ダージリンお茶散歩2011(10)ガントク 修行のようなシェアタクシー

10月16日(日) ロムテックゴンパ

翌朝は快晴とはいかなかったが、雨は上がった。ホテル内を散策。いい感じで庭が作られている。確かに自然を求める人にはいいかもしれない。でも泊まっている人は殆どいない。昨晩の誕生会の余韻の残る母屋に行く。この地の最高峰、標高8,586mはエベレスト、K2に次いで世界第3位であるカンチェンジュンガは、遥かに霞んでいる。

朝食はここ3日間同じパターン。ようはこの地域ではそこそこ以上のホテルには全て英国式の作法が根付いているということか。眼前に霞を見ながら、相変わらず優雅な朝食を取る。

隣にフランス人のおばさんがやって来た。この人も一人旅らしい。全て旅行社のアレンジで動いているというからお金がある人なのだろう。ひとしきり旅談義をする。これもこのような自由な旅人同士の楽しみだ。

予約したタクシーに乗り、ロムテックゴンパに向かう。車はスズキ製の小型車。最初に下り、途中で別の山を登り、小1時間。基本的に山道だが、時折段々畑が見える。これがなかなか美しい。運転手に停まってもらい、写真を撮る。牛小屋で少年が番をしていた。実に素朴。

ゴンパの入口に着く。運転手が警備兵を指さす。彼はパスポートの提示を求める。かなり厳格な警備だ。色々と宗教的な争いがある、ということらしい。その他、政治的な理由もあるかもしれない。やはりこの地は複雑な様相を呈している。

ゴンパは懐かしい。インド、ラダックで訪ねたゴンパと同じようなお寺が広がる。但しこちらは比較的建物が新しく、また山伝いでなく、平たい場所にある。僧坊もかなりあり、多くの修行僧を抱えているようだ。天気も良くなり、実に快適な朝だ。参詣する欧米人もちらほら。帰り道は天気もよくなったが、方角の関係で最後までカンチェンジュンガを拝むことは出来なかった。残念。

ホテルへ戻り道すがら、1軒の中国料理店が目に留まる。ここシッキムは中国人入境禁止の土地。メニューが書かれた黒板を見ると簡体字で書かれており、脇には中国語教えます、の表示もある。中国人はこの地で何かしているのだろうか。またシッキムの人々も中国語を勉強して職業に就くのだろうか。

洗濯物

ホテルに戻る。タクシーはそのまま待たせて、シェリングタクシー乗り場へ送ってもらうことに。チェックアウトしようとして、昨日以前乾かなかった洗濯物をここで出したことを思い出す。洗濯物は届いていたが、料金が違っていた。私は普通で出したのだが、特別料金が請求されていた。そのことを告げると、「洗濯屋の請求は我々の管轄外」と言われてしまう。それはあまりに無責任と、口論になってしまう。折角誕生会にも混ぜてもらったのに、実に後味の悪い結果となる。

結局洗濯屋が来るまで部屋で待つ。あまり心が穏やかでない時は、どんな良い景色を見ても、自然に触れても、意味がないと気付く。心にゆとりのない旅は、結局ただの時間移動に過ぎない。洗濯屋のお兄さんが駆け込んできて、通常料金を支払う。一体何であったのだろうか。そして受けった洗濯物を出してみると、何と乾いていない。湿ったままの状態である。この地の湿度はそれほど高く、そして雨が影響していた。それにしても洗濯屋が・・・。

意気揚々として入って来たシッキム王国であったが、私の中では幻に終わった感がある。僅か一晩でこの地を去る。それでいいのか、いや、それでいいのだ。

シェアタクシー

逆に下へ向かう。一体どこへ向かうのか。まあ、成るようにしかならない。20分ほど行くと、少し上り、そして車は停まった。その付近には人々が行き交う。タクシーは私を残して去って行った。さあ、どうなるんだ。

「シリグリ」と叫ぶと、にいちゃんが寄ってきて、手招きする。着いて行くとテーブルがあり、チケットを売っていた。150rp、と言われお金を渡すと、チケットが渡され、別のにいちゃんが私を連れてタクシーが連なる場所へ向かう。

この車だ、と指を差され、荷物は車の上に揚げられた。さて、私はどこへ乗るのか、と車内を見渡すと、先に乗っていた一人がチケットに書いているという。確かに番号9が打たれていた。それが座席番号、しかも座席は三列の最後列の真ん中。座席配置は運転の横に2人、その次に4人、最後尾は荷台を改造しており、座り難い。そこへ4人。ギューギュー詰めだ。私の両脇は全て若い男性。本当にきつくて、全く動けない。おまけにPCの入ったバックが股の間に入る。

これは修行の旅だった。身動きできない状態で、しかも道はでこぼこ、またはカーブも多く、車に身を任せる以外にどうすることもできない。両脇に身を任せ、彼らもこちらに身を任せる。どうにもならない。前を見ると車内はまるでラグビーのスクラムだ。

それにしても、道は良くなかった。中には工事中の道もあった。ただ面白いのはその道には、この先道悪し、の看板が立っていることだ。そんな看板を作る前に道を直せばよいと考えるのは、我々の発想か。実際の工事現場を見ると、ワーカーがゆっくりゆっくり作業していた。道を直ぐに修復しないのは共生?かと思ってしまう。

修行のような4時間半


最初の2時間、目を瞑って身動きせずにいると、本当に修行僧になった気分だった。徐々にそのポーズにも慣れて来て、落ち着きが出て来た。車内は前列にオジサンが二人。真ん中に男女2人ずつ。真ん中にはそこそこ余裕がある。それでも羨ましいという感じはない。

途中で休憩があった。そこには簡単なレストランと売店があった。先ずはトイレに飛び込む。車に乗っていて一番心配なのはトイレに行きたくなることだったが、その心配も無くなった。やれやれ。歳を取った気がした。

乗客は思い思い、食事をしたり、自分で持って来た物を食べたりしている。他の車も何台か停車している。見れば、ワーカーを乗せている車もある。若者はジーンズを穿き、おしゃれになっている。

前の座席に乗っていた人が英語で話し掛けて来た。いきなり日本人かと聞かれ、驚く。顔は我々と同じ。ネパール人だと名乗る。これからネパールに帰るところだという。シッキムには何度も行き、このタクシーでシリグリを往復している。ネパールも含めて、この辺の地域ではこのシェアタクシーが当たり前の乗り物で、慣れれば快適だとも言う。

彼と話した後、車の中で考える。「全てをお金で解決しては何も見えては来ない」。確かに私はタクシーを個別にチャーターすることも可能だった。時間も短縮できるし、間違いなく、行きたい場所へ連れて行ってくれる。しかし、そんな生活は、本当の人生の歩みではない。我々は現在お金を使って、一見様々な物を解決しているように思っているが、実は何も解決できていないし、それは決して幸せなことでもない。時間や手間を掛けてしか、見えてこないものを今後は見ていこうと思う。

再度出発して2時間強、山道をクネクネ行く。1時間ぐらい進んだ大きな橋の袂で最初の一人が降りる。ドッーと楽になる。次に2人降りた。そしていよいよ街らしくなってきた。私はどこで降りればよいのか、全く分からない。実は地図も持っていないし、ガイドブックもない。

市場のような所で残り全員が降りた。さっきのネパール人が「どこへ行くんだ」と聞くので、昨日旅行会社で聞いた唯一のホテル名、シャングリラと告げる。周囲にはリキシャーが大勢待っていたが、全員がそのホテル名に首を振る。

仕方なく、私だけが終点まで車に乗る。ところが終点は何と、さっきの市場の道の反対側。車はただユーターンしただけだった。それで全員が降りた意味が初めて分かる。運転手は私に全く関わらずに車を降りてどこかへ行ってしまう。いよいよ一人ぼっちだ。


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