新疆北路を行く2011(10)伊寧 感動の十二ムカム生演奏

(4) 砂絵

かなり暑さを感じる昼前。ウイグル族のやっている画廊を訪問。ここは観光スポットにもなっているようで、漢族の観光客も出たり入ったりしていた。ここでは特殊な絵が作られていると言う。

当地の風景を描いた絵が部屋の壁中に飾られていた。がよく見るとギャラリーに飾られている絵は全て砂で作られていた。タリム盆地の砂だと言う。砂漠の砂を使うあたりはウイグルらしい。この絵は一人の人が作るのではなく、共同作業で製作していくらしい。しかし中には障碍者が作った絵もあり、名前が書かれていた。色々な形態があるのだろうか。

N先生は気に入った絵があるようだが、大き過ぎて荷物として持ち帰るのは辛いらしい。郵送もすると言われるが、妥協して小さな絵を購入。これはよい記念になるのではないだろうか。

それから昨晩行ったレストランにまた行き、今度は屋内で食事をした。ラマダンのため、流石に昼、外で食べさせるのは憚れるのだろう。この日はデザートにアイスクリームが出て来たが、これは非常に濃厚で美味しかった。

バスの駐車している場所まで馬車に乗ることにした。ゆっくりゆっくり進む馬を後ろから眺めていると妙に落ち着く。馬車が日陰には行った時、爽やかな風が通り抜けた。ウイグルを感じた。

(5) 村に出現した巨大工場

午後は伊寧郊外に行く。どこへ行くのだろうか。昨晩もご一緒したS氏の友人を拾い、北西へ車は進む。40分ぐらいすると田舎町が見えた。そしてそこから更に農村部へ。舗装されていない道路をデコボコ進む。

しかしこんな田舎に何の用があるのだろうかと訝り始めたその時、目の前に巨大な門が見えてきた。あれは一体何であろうか。周囲は高原のようになっており、何もない中、その場所の一群だけが、異様な感じで建物が建てられていた。

門を潜ると、左右に平屋だが相当大きな建物がある。正面には更に柱の太い、大きな建物が。ここは何なんであろうか。まるで北京の天安門広場を意識したような造りである。よく見ると看板があり、企業集団と書かれている。この地方の街にこのような巨大な設備を持った工場があるのだろうか。よくよく見ると向こうの方に工場が建設中であることが分かる。正面の建物はオフィスなのだろうか。

中に入るとコンパニオンがマイクを持って、案内に立つ。1階の広いスペースが会社紹介となっていた。皆必死にこの集団が何であるかを確認に走る。この工場が完成すると16,000人の雇用が生まれると言う。当然この村だけでは賄いきれいない。両脇の建物はそのための従業員宿舎。その規模は壮大で信じられない。

ようやく化学プラントであることは分かったが、創業者の名前を聞いてもピンとこない。これは調べないと分からない、と思い、後日検索してみたが、やはりよく分からない。新疆には資源目当ての漢族の投資が次々に投入されているとは聞いていたが、これだけ規模の大きな、何百億元という単位の投資を目の当たりにすると、政府の意図が分かるような気がする。

この工場群の周囲をバスで1周する。途轍もなく広い。更には先ほど入った巨大な建物の裏にもう一つ迎賓館のような建物が見えた。集団総裁の執務室だと言う。一体どんな人間なんだ、こんな所にこんなものを作るのは。基本的には内モンゴルで成功した漢族の投資とのことであったが、その実態は最後まで謎であった。

建設中の工場を眺めながら、銀行時代のプロジェクトファイナンスを思い出す。タイや台湾、韓国などで10年以上前、こんなプロジェクト予定地を視察、数字を弾いて融資するかどうか決めていた若き日の自分を思い出す。あの頃は物事を単純に考えていたな、今ではとてもこのようなプロジェクトに巨額な融資は出来ないな、と感じてしまう。規模が大きければ良いと言う論理と、それを恐れてしまう今の自分、どちらが正しいのだろうか。

(6) 感激のもてなし 十二ムカム

工場のあまりの規模に圧倒され、早く伊寧市に戻りたいと思ったが、前の車が先導してどこかへ行く。確か前には女性が乗っていたような、あれは誰だ。

街中へ行く。ある家の前に車が停まる。何でもモデルハウスだと言う。何のモデルハウスだろう。きれいな庭にきれいな家、貧困の村を救う政府の政策だろうか。説明を聞き損ねたので詳細は分からない。

彼女の正体が分かった。何とこの県政府のトップ常務委員さんだった。まだ30歳代ではないだろうか。ウイグル族出身の彼女は苦労して天津の南開大学に進み、地元に戻ってからは、党学校の教師をしていたらしい。それが先日抜擢されてこの県に赴任してきたとか。新しい力が必要なのであろう。

食事の場所として連れて行ってくれたのは、閑静な庭園を持つ、リゾート風宿舎。池などが配されたその庭を歩いて行くと、大きな屋根の下に桟敷がある。絨毯も敷かれている。この自然空間の中でご飯を食べる、と想像しただけで嬉しくなるような場所であった。更にその桟敷には先客が3人いた。県のお役人だろうか、などと思っていると、常務委員が「彼らはウイグル伝統音楽の奏者です」と紹介。確かに脇には楽器らしきものが置かれていた。

話の中に「十二ムカム」という言葉が出て来た。1547年、音楽と詩歌をこよなく愛するアマンニサと言うウイグル女性が新疆ヤルカンド(現在のカシュガル地区莎車県辺り)にあったヤルカンドハン国の王妃になり、多くの楽師やムカム音楽家を集め、大規模な整理作業を行い、その規範化を実現。歌詞の中にあった難解な外来語や古ウイグル語の単語、さらには古い宮廷詩的修辞などを取り、完全且つ厳密な構造体系を持ち、口語的で分かりやすい全く新しいムカムを誕生させた。

19世紀にはムカムはしだいに12曲の組曲に編成され、一曲ごとの組曲の演奏には約2時間を要した。この洗練されたムカムが『十二ムカム』である。従来は師匠から弟子への口承のみであったが、新中国ではそれを録音するなど保存に努めている。

その演奏は見事であった。日本人と言うことで、すばるや赤い絆など、日本の曲も披露された。やはりプロである。「日本にはもったいない、という精神があると聞いた。コーランの教えにも同じ物がある。相通じる」そして我々の希望を聞き入れ、食事の量を少量にしてくれた常務委員さんの心遣い、とても嬉しくなってしまった。爽やかな風が吹き抜ける桟敷の上で強かに酔ってしまった。

8月20日
(7) 帰路

翌日は朝早く出発した。それは私が青海省へ行くために、飛行機の時間に間に合うように皆さんが協力してくれたせいである。朝7時出発、これはこの地区では驚異的に早い。周囲は真っ暗。それでも漢族観光客は我々より先に出発して行った。彼らの観光は一日いくつ回るかが勝負。すごい。

今日の行程はウルムチ市に戻るだけ。その距離、680㎞。予想時間は10時間。これは長い。朝飯もない。どうなるんだろうか。兎に角先ずは寝る。皆ひたすら寝る。運転手だけが可哀そうに懸命に車を走らせる。

途中朝日が昇る。良い風景だ、西の大地に朝日が昇る。殆ど対向車のない道路をバスはひた走る。2時間半ほどして、最初のトイレ休憩。ガソリンスタンドの後方には4000m級の山がそびえる。今日は天気も良く、実にクリアーである。

またバスに揺られて2時間、高速道路を降りる。昼飯かと期待したが、なかなかレストランに入らない。どうやら当地の名物、大盤鶏という料理のいい店を探しているようだ。この辺のこだわりは凄い。ラマダン中でもあり、中には店を閉めている所もある。ようやくバスが止まり、店に入る。かなり繁盛しているようで、席が外まではみ出している。

その大盤鶏は鶏を一羽潰して、ジャガイモなどの野菜と唐辛子などを煮込んだ物だったが、実に満足できる味だった。食べている時は大粒の汗が出るほど辛いが、これは癖になる。更には残った汁の上から太い麺を掛け、混ぜて食べる。もう堪らない。こんな料理が日本で出せるのであろうか。新疆で食べるから美味しいのであろう。

今月はラマダンのため、午前中しか営業しない、と張り紙があったが、午後2時を過ぎても大繁盛であった。新疆時間ではまだお昼だったか。ここの食事ではビールが進む。久しぶりに昼から酒を飲み、そして大量の汗をかく。バスに乗り込むとすぐに寝る。

次にトイレ休憩があった時、持ち込んでいたスイカが切られた。J氏は器用にナイフを使い、鮮やかに切った。このスイカは酒を飲んだ後で、甘くて美味かった。こんな豪快な食べ方も久しぶりだ。

そして運転手の努力もあり、午後5時にはウイグル市内に入り、空港で降ろしてもらった。私の新疆北路は終了した。





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