も安価なものから少し高級なイメージの物までバリエーションが出て来ていた。それに種類が思いのほか多い。これも経済発展のお蔭だろうか。
途中歩いているとラビア・カーディル女史が所有していたという建物があった。中国政府は彼女を敵と考えて攻撃しているが、建物はそのまま残っているようだ。どういう意図があるのだろうか、良く分からない。ただ新疆でも彼女のことを知らない人が増えているらしい。