西の果てカシュガルへ行く2012(2)カシュガル 奇跡の乗継を経て美味い飯にありつく

(4)   乗継で走る

私は今日中にウルムチからカシュガルに行かなければならない。余裕を持って1時間50分の乗り継ぎ時間を設けたつもりでいたが、その時間は既にシンセン空港の遅れで使い果たしていた。蘭州出発時に遅れは1時間となっていたが、乗り継ぎ時間は50分しかない。通常国内線であれば、50分は十分な時間であるが、ウルムチ空港はターミナルが分かれており、前回の経験から、現在乗っている海南航空は第2、これから乗る南方航空は第3ターミナルとなる。このターミナルは少し離れており、第2を一度出て第3に行くには、少なくとも5-10分は掛かる。

先ずは機内でチーフパーサーに相談した。彼は直ぐに機長に聞いてみると言い、その結果、1時間前に着陸するので大丈夫と回答した。しかしその後、やはり50分前しか着陸できないと分かり、私をエコノミーの一番前に座らせた。その席に居た人間は黙って後ろへ移った。彼は航空会社従業員か、はたまた公安か。

そして着陸後、ビジネスクラスの乗客を飛ばして、私を一番先に降ろす。ところがそこはタラップで、バスが待っていた。地上従業員は一般バスに乗れと指示を出したが、私が日本人と分かると何と日本語で話しだす。時間が無いと告げると、横に来ていたビジネスクラス用のミニバスに私を乗せ、中にいた女性従業員に託した。

バスは直ぐに出発し、直ぐにターミナルへ到着。そして女性と私は走り出す。女性は途中、カウンターで南方航空チェックインの可否を確認、ダメと分かると直ぐにタクシーを拾えと指示する。ターミナルから外へ出ると、タクシーは見付からない。第3ターミナルが遠くに見えたので、取り敢えず走り出す。道は整備されておらず、雪が積もる車道をひた走る。途中から上りになり、相当きつくなるが、がんばる。そしてとうとう第3に到着。時間は4時を過ぎていた。出発階は2階、エスカレーターに乗り、南方航空カウンターへ。

チェックインカウンターには人は殆どいない。しかし係官は悠々と電話している。大声で、便名を叫ぶ。流石に反応した。直ぐにボーディングパスが出て来た。その時、私の便の搭乗アナウンスが流れた。それから荷物検査に進む。ここは混んでいたので、ファーストクラス用を通してもらう。靴を脱ぎながら、カシュガルのN教授に電話。その後、搭乗口まで走り、何とか間に合った。離陸予定時間の15分前であった。ドーッと疲れが出た。奇跡的に乗れた。

3.カシュガル  (1)   一日目夜

カシュガルまでのフライトは1時間45分。食事は出ずに、何と飲み物とパンが1個だけ。近頃の国内線はスリムだ。機体はE190と見慣れないもの。エンブラエルと言う名前らしい。機体は新しく、2人ずつ左右に席がある。私の隣は太ったハイティーンの若者。絶えず、体を動かし、落ち着きがない。一体なぜ乗っているのだろうか両親が横の席に居ることが分かる。

カシュガル空港はこじんまりしていた。着陸後、手荷物で外へ出るとウイグル人のJ教授が待っていてくれた。いや、J教授だけではなく、S教授、そして日本人N教授、A教授、O教授と勢揃いしていた。何だか恐縮。

市内は直ぐに行けるほど近い。ホテルは金座大飯店、名前は立派だ。部屋に入ると、正面道路に面しており、非常にうるさい。先生たちは反対側だったので、私もそちらに移動したいと申し出る。服務員のお姐ちゃんに伝えるが、何だか要領を得ない。何と北京語が通じているのか怪しいことが分かる。言葉が何とか分かるお姐ちゃんが出て来て、他の部屋を見せてもらう。静かな部屋、というと、内側の窓のない部屋に案内される。そこには木の浴槽があり、ちょっと魅力を感じたが、数日間窓のない暮らしはどうかと思い、反対側へ。

そこではちょうどカーテンの取り換え中で、私がこの部屋に泊まれるのか聞いても、返事すらない。とうとう少し大きな声を上げ、回答を促すと、ようやくこの部屋を使えと言う。何ともおおらかなサービス。そして懸案のインターネットがまた繋がらない。しかしそこでカーテンを付けていたニーちゃんは、ITに強く、日本語PCを苦も無く操り、直ぐに繋げてしまった。お見事。この意外性が良い。

夕飯とマッサージ

その日の夜はJ教授、S教授の同窓生、恩師などが数人集まり、宴会となる。ここカシュガルは南新疆最大の都市であり、かつウイグル族の割合が高い地域。ウルムチなどとは違い、街を歩いていても伝統的な帽子をかぶったウイグルの人々が多く見受けられる。我々が思う新疆の様子に非常に近い。

学生時代をウルムチで送った優秀な人材ばかりが集まった宴会。家庭の都合や本人の意思で故郷に戻り、カシュガルの役所や銀行に勤めているという。恩師によれば、「もしあのままウルムチに残って勉強していれば、相当な幹部になっていただろう人材もいる」とのこと。

料理は伝統的なウイグル料理で羊の肉は勿論だが、大豆や野菜など庶民的な料理も並び、実に美味い。カシュガルは不思議なくらい料理が美味い、何故なのだろうか。

食後、数人で脚マッサージに行く。夜は零下10度の街を息を白くしながら歩いて行くと芯まで冷える。香港も寒かったが、ここの寒さは本物だ。マッサージ店は大きかったが、お客が多く、マッサージ師はなかなか来ない。ようやくやって来たマッサージ師は全て漢族で内地からの出稼ぎ。ウイグル族のマッサージ師は珍しいらしい。この辺にも労働概念の違いが出ているようだ。

2月12日(日)   (2)   2日目

ムハマド・カシュガリの墓

朝起きて、ちょっと外を散歩する。相変わらず寒く、日も差さない。正直新疆の冬、というイメージを全く持ち合わせていなかったが、当たり前だが、夏のカラッとした暑さとは異なり、少しジメッとした空気が漂う。

郊外の観光地に行くという。途中で水を買いに寄った商店では、新疆でよく飲まれている湖南省のレンガ茶が沢山売られていた。昔は地味なパッケージだったが、最近は明るい包装なども出て来て少しオシャレになっている。

田舎道を30分ぐらい行くと、モハマド・カシュガリの墓があった。彼はその名の通り、ここカシュガルの地名の由来ともなった人物でウイグル人にとっては偉大な存在のようだ。11世紀に出たウイグルの大学者で「トルコ語辞典」を編纂した。1008年から1105年まで生き、長くバグダッドに滞在し研鑽に励み、1080年にこの地に戻ると、学院を創設。多くの学生を輩出し、ウイグル文化に貢献した。

この地には彼の墓があり、また記念館にもなっている。敷地は広大で、雪が積もる中、歩いて行くのは大変だった。残念ながら観光客の姿は殆どなく、地元の子供が薄着で走り回っている光景が長閑な雰囲気を出していた。





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