スリランカ お坊さんと行く紅茶畑の旅2012(3)キャンディ お寺に泊り茶畑見学へ

茶葉研究所と博物館

キャンディは茶の産地としても有名。ここには茶葉研究所があると聞き、突然訪ねて見る。小山の上に有ったその研究所の前には茶樹が植えられ、いい感じで育っていた。オフィスへ行き、茶の歴史の話を聞きたいと申し出ると男性が応対してくれた。ただ彼は何だか急いでいるようで、話を早く切れ上げたいと顔に書いてある。分かったことはスリランカの茶葉生産は90%以上が紅茶だが、中東向けなどで緑茶生産も始まっていることぐらい。どうやら帰宅時間のようだ。

茶の歴史に関してはTea Museumに行けという。研究所の直ぐ近くだと言うので急いで行って見ると、小さな製茶工場のような建物があり、その横に博物館が併設されている。入り口が分かり難く、ようやく探し当てて入ろうとすると何と今日はもう閉館だという。しかし表示には4時半までとあり、まだ3時40分だ。しかし良く見るとチケット販売時間が3時半まで。お客が無いのでスタッフが帰ろうとしていた。日本から来たことを告げ、入れてくれるよう頼むが断られ、ではせめて資料だけでも、と言っても取り合ってくれなかった。この辺にイギリス統治下の慣習、親切心の無さ、政府機関関係者の対応が見えるようだった。

この博物館、それほど重要なのかとの思いで立ち去るが、その後何処へ行っても「茶の歴史はここ」と言われてしまい、どうしても行かねばならないと自覚する。

お姉さんの家

仕方なく次へ進む。次はスマのお姉さんの家へ行くという。スマはいないが、そこで紅茶を飲んだらどうかという提案らしい。行って見て驚く。小高い山の中腹、自然に囲まれ、キャンディ市内も見渡せる場所に家があった。そして家の中は実に豪華。斜面に作られているため、家が3段階になっている。大豪邸である。

入り口にはソファーセットが2つ。バルコニーへ出ることもできる。天井も高い。実に居心地が良い空間。一段降りると階段の両脇に部屋がいくつか見える。そして一番下には大きなテーブルがあり、お茶を頂く。キッチンも大きく、バルコニーもある。何とも結婚式場を思わせる。

紅茶は実に美味しい。基本的にミルクティを飲むようだが、私の為にプレーンティを淹れてくれた。他の皆さんはミルクと砂糖をたっぷり入れて飲む。実に甘そうなケーキが出て来る。ビスケットも出て来る。家庭でのもてなしはやはり量が大事。

ある年齢以上の人は家庭ではミルクティしか飲まないと言う。偶にコーヒーを飲むにしてもネスカフェのインスタント。ネスカフェは非常に有名で、コーヒーと言わずネスカフェ=コーヒーといった感じだ。紅茶は朝、10時、昼、3時、夜と多い人は一日5回飲む。10時と3時にはおやつも食べる。日本の3時のおやつは元々イギリス、そしてアメリカからもたらされたのだろう。

お姉さんは政府職員だったが既に引退。ご主人は弁護士、息子はコロンボの学校へ行っているとか。絵に描いたようなエリート一家だ。ということはスマも裕福な家庭の出身なのだろう。そこからお坊さんになる、ということはどんな気持ちなのだろうか。

お寺に泊まる

お姉さんの家を辞し、スマのお寺へ。お寺はここから25㎞離れているらしい。結構田舎の道を走り、更に狭い道を分け入り、到着。お堂と僧院があったが、日本的ではなく、普通の家のようにも見える。

日本のお寺の宿坊は今はどうなっているのだろうか。お坊さんは雑魚寝ではないのだろうか。ここには3人に若者僧がいるが、皆個室だ。私にも個室が割り当てられ、快適そう。特に部屋の外にある椅子に座っていると、疲れも忘れ、いい気持ちだ。ここには喧騒もなく、すっきりしている。だが、自然の中だ。虫はいる。特に蚊がまた襲ってきた。

スマが電気ポットで湯を沸かし、紅茶を淹れてくれる。いい感じだ。あたりは暗くなってきた。しかし夕飯あるのだろうか。ここはお寺だ。どうなるのか、見ていると、「お湯を用意した」と言われる。スマの執務室の脇には水洗トイレがある。そこに湯が運ばれる。ここでは基本的に水を浴びるだけだが、特別にしてくれたらしい。申し訳ない話だが、嬉しい。

湯に限りがあるので節約して使う。この気持ち、大切だ。ここに来て、例えば、トイレの紙なども出来るだけ節約するようにした。あるもので間に合わせる、子供の頃、そんな言葉を聞いた気がするが、今は無ければ買ってこい、だから、どうしてもギャップがある。口で節電などと言いながら、至る所で電気を使い、お湯を大量に消費する日本を考え直す時期が来ているとみて間違いない。

何と夕飯も出て来た。スマの方針で「午後は食べない」とする考えは取らないという。そういう戒律、ルールよりも、食べたければ食べてよい、悩みがあれば話せばよい、と若者に言い、若者に寄り添っていく姿勢を強調していた。日本では老害と呼ばれる人々による精神論があるが、スマのこの考え方、実は真の仏教に近いのではないだろうか。権威主義的な宗教は必ずしも良いものではないと感じる。

食事は若い僧が作ってくれた。茄子の煮つけ、オクラなど。それをご飯に載せ、カレー味を付けて食べる。これは良い食事だ。食べ過ぎることもない。その夜は蚊帳を吊り、早々に寝る。

11月9日(金)   お寺の学校

朝は6時に起き、朝食。スマはパンを焼き、出してくれた。そして紅茶を飲み、バナナを食べ、充実の御飯が終了。今日はヌワラエリヤへ行くと聞いていたが、出発までの間に周囲を散策。

この辺はかなりの森があるが、坂を上がると道へ出る。その角には学校がある。元々はお寺が建てたそうだが、今は政府の管轄になっている。狭い校庭には、白い制服を着た中学生が沢山いた。私が通りかかると一斉にこちらを向く。中には英語で話し掛けて来る子もいる。何とも気さくな、それでいて好奇心旺盛な子供たち。道の向かい側には小学校もあるようで、こちらは可愛い子達が、目を輝かせていた。


   

学校の横にはお寺の日曜学校用のスペースもある。この付近の子供達は何キロも離れた学校へ行かなければならなかったが、ここに学校が出来、大いに助かっているという。日本のように廃校が続く少子化の国と違い、この国はこどもの数が多い。穏やかな中にも安定的な成長が予感される。

4.   ヌアラ・エリア  茶工場

キャンディを出発して2時間もしない内に茶畑が見えてきた。そして最初の茶工場、グレンノッチに立ち寄る。ここでは工場見学者を快く受け入れ、案内人が英語で説明もしてくれる。茶の製造工程を実際に見ながら説明を聞くのは良い。

600人の摘み手が積んだ茶葉が運ばれて来ており、12時間ほど室内乾燥。一部機械的に風を入れて水分を50%飛ばす。その後ローリング20分。ここで茶葉に含まれる雑物を取り除く。そしてカッティング。茶葉を小さく砕く。それからソーティング。ここで細かいダストは下へ落ちる。大きなままの茶葉は再度カッティングへ。枝などを取り除き、最終段階へ。等級ごとにソートされた茶葉が乾燥機に入れられる。最後にパッキング。

説明者の女性が非常に明快だったので、更に突っ込んで茶の歴史を聞く。1867年にジェームズ・テーラーが中国から茶葉を持ち込んだことは昨日聞いたが、その後ハイブリットされ、今日に至った。それ以上はキャンディの博物館へ行くようにと言われる。ここのティールームではBOPF紅茶が振舞われた。かなり濃いお茶のようで、私は好きだが、一般的にはミルクを入れて飲むという。また砂糖はふんだんに入れるらしい。

次に向かった茶工場も案内人がいたが、彼は急いでいたらしく、説明も乱暴で、質問にもあまり答えずに、握手して、直ぐに車に乗ってどこかへ行ってしまった。これは仕方がないと次へ行こうとするとスマが一人のオジサンを捕まえていた。彼はここのスーパーバイザー、茶摘みの監督だ。昼休みにも拘らず、我々に付き合って話をしてくれた。仏教信者は有難い。

茶摘みは年中行われており、茶摘み女性のノルマは1日4時間、20㎏だという。これで賃金は515ルピー。20㎏以上摘む、または4時間以上働く場合は残業となり、1㎏あたり17ルピーが支払われる。ワーカーは皆タミル人で、子供の頃から親がやっている仕事を見ており、労働環境は良くないが、特に労働者が不足することもなく、皆働くという。農薬はあまり使わず、年2回程度撒くのみ。雑草を取るなど茶畑は手間が掛かると嘆くが、それほど嫌でもなさそうだった。ここでランチも取る。ビュッフェ形式だが、それほど美味しいと思わない。何だか似たようなものを食べている感じだ。運転手さんはご飯を山盛りにして手で食べている。

3軒目を訪れるもまた案内人に連れられて、工場見学。いい加減飽きてきた。そして歴史の話も出来ず、何となく中途半端に終了。日本の国旗が掲げられており、日本との取引があるようだが、具体的には分からない。不完全燃焼に終わる。




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