デリー・リシュケシュ サバイバル (1) デリー エアポート鉄道は半年も運休?

《デリー・リシュケシュ サバイバル》 2013年1月5日-14日

インドには1年以上行っていないな、と思っていたところへ、私も少し交流のあった日本人の方が亡くなったとの知らせがあり、その供養の儀式が年初インドで行われると聞いた。個人的に自らの死後、遺体をどうするのか、遺骨を墓に入れるのか、などを考え始めていた時であり、供養の旅に参加し、他国の状況を見てみたいと思った。

また私だけが供養の儀式を見ても、私が死んだ後を託せるのは子供、との思いから、今回は初めて次男を帯同した。彼は4か月のアメリカ滞在を終え、少し英語が出来るようになっており、大学も休みのため、いい機会だと思ったのか、参加を表明した。

尚インドビザの取得が非常に厳しく、いつ取れるか分からないとの話もあり、またオンラインで申請するなどルールが変わっているとのことで、一時はインド行を諦めかけたが、どうやらインドは我々を呼んでいた。12月に東京に戻り、インドビザセンターへ行くと、以前と同様の手続きで2日後にはビザが出てきた。因みにオンラインで申請してしまうと、15日は掛かるらしい。これもまたインド。

1月5日(土)  デリーまで

バンコックで久しぶりの早起き。5時過ぎに起きて、タクシーで空港へ向かう。大型のスーツケースを使う羽目となり、バスと電車の組み合わせではちょっと辛い。今回もインドではお気に入りのジェットエアーに乗る。チェックインもスムーズ。一番驚いたのは、何とスターアライアンスメンバーでもないのに、何故かANAとコードシェア便で、ANAマイルが貯まるらしいこと。本当?

昔のスワナンプーン空港の朝は大抵大混雑。特にイミグレは外国人で長蛇の列だったが、今日は空いていた。やはりLCCをドムアン空港に移した影響だろうか?まあ、空いていて嬉しい。時間があるので無料WIFIパスワードを貰い、いつもの場所でネット。1時間はあっという間に過ぎ、気が付くと搭乗時間に。

機内はほぼ満席。ジェットエアーは座席も広めで、CAの対応も悪くない。後にインドで聞くと、民間で航空業界に参入したビール会社はすでに運航を停止したとか。キャンペーンガールのような格好良いお姐さんをCAとして乗せて、インドのイメージを変えようとしたが、上手くいかなかったらしい。

乗客はヨーロッパ人が多い。どうやら休暇で訪れたバンコックから自国へ戻るために、デリー経由のジェットエアーを使っているようだ。きっと安くて良いと評判なのだろう。イミグレカードを貰わない人の方が多かったのがその証拠。食事はオムレツ。悪くはない朝食。4時間、ほぼ定刻にデリー着。

2.デリー  (1) エアポート鉄道は運休中

デリー空港の長い通路を通り、イミグレへ。イミグレでは横から入るネパール人がいても皆気にしない寛容さ。スムーズに通過し、荷物を受け取り、外へ。何と順調なことか。両替でもしようかと思っていたが、これから乗るべき空港鉄道の表示が見当たらない。1年半前、活用して本当に便利だったあの鉄道、今回も宿泊先の直ぐ近くに駅があるため、使うつもりだったのだが。

出口のオジサンに聞くと「何らかのトラブルで動いていない」という。そして目の前のバスを指して「ISBT、あれに乗れ」という。夜だったら迷わずプリペイドタクシーに乗るため空港ターミナルに引き返しただろうが、昼間でもあり、場所も分かっているのでちょっと冒険してみた。

バスは左程込まずに出発したが、直ぐに国内線ターミナルへ寄り、大混雑になる。皆荷物が多い。どうやら一般のインド人が使うバスに乗り込んだようだ。そしてバスは時々停まるものの、そこが何処だかアナウンスはなく、不安な時間を過ごす。途中大統領の所用地と書かれた場所があったが、あまりの広大さに流石はインドと思ってしまう。

30分以上乗っていると、見慣れた風景が出て来て、少し安堵。ところが今日の宿泊先であるYWCAの前を通ったにもかかわらず、また降りる先を運転手と車掌に告げたにもかかわらず、無情にも通り過ぎる。慌てて降りると告げたが、なかなかバスは止まらず、遂にコンノートプレースでようやく下車。前回泊まったYMCAの前を重い荷物を引いて通過し、約1㎞歩いてYWCAへ。

(2)    YWCA

YWCAでは空港鉄道が動いていないことでA師が心配して待っていてくれた。今回の旅はA師の尽力で供養の儀式がなされる。流石インド在住20年。因みに空港鉄道は技術的な問題で何と半年前から運休していた。インドでは前回の経験は生かされないこともある。確認が重要と再認識。

午後2時、ちょうど昼ごはんだというので、参加する。今回A師はタイのヨーガ生徒を連れて来ていた。皆でインドの焼そばを食べる。何だかスパゲッティとの中間のようで・・。タイ人も口に合わないらしい。

YWCAの部屋は簡素だが清潔で広い。ベッドもダブルかと思ったが、2つに分けることが出来て満足。シャワーとトイレも部屋にあり、熱いお湯も出て、問題なかった。都心の一等地にあるが、リーズナブルな料金で泊まれるのは嬉しい。また何より、男性も宿泊可能なのは何とも嬉しい(スリランカのコロンボでは地球の歩き方に宿泊可能と書いてあったが、実際に行くと女性のみと言われた)。

この時期のデリーは完全なオフシーズンなのだろう。デリー到着後、持って来たダウンジャケットを着こむ。インドでダウン、イメージが崩れる。YWCAは普通予約が多く、部屋が取れないこともあるが、今回は宿泊客も多くない。やはり寒さのせいだろうか。部屋には小さなヒーターが一つだけ。これは相当寒い夜になる予感。

(3) シーク寺院 グルドゥワラ

食後、散歩に出る。A師とタイ人の後に従い、先ずは国立ヨーガセンターへ。残念ながら土曜日で閉まっていたが、インドでは近年ヨーガが見直されてきており、国としても様々な研究がなされている。因みにヨーガは以前サドゥウと呼ばれる「外道」の修養として位置づけられており、その手法・技法も口頭での伝承が中心で科学的な研究はなかったという。これはバラモン中心のカースト制度の影響である。近年のヨーガブームはアメリカに渡ったインド人が体操としてヨーガを捉え、健康、ダイエットなど普通の人々のニーズに合わせたもので、本来のヨーガと相容れる所は少ない。

YWCAのすぐ横に、グルドゥワラというシーク寺院があった。実に立派な建物で前回もここを通ったが、何だか怖そうな人々が出入りしており、見学すら躊躇った場所。我々日本人は一般的に思うインド人のイメージは「頭にターバンを巻いている」「インド人嘘つかない」であろうが、それはシーク教徒を指していることが今回分かった。シーク教徒は実に誠実な人々であり、そしてターバンを巻いている。ただインド全体から見ればほんの一握りの人口に過ぎず、何故日本でこのイメージが定着したのか大いに疑問(海外で商売をしているインド人にシーク教徒が多いのため、との説あり)。

A師に率いられて中へ入る。多くの人がお参りに来ている。外国人に対応する場所があり、そこで頭にスカーフを巻いたりして、髪の毛を隠す。これが作法だ。そして裸足で寺院へ。足は非常に冷たくなり、厳しさが突きつけられる。中では熱心に祈る人々の姿があった。一日座っている人もいるようだ。体が引き締まる。

外へ出る。チャイが無料で振舞われていた。これは有難い。この寺院、誰でもやって来た人にはチャイを振舞、食事時は食べ物も無料で提供されるという。ある意味ではそれこそが本来の宗教であろう。タイ人達はタイの仏教寺院で同様の施しがあるので、特別に不思議とは思わないようだが、日本の寺院でこのような場所があることを知らない。因みに私の大学の同級生O君は学生時代、インドを旅して、この寺院に1週間滞在したという。滞在費無料、食事も一日2食無料だったそうだ。頭にはタオルを巻いて、活動していたという。実に懐の深い寺院だ。あまりの美味しさにチャイをお替りした。

O君からのメール。「アムリッツアルの黄金寺院にも一週間いました。その後84年でしたかインディラガンジーさんが黄金寺院を襲撃し、結果として彼女はシーク教徒に暗殺されましたね。今のインドの首相がシーク教徒なのも面白い」




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