龍井茶の村を行く2011(2)梅家烏の老板娘に三度遭遇

4.梅家烏鎮

Yさんが「行きましょう」と言う。どこへ行くのか?知り合いの所だと言う。途中で携帯で電話している。「獅峰龍井」の知り合いに電話したけど、あっさり茶はない、と言われたらしい。それはある意味で本当に知り合いだろう。もし客であったら、「ある」と答えて適当な物を売っているかもしれない。因みに獅峰龍井はあっても1斤、5000元は越えるとのこと。基本的に前年に予約で埋まるらしい。中国は本当に資金がダブついている。これも一種の投資だろうか。

我々が向かった先は梅家烏鎮。ここの龍井茶は龍井全体で中の上程度の産地と認識されている。車が鎮内に入ると、それまでの農道とは異なり、立派な3階建ての建物が並ぶ。ここはどこなんだ!

Yさんは一軒の家へ入っていく。ここも3階建て、前庭があり、大きな木もある。中から女性が出て来て、しきりに愛想よく庭のテーブルへ座らされる。直ぐにグラスに入った梅家烏龍井の新茶が振舞われる。グラスを手にすると鮮やかな茶葉が中で踊り、仄かな香りが鼻を衝く。爽やかな風が吹き抜け、庭が楽園と化した。

ひとしきりお茶を堪能。何杯でも飲める。茶農家の奥さん、徐さんはよくしゃべる人で、今年の茶の出来から、子供の学校のことまで話しては、奥に引っ込み、仕事して、また出て来ては話す。Yさんとは子供同士が同級生と聞いて納得したが、何となく引っ掛かる。

徐さんが中から次々に食事を運び出した。そういえばさっきここのおじいちゃんが、生きた魚を生簀に入れていた。その内の一匹が早速登場した。他の農家が取ってきたものを買っていると言う。ふーん。野菜も新鮮で、鳥も美味しい。屋外で風に吹かれながら、美味しい空気を吸う。満足。

食後鎮を散歩した。今はお茶の季節でどこの農家も忙しいはずなのに、中には庭で新聞を読んでいる男性がいたりする。隣のおじさんは、茶葉を篩にかけていたが、何となく長閑。全体的に切迫感はなく、別荘地帯で庭いじりをしている老人たちを想起させる。これはなんだろうか。

おばあちゃんが茶摘みに出ると言うので同行する。と言っても庭のすぐ裏に茶畑がある。摘んでいるのは殆どが出稼ぎのおばさん。おばあちゃんはお手伝いさんに手を引かれて摘んでいる。何でやっているのか聞くと「健康のため」との答え。これはこの辺のお茶農は地主、出稼ぎ者は小作という、以前の仕組みそのままのような気がする。

帰りに徐さんに「私がこの家を買いたいと言ったら、いくらで売ってくれる」と聞いてみた。「絶対に売らない」と答えながら「例え2000万元でもね」と。え、2000万元とは日本円で2億5千万円??この地はそれ程の価値があるということか。茶の値段はどんどん上がり、農家としてのメリットは取り、空気はいい。

中国の農村は貧しい、殆どの日本人はそんなイメージしか持っていないが、実際には中国と言っても広い。立派な家、全て揃っている家具、恵まれた自然と労働環境、後は教育・医療などか、などと思っていると、実はそれも徐さん達は既に手に入れていた。

5.西湖の茶荘
2日ほど前、我々の訪問団は夜、西湖の畔にやって来た。流石に夜は薄暗いが、その中にその茶荘は建っていた。かなり立派な建物だ。写真を撮ったが暗くてよく写らない。バスの運転手さんに聞いて、龍井茶の新茶を、西湖を眺めながら飲める所を探した結果だった。

中に入るとかなり広い。入り口で茶葉や茶器を売っており、広いスペースは西湖に近接していた。こんな所でお茶が飲めるのはいいな、と思ったが、実際夜は暗くて湖面は殆ど見えない。照明もなく、暗い外を眺めながら飲むお茶はちょっと寂しい。

にも拘らず店内には驚くほどお客がおり、賑わいを見せていた。これが観光地杭州、龍井茶の産地としての強みだろうか。更に料金を見て驚く。新茶は安くても180元から。これまで地元で食べた食事代は一人50元、高くても100元。お茶一杯がこの値段とはすごい。

テーブルの上にはスイカ、メロン、ブドウなどの果物、瓜子、ナッツ、棗などのつまみが所狭しと並んだ。この値段はまさに場所代、文句のないよう色々な物を出している。既に宴会で腹一杯の我々、とても手が出ない。

肝心のお茶がやってきたが、香りはあるものの・・・。まあ、観光地だから仕方がないが、杭州のある種の物価が異常に高いことを実感した。そういえば後日立派な喫茶店に入った所、コーヒー1杯が68元したが、お替りは何杯でも可能、フルーツ、クッキー、チョコなどまるでアフタヌーンティのように次々食べ物が登場して驚いた。これは杭州の習慣なのか、はたまた客単価を上げる作戦なのか。

いずれにしても杭州にはお茶を飲む文化は存在するが、庶民は家で瓜子の殻でも割りながら、普通に飲んでいるに違いない。

6.茶農家の奥さんと三度会う
梅家烏鎮に行った翌朝、宿泊先である浙江大学正門前のホテルを出て、市政府の方へ歩いていくと、道の向こうからやって来た女性が突然私の名前を呼ぶ。中国に知り合いは多いと言っても杭州に知り合いは殆どいない。一体誰だろうか。

近づいてよく見るとそれは昨日訪れた梅家烏の茶農の奥さん、徐さんではないか?しかも昨日の質素な服装とはかなり違っており、サングラスを掛けていたこともあり、全く分からなかった。

「なんでこんなところで」という私の疑問を素早く察知した徐さんは早口で「実はこの近くに家があるのよ。子供の学校はこの辺がいいので、家を買って子どもはこっち。私もあれからこちらに戻って、子供の世話。今から銀行行くの。」との説明。

へー、そんなだ。家を買って大学近くのレベルの高い中学に通わせる、学区制は北京と同じである。でも、鎮に住む人は農村戸籍なのでは?そうであれば戸籍が障害となり、都市部の学校へは入れないはずだが??疑問はどんどん膨らんだが、道端のこと、詳しい話も聞けず、分かれてしまった。あー、残念。それにしても徐さんは農村と都市を非常にうまく生きている。中国ではこのような人々が増えているのだろうか。

その日の夜、北京時代の知り合いのお子さんの家庭教師だったという中国人Xさんと会った。彼は山東省出身で北京の名門大学の修士を出ているが、何故か杭州に就職。本人いわく「杭州は憧れだった。北京や上海のような都市で働く気もなく、故郷に帰る気もなかった。」と。うーん、所謂80后世代と言われる若者は私の理解を遥かに超えていた。

彼は宿泊先のホテルから歩いて20分ほどのところにある「一茶一座」という台湾系のチェーン店に私を連れて行ってくれた。このお店は前週渋谷のロフトにある店に行ったばかりで何となく因縁を感じる。勿論渋谷とは全然違う形態で、お茶もあるが食事がメイン。何故かビビンバ定食などを頼む。プーアール茶が付いてきた。不思議。

Xさんに梅家烏に行ったこと、今朝そこの奥さんと再会したことなどを話していた丁度その時、Xさんの背後から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。一瞬体が硬直した。向こうのテーブルを見ると女性が手を振っていた。横には中学生ぐらいの女の子がいた。何とそれは徐さんだった。この驚きは表現しにくい。

私と同様、いやそれ以上に驚いたのがXさん。今聞いた話の本人が目の前に現れたのだから、確かにビックリ。徐さんによれば、今日はお嬢さんの塾が遅くなり、ここで2人夕食を取っていると言う。しかもこの店にはめったに来ないと言うから、やはり相当のご縁である。うーん、これはもう次回も杭州に来なければ。

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