新疆北路を行く2011(2)ウルムチ 楼蘭美女と地下商店街

楼蘭美女は出張中
M先生が博物館に行きたい、ということで、市内中心にある自治区博物館へ。北京時間4時までに入場しないと閉館と聞き、急いで行く。現在中国の博物館はどこも無料。これはとても嬉しいサービスであるが、中には参観者が多過ぎて困る所もある。

ここは閉館間際でもあり比較的空いてはいたが、それでも団体観光客が多数いた。我々は勝手に参観しようと思っていたが、J氏はどこかへ消え、何かを探している。10分ぐらい待つと、何と日本語の若い女性ガイドさんが登場。13の少数民族について詳しく解説を始める。

私が注目したのは中国東北地方から清朝時代に移住させられたシボー(錫伯)族。実は中国では既に満州語は死語となっており、満州語が読み書きできる人々はかなり限られている。満州族はとっくに漢族化してしまったと言うこと。清朝時代の資料もある程度は漢文で書かれているようだが、勿論満州語で書かれている物もあり、現在この資料が読める唯一の民族として、中央政府もシボー族を北京に呼んで、解読に当たらせていると聞いたことがある。何だかとても不思議な話だが、中国の少数民族を考える場合、示唆に富むエピソードかもしれない。

そしてこの博物館のメインは「楼蘭美女」。約3800年前に埋葬された女性のミイラであるが、その保存状態の良さなどは驚くべきものがある。1980年にタクラマカン砂漠の東、楼蘭鉄板河遺跡で発掘され、世界を驚かせた。NHK特集シルクロードでも放映され、鮮烈な印象がある。

ガイド嬢が「楼蘭美女は出張中です」と残念そうに、そしてちょっとユーモアを持って宣言する。中国国内の他の博物館に貸し出されている。しかしこの博物館には他に2つのミイラがある。おばあさんと男性である。楼蘭美女は美女と言うのに、隣はおばあさん、彼女が言うには「楼蘭美女は身分が高い女性、このおばあさんは普通の女性」だそうだ。死んでも身分を問われるとは何となく悲しいが、歴史的な遺産としては大事なこと。男性のミイラは張さんと言うらしい。これはこれで面白い。

このガイド嬢、聞いてみると今年大連外国語学院日本語学科を卒業して、ウルムチにやって来た。小声で「新疆のことはまだよく分かりません」と言うのが初々しい。今日は日本人のお客さんも多く、我々が5組目とか。最後はかなり疲れていたが、元気に手を振って見送ってくれた。それにしても人材不足の新疆、内地(新疆では中国他省をこう呼ぶ)から沢山の若者がやって来ている。

ウルムチの日系地下商店街
ウルムチの市内中心に日本人が作った地下商店街がある、という話は以前より聞いていた。辰野名品広場、新疆人なら誰でも知っている。我々も連れて行ってもらった。1998年に建築面積約3,300平方メートルでオープン、現在では当時の約3倍の11,000平方メートルにまで拡張された。

なぜこんな所に日本企業が?それは大阪の辰野と言う会社の辰野専務による決断だったらしい。ウイグル人留学生の誘いで訪れたウルムチ、そこに可能性を感じたとあるが、それは当時としては凄い決断だろう。この感覚は見事的中し、政情不安などがありながらも、今では辰野の地下街はウルムチの名物。

実際行って見ると、地下商店街という感じではなく、先端ファッションを扱う日本のブティック街。DHCなど日本メーカーも店舗を構えていた。ウイグル人によれば、個々の価格はかなり高いということらしい。

09年ウルムチ暴動があった年、辰野氏は亡くなった。暴動を見ていたらどんな思いだったろうか。名誉市民の称号が与えられている。

堂々とした両替
辰野の地下街に入る所に、中国銀行があった。そこの前にはウイグル人のおじさん達がたむろ。一瞬にして25年前の上海が蘇る。当時外国人はバンドにある中国銀行に口座を開き、送金があるとそこへ手続きに行く。外にはウイグル人が待っており、必ず「チェンジマネー」と声を掛けられる。闇両替はレートが良いとのことだったが、当然違法であり、時々外国人留学生が捕まって、新聞に載ったりしていた。

ウルムチのおじさん達は何と正にその闇両替屋であった。がどうみても闇ではない。実に堂々としており、人民元の札束を手に握りしめ、お客が来ると銀行内に一緒に入り、お客の外貨を確認している。そして何と店内に備えられた現金数え機に自分の人民元の現金を入れて見せ、偽札でないことを証明していた。これは一体何なんだ。銀行も黙認している両替である。

実は北京ではこれほど大胆ではないが、非合法の両替は存在している。そして銀行側も顧客サービスの一環として彼らを紹介していると言われている。中国における外貨両替は一人年間5万米ドルまで。どうしてもその枠をはみ出す人は非合法の手段を使わざるを得ない。それは違法と言うより庶民の知恵のようなものだが、ウルムチのそれはちょっとした知恵の域は遥かに超えている。中国経済の規模が拡大する中、外貨両替枠の拡大があってよいのでは、と思うのだがどうだろうか。

大バザール
車で大バザールに向かう。市内の南、モスクが見える。するとその横の建物に何とカルフールのマークが地味に溶け込んでいた。そういえば、確か以前イスラム社会とカルフールで悶着が起きていた気がする。そうするとこれはカルフールが出来るだけの配慮をした結果なのだろう。中にはケンタッキーもあったのだが、いずれも自らのブランドカラーは消している。商売はお客様次第ということか。

確かに大バザールと言うぐらいだから規模は大きい。何でもイスタンブールに次ぐ規模とか。私のイメージのバザールは屋外だが、ここは屋内。大きな建物が3つほどあり、店舗は中にある。干しブドウが目に入る。名産品である。ジュータンがあり、玉など宝飾品がある。内地から来た観光客が、土産物を買い込んでいる。ここでは基本的に北京語で事が進んでおり、観光客向けの市場である。中東からも多くのバイヤーが来ていると聞いたが、その姿は見られない。

N先生が楽器の前で止まる。ウイグルの民族楽器、タンバリンのような楽器を買う。J氏は折角ウイグルの楽器を買うのだったら、ウイグル人から買って欲しいと言ったそうだ。そのあたりにこの地域の難しさが顔を出す。売り子は少数民族が多い。ベールをすっぽり被っている女性が携帯電話をいじっている姿は何となく微笑ましい。

夕方も6時半を過ぎたが、日の高さから見ても午後の早い時間帯にしか見えない。新疆には新疆時間と言う時差がある。北京とは2時間。まだ4時半と言うことだ。しかもさっき3時前に昼食を取ったばかりだが、レストランに向かう。





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