台湾茶縁の旅2014(6)南投 名間の越南新娘

名間の越南新娘

そして下山し、アンディの店へ。ここはきれいで広い空間。お茶の種類も豊富で、パッケージもしっかりしている。『台湾のいいお茶を流通させたい』ということで、茶商として頑張っているようだ。茶文化館の建設もその一環なのだろう。アンディの両親は馴染客とお茶を飲みながら談笑している。

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更に車の旅。名間という名の土地、かなりの平地を進む。アンディによれば『この辺は茶飲料の原料の茶葉を沢山作っている』とのこと。確かに高地ではないので、とても良いお茶が出来る環境にはないのかもしれない。大きな茶工場なども見え、台湾の有名飲料メーカーの名前も見えてくる。

 

そんな中で、ふと茶畑に目を無えると、何と茶摘み娘が大勢で茶摘みをしているではないか。慌てて車を停め、写真を撮る。それにしても、茶飲料の原料なら当然機械で摘むはず。更に台湾の茶摘み娘は既に老人が多くなっていると聞いていたが、編み笠のせいでよくは見えないが、どう見ても若い娘もいる。アンディに聞くと『越南新娘』だという。文字通りで言えば『ベトナムから来た花嫁』。

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台湾でも近年は嫁不足。特に農村部には嫁の来手がなく、海外から探してくるケースが多い。日本でも一時フィリピン花嫁、などと言われた時代があったが、それと同じ構図だ。だが、それでは農家に嫁に来た人がこんなに沢山茶摘みをしているのだろうか。どうやら『越南新娘』という名称は出稼ぎに来ている女性、全般を指しているらしい。外国人労働者の扱いはどこの国でも微妙な問題だが、彼女たちがいなければ台湾の茶業は成り立たない状況にあるようだ。

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そして一軒の家を訪問した。ここは『焙煎屋』。茶葉を焙煎することを専門にしている、いわば製茶の仕上げやさんだ。そしてこの焙煎の良し悪しでお茶の味は決定するのだから実に重要な業務を担っている。

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50代の男性がここの主。70代後半の父親が病気で仕事が出来なくなり、タクシー運転手を辞めて継いだのだという。それは苦労の連続らしい。確かに親がやっていた家業を継ぐと言っても単に店を継ぐのではない。その技術の継承が如何に難しいか、考えさせられる。

 

しかし元々焙煎技術はどこからやってきたのだろうか。聞けば、男性の父親は『安渓から来た茶師に教えてもらった』ということだ。それは60年代ごろのこと。既に中国大陸と台湾に往来はなく、どうやってその人たちはやってきたのだろう。どうやら40年代後半の国共内戦時に台湾に渡ってきた人の中に茶師がいて、彼らがその後焙煎を教えてのではないだろうか、とのことだったが、どうなんだろうか。

 

焙煎屋で話を聞いた後、茶文化館で設計士の若者をピックアップして、そのまま台中駅まで走る。まる一日アンディに世話になってしまった。駅から高速鉄道に乗り、あっという間に台北に戻る。電車は満席で驚く。尚高速鉄道の切符が自動で買えるが、何と御釣りは50元硬貨で出て来る。これは何と使い勝手が悪い。どうしてこんな設計にしたのだろうか。

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6.台北2

赤提灯の海鮮レストラン

台北駅前のGHに戻る。電話しておいたところ、オーナーのHさんが待っていてくれた。何となく昼飯の余韻で腹は減っていなかったが、誘われるまま、彼のバイクの後ろに乗り、近くの海鮮レストランへ。Hさんはガイドブック作製にも関わっているため、店の開拓には余念がない。

 

バイクは快適に暗くなった台北の道を走る。すぐに一軒の赤提灯のレストランが見えた。ここが気になっていたという。基本的に海鮮を見て、調理方法を指定してオーダーする方式だ。だが周囲を見ると皆大勢で食べており、皿もかなり大きい。小皿でくれと言っても『うちにはそんなものはない』と突っぱねられてしまう。

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蟹やイカなどを一通り注文して席を見つける。端っこに1つだけ空いていた。2階もあるようだが、やっぱり店の前にテーブルを出して、ビールでも飲まないと気分は出ない。味は悪くなかったが、さすがに量が多過ぎた。腹が苦しくて、這う這うの体でGHに戻り、シャワーを浴びてぐっすり寝る。

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