ダージリンお茶散歩2011(5)マカイバリ シャワーの有難さを知る

水シャワーに感謝

午後ネットをしているとフランス人のおばさんが一人でテクテクやって来た。何とカリブ海の島に隠棲し、時々アジアを旅行しているとか。しかも子供たちの為に何かボランティアをしたいと申し出ている。60歳を超えてそのバイタリティには驚く。

PCに強いナヤンがこのおばさんに「西洋式シャワーがある」と話しているのを聞く。実はここに来ての最大の問題はシャワー。ホームステイ先にはシャワーはなく、トイレの隣で水を被るのみ。一応個室にはなっているが、夜などは暗い上に結構涼しいので、風邪気味であることを考慮して、体を洗っていなかった。正直ラダックでも同様の経験はあったものの、ここマカイバリは乾燥地帯ではなく、むしろ湿気が多い地。だから茶の産地に適しているのだが。

ここで全くシャワーを浴びないのはチョット苦しい。そこでナヤンに案内してもらって室内にシャワーのある家に行って見た。この家は家の作りから、部屋の中身までこの付近ではかなり裕福な様子。普通の水洗トイレとシャワーが付いていた。ただお湯は出ない水シャワー。今回インドに来てから未だに一度もホットシャワーを浴びていない。

しかし3日もシャワーを浴びていない体は水でも十分に気持ちよく、落ちてくる水に感謝した。我々は日頃の有難味を味わう機会もなく過ごしているが、このような機会があれば、誰でもが自分の生活を考えてみるだろう。

10月13日(木) 別れの朝

昨晩もパサンはトレッキングの仕事で遅く帰ってきた。ここ二日は朝早く出てダージリンに行き、お客とトレッキングか、今度来る団体のアレンジに奔走していたらしい。昨年ここに1か月以上ホームステイした台湾人イラストレーターが彼らのことを本にしていた。その本が送られてきたが、書いている文字が漢字で読めないと言うので、少し読んであげる。イラストはいい。文字が無くても意味はよく分かる。

出掛けるパサンについて、散歩に出る。彼はここから上がってくるシェアタクシーでダージリンに行くと言う。道に出るとナヤンなど彼の仲間が朝から話をしていた。まだ6時半だが、本当にここの朝は早い。そして意外とあっさり別れてしまった。それでいいのかもしれない。

いよいよ出発の時刻が来た。おじいさん、お嫁さん、そしてリーデンが家の前で見送ってくれた。この小さな木の家が何とも懐かしく思える。特に設備が優れている訳でもなかったが、何となく温もりがあった。日本でも昔はこのような暮しがあったはずだ。人間の幸せとは何であろうか、再度考えた。

おじいさんが私の荷物を軽々と担ぎ上げ、道路脇まで運んでくれた。私より随分年上であるが、その慣れた仕草がこの村で生きて行来ていることを示していた。

3.ダージリン  ダージリンの宗教

昨日ラジャ氏から、「ダージリンに行く道は非常に混んでいて通常1時間で行ける所が2時間半掛かっている。早く出た方がいい」とアドバイスを貰っていた。地震の影響でもう一つある道が崩れ、工場の前の道は異常に混んでいた。私も到着当初から、何でこんなに混んでいるのか、折角の風景が台無しだ、などと感じてはいたが。

それと人々が道を譲らない、また運転が未熟な運転手が増えているとも言う。これは全てインドのモータリゼーションの産物だ。この狭い山道で自分勝手に突っ込んだらどうなるか、誰でも分かることだが、それが出来ない。また分かっていても運転が未熟で結局罠に嵌ってしまう。誰かが一度嵌ると抜け出すのは一苦労だ。

先日行ったクルセオンの街を抜けると山道である。所々に村があり、商店らしきものが見えるが、基本的には退屈である。1時間ぐらい行くと運転手が「これが俺に村だ」という。道の脇に彼の自宅もある。彼らは一体どのような暮しをしているのだろうか。

彼は既に両親を亡くし、妹と住んでいるらしい。結婚するには金が掛かり、彼は嫁さんを貰うまでの収入が無いと嘆く。運転手はシーズン中仕事があるが、オフシーズンにはお客はなく、家でテレビを見ているしかない。これでは安定的な収入とは言えない。家族を養えない。

宗教は特殊でボー教だと。この宗教は彼によれば、神様は自分の両親であり、親を敬うことを絶対にしている。この考え方は素晴らしいと思われる。現在ではこの地域でも仏教の僧侶は金の事しか考えなくなり、キリスト教はその隙間を狙って、改宗工作に余念がない。キリスト教系学校を作り、教徒の子弟は学費が安くなる。そんなことでも仏教を捨てて改宗する人が後を絶たないらしい。




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