ある日の台北日記2018その1(6)茶商の末裔4と中央研究院

5月29日(火)
茶商の末裔4

本日もMRTで中山駅にやって来た。昨日に続き、李春生の末裔を訪ねることになった。その家は繁華街にあり、しっかりしたセキュリティーが施されていた。今日会ってくれたのは、4代目で春生を研究している人。昨日の6代目からも、『おじさんはかなりの資料を持っていると思う』と言われていた。おじさんとは言っても2代世代が違う。因みに今日は6代目の母親(5代目)も、この家にやってきて色々とサポートしてくれた。彼女と4代目が叔父、姪の関係になる訳だ。

 

その李さんの部屋に通されると、資料が山と積まれており、確かに様々な資料を集めていた。ただやはり清朝時代の茶業については、殆ど資料がないという。それでもジョン・ドッドの子孫が訪ねてきたことや、『烏龍茶』という言葉が春生の発案(台湾語発音)で商品名として使われ、台湾茶の輸出に大いに貢献した話などが出た。

 

 

 

また自らも大稲埕の大邸宅で生まれ、育ったというから、光復後ぐらいまでは、川沿いの邸宅は現存していたことになる。古い写真や地図も保存されており、李家に関する資料はかなり集まっている感じだ。勿論台湾には李春生の研究者は何人もいるだろうから、そういう人々と交流する中で、資料が出てくることもあるようだ。

 

更には春生後の李家についても、いくつか話しが出ていた。中でも日本に渡った人々がおり、保険会社を興したことなど、全く知らない歴史を見ることができた。その子孫は今でも横浜在住だといい、今度訪ねに行くそうだ。歴史をやっていくと自ずと現代に繋がっていくわけだ。

 

取り敢えず、茶商の末裔調査はここまでとして、この日の午後から翌日までは台湾緑茶の歴史の原稿の締めに追われ、それに集中していた。この調査も予想以上に困難なものであり、最後までどうしてよいか迷うことが多かったが、何とか日本統治時代の緑茶について書き上げて、提出した。

 

5月31日(木)
中央研究院へ

5月最後の日、トミーに迎えに来てもらい、南港にある中央研究院へ向かった。中央研究院は台湾のシンクタンクであり、各種研究が行われている場所。台湾茶の歴史を調べるにあたっても、一度は訪れてみたい場所だった。何とトミーのお姉さんが昔ここで働いていたというご縁で、彼女もやってきて、サポートしてくれた。誠に有り難い。

 

中央研究院にはいくつもの研究所があり、事前にどこへ行くか決めないと、ビルも分れているので厄介だった。今回は取り敢えず台湾史の関係のところへ行ったが、その広い敷地に入る時も、ビルに入る時も、何のチェックもなかった(車で入る時は免許証の提示はあった)のには、ちょっと驚いた。そして事前に外国人が行ってもよいか確認してもらった時も『むしろ外国人が研究院に関心を持ってくれていることは良いことだから、歓迎する』と言われたそうだから、そのハードルは思ったより低かった。

 

そのフロアーを歩いていると、研究室の名前に何人も見覚えがあった。そう、ここの先生が研究して、その成果を発表した論文を参照することが如何に多いか、ということを感じた瞬間だった。更には廊下に展示された出版物にも即座に反応してしまい、受付に行った時、まずはその本が買えるかと聞いてしまう程、魅力的なものがあった。ここはやはり宝の山かもしれない。

 

スタッフも親切にその機能を教えてくれ、PCで一つ一つ検索していったところ、かなり貴重な写真などを見つけることができた。台湾史における資料は、まずはここに集まってくるのだと分かる。懸命にPC検索を行っていると、あっという間に昼ご飯の時間になってしまった。

 

お昼は研究院内の食堂が工事中とのことで、トミー姉の知り合いの先生に連れられて南港の山の方にあるレストランへ行った。ここはレストランだが、茶農家がやっており、お茶も飲めるようになっている。美味しい料理を厨房で作っていたここのオーナーとトミーは何と知り合いだと分かり、また盛り上がる。本当にお茶の世界は狭い。今度はゆっくりお茶を飲みに来よう。

 

午後も又研究院に戻り、ひたすらPCに向かい、検索を重ねる。三好徳三郎と辻利について、台南の茶荘の話などが見られ、面白い。また出版書籍の中に、蜜香茶で有名になった粘一族の変遷を日本人研究者が日本語で書いたものを発見し、思わず購入。周囲から変わった日本人だと見られてしまう。尚郭春秧と関係した堤林数衛の本も出版されていたが、残念ながら品切れで買えず。インドネシア茶の歴史も面白い。

 

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