ダージリンお茶散歩2011(7)ダージリン 中産階級の勃興を肌で感じる

インド中産階級の勃興を見る

一度ホテルに戻り、休息、ではなく、溜まったメールなどの処理を行う。このホテルは流石にWifiで繋がる。やはり文明の利器が登場すると、いきなり現実に引き戻され、ついつい使ってしまう。折角マカイバリで自然の共生、ネットのない生活を行ったのだが、一気に崩れる。人間はもろい。

気が付くと周囲が暗くなる。洗濯物はちっとも乾かない。それはそうだ、日も出ていないこの状況では、当分乾かないだろう。考えてみればマカイバリは標高1200m、ここダージリンは2000mを越えている。夜は涼しいだろう。

先程の道を再度歩いて行くと、益々観光客が増え、道は押すな押すなの大盛況。歩くのも困難な状態になっている。これが10月の観光シーズンと言われた状況のようだ。インドの中産階級の勃興を肌で感じる。

チャウメンを売る店があった。30rp、コルカタで食べて以来見た。思わず注文した。食べた。美味しい!若いインド人夫婦が一生懸命商売している感じだ。私に向かって、日本人か、と聞いてくる。「有難う」と日本語でいう。何だか愉快になり、ついでにチキンロールも食べてしまった。もうこれでお腹は一杯。安くて満ち足りた夕食だった。

ホテルの前は本当に人通りが多く、またその人々が大声で話している。道を通れない車がクラクションを鳴らしまくる。この喧騒は凄まじい。インド系カナダ人のアドバイスがどれだけ有効だったか、そして私の選択が正しかったかは、直ぐに分かった。お蔭で私はゆっくりと柔らかいベッドでぐっすりと眠れた。

10月14日(金)  温もりのある朝食

翌朝は目覚めが良かった。7時には起きて、真っ直ぐに食堂へ向かった。しかし食堂と呼べるものはなく、1階上にテーブルが出ていて、そこで取った。本当に立派な家のリビングにいるような雰囲気で好ましい。

そして食事はホテルのビュッフェスタイルではなく、一つ一つ給仕が聞くスタイル。私はこんがり焼いたトーストとバターにママレード、スクランブルエッグにアッサムティ、そしてバナナと言う朝食にした。いいホテルでは今やほとんどがビュッフェ。大量の食事が放置され、捨てられていくのであろう。それに比べて、ここは人間の温かみもあり、物を無駄にすることもない。そして食事が粗末という訳でもない。少なくとも日本はこのようなスタイルで行くべきではないだろうか。例え人件費が高くても、それがおもてなしであり、勿体ない精神であろう。

このホテルの泊り客は欧米人、特にヨーロッパ人が多い。彼らは実に優雅に朝食を食べる。その振舞には品があり、ビュッフェでバクつく我々とは大きく違うものがある。そして従業員との会話があり、他愛のないことを朝から話す。若い頃、天気の話題などして何になるのかと散々思ったクチであるが、こういう所で朝食を食べると天気の話がしてみたくなるは不思議である。

ダージリンはイギリスの街

ダージリンは傾斜地であり、当然坂道が多い。今朝も食後、早々に散歩に出て、この坂道を下る。途中脇道があり、そちらへ曲がると、制服の高校生が皆同じ方向へ行く。こんな坂の下に学校があるのかと思っていくと、やはりあった。

立派な高校である。建物はいつ頃建てられたのだろうか。イギリスと言う国はアジアのどこにでも立派な建物を建てている。それは何故なのであろうか。自らの威厳を示すためだろうか。単に母国と同じ物を作っていただけなのだろうか。いずれにしてもイギリスが当時世界一の国であったことは間違いがない。この高校一つ見てもよく分かる。

更に横道を下ると、昨日の駅に出た。その付近の道路には、シリグリ行きなどのジープが待機。公共交通機関として使われている。やはりこのような坂の多い場所はジープのような乗り物でないとダメなのであろう。

今度は坂道を上る。いくつものイギリス時代の建物に出くわす。カルカッタの避暑地としてイギリス人が開拓した、それにしても遠い所だ。どうしてだろう。ただの避暑地と言うよりチベットやヒマラヤへの玄関口として機能していたのだろうか。河口慧海のチベット旅行でも再三登場する所から見ても、重要性は分かる。

大きな真新しい建物も見えた。何とこんな所にも大型デパートが進出している。地元の人々も伝統的な市場を捨てて、デパートへ行くのだろうか。場所柄、この建物には興ざめするが、これもまた一つのインドであろう。

ホテルの横まで戻る。実はホテルの横に気になっていた一つの建物がある。病院、1847年と書かれている。ダージリンで病気になったイギリス人は全員ここにやって来たのではなかろうか。雰囲気からすると療養施設だったのかもしれない。

ロウチャーティ

ダージリンを出発する。今日の目的地はカンリンポン。地図で見るとそう遠くはないが、4時間掛かるという。スターとして分かったことは相当の山道。アップダウンがきつい。河口慧海や他の探検家はこの道を歩いて行ったのだろうか。それは凄いことだ。

1-2時間行ったあたりに茶畑が見えた。この辺はロウチャと言う場所らしい。運転手がロウチャティと叫ぶ。ちょうど茶摘みが行われており、車から降りてその風景を撮影する。時ならぬ闖入者に地元の人々も興味津々でこちらを見ている。

更に行くとまた別の茶畑がある。しかしここはもう地名も別でまた別の名前の茶になる。ようはこの辺は茶畑がいくらでもあり、恐らくは市場に出る時は全てダージリン紅茶として販売されるのであろう。茶葉の質がそれほど良いとは見えないが、それはそれで需要がある。

我々は川沿いをカリンポンに向かっている。ティステル河というらしい。この河、そこそこに大きい。この北側がシッキムなのだろう。いよいよ幻の王国へ向かっているのかと思うと、ちょっと胸躍る。

途中河の景色が素晴らしい、日本でいえば峠のような所で休憩する。茶店もあり、チャイを飲む。この風景を見ながら飲むチャイはまた格別。周囲にはインド人観光客が結構おり、同じように風景を楽しんでいる。彼らにとってもここはインド国内ではあるが、インドではない場所。中産階級が車で訪れている。レンタカーだろうか。インドの観光産業はこれから発達する予感。





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