コルカタ散歩2011(4)奇跡のベルルマート

(13) 奇跡のベルルマート

車に戻り、ベルルマートへ出発。ところが・・。何と片道一車線の道が全く動かない。何かが起こっている。運転手も驚いて車から飛び出し、前に見に行く。そして諦めたように「ドルガプージャ」と叫ぶ。このお祭り、もう終わったのではないのか。見ていると、長い長い行列が植物園の方に向かい、歩いてくる。鼓笛隊あり、ドルガの人形の山車あり、大勢が嬉しそうに歩いてくる。これではお手上げである。

この行列が過ぎるのに20分は要した。ここから目的地まではどの程度離れているのか分からない。運転手には敢えて急いでいると告げない。告げるとよくないことが起こりそうだったから。その後車は順調に進んだ。此れなら急がなくても間に合うかもしれない。

しかしインドはそう甘い世界ではなかった。運転手は脇道を進んだが、また車が止まる。今度は踏切だ。まるで障害物競走のようだ。それでも踏切だから数分のことと思ったのが間違い。電車はいつになってもやって来ない。リキャーなどはバーの上から車を越えさせ、通って行く。初めは笑って見ていたが、これが15分も続くと堪らない。それでも私の心境は「なるようにしかならない」というもの。インドで悟りを開いたか。

20分待って列車が行き、ゆっくりと遮断機が上がる。しかし人も車も一斉に進もうとするから、直ぐには動き出せない。物凄い時間のロスであった。それでも何となく楽しい。もうそれほど時間はない。それから車は関を切ったように進む。でも時間が。そして・・。

そして突然、ベルルマートに到着した。何と時間はちょうど5時。これはもう奇跡だ。ぴたりと着けた。何故だろうか。やはりなるようにしかならないことを証明した。車が駐車場に入り、私は入口へ。

ベルルマート、ここはラーマクリシュナ・ミッションという宗教団体の総本山。私は実はこの教団に関して殆ど何も知識はない。では何故やってきたのか、それは同級生のSさんがアポを取ってくれたから。Sさんに「コルカタ行くんだけど」と気軽に言うと、「あそこに泊まれるかもしれない」と日本支部に連絡したところ、ちょうど日本に駐在しているスワミがコルカタに戻っており、「8日の午後5時にベルルマートで待っています」と言われたらしい。

私の旅には何故行くのか、とかどんな意味があるのか、などと言う問い掛けはない。ただ行けと言われれば行き、来いと言われれば行く、意味は後から自然と分かるもの、という考え方がある。そういう意味ではこの訪問には何となく惹かれるものがある。

それにしても想像していたよりもはるかに規模の大きい総本山。しかも何となく荘厳な感じがするのは宗教の聖地だからだろうか。そしてあまりにも多くの人が夕方にも拘らず、寺院内に大挙しており、私はどこへ行けばスワミと会えるのかさえ分からない。兎に角英語は通じるので聞いてみる。

そして3回ほど聞いたところで、柱の陰で信者と話をしている小柄な男性を発見した。スワミ・メダサーナンダ、その人であった。信者との話を遮って声を掛けた。ようやくここまで来たという高揚感がそうさせてしまった。スワミも何かを感じたのか、私を招き入れ、席を開けさせた。そして英語で「どこから来た」と聞く。私が事情を説明すると「どこに泊まっている」と聞くので、私がホテル名ではなく、市内中心部と答えるとスワミは今度は日本語で聞いてくる。彼は日本に十数年住んでいる。

信者がスワミの足を触っている。これは有難味を得るための動作だろうか。皆実に穏やかに、そして有難そうに話をしている。スワミが私の方を向いて「寺院内を誰かに案内させましょう」と言い、一人の男性を連れて来た。そして「また会いましょう」と言う。僅か5分の邂逅であった。殆ど何もしていないのに、実に不思議な体験だった。

案内の男性は非常に上品な英語を使い、物静かに、そして的確に案内役をこなす。聞けば近くの大学の先生らしい。スワミは1994年に日本に来る前、このミッションの学校の校長だったという。その時の生徒。それが今立派な先生になっている。

それにしてもこの総本山の敷地は広い。そして脇にそこそこ大きな川が流れている。夕暮れ時の川を眺めてみると、川風が吹き抜ける。カラスがかなり大きな声で鳴き、木々が揺れ、非常に冷厳な雰囲気を醸し出す。信者はその様子を淡々と眺め、知り合いと神妙に話し合い、益々森厳な意味が見える。

「礼拝に行きましょう」と誘われ、分からぬままに大きな堂に進む。靴を脱ぎ、中へ入ると既に大勢の信者が床に座っていた。その数には圧倒される。壮大である。その信者の中に分け入り、座り込む。床がひんやりする。

時間通りにプージャが始まる。何と皆が歌を歌う。前の方には椅子に座ったスワミ達がいるが、誰も説教などは垂れない。何と何と30分間、歌と言うか、お経と言うか、兎に角ずっと皆腹から力を絞り、何かを高らかに歌う。私も何も分からずに腹に力を入れる。何となく気持ちが良い。確かに腹から声を出すのは体に力が漲る感じがする。

そしてとうとう何の説教もなく、終了。しかし信者の多くは座ったまま、皆話し合ったり、更に祈りのポーズを取ったりしている。私は先に失礼した。周囲は真っ暗になっており、出口すらよく分からない。案内の男性が付き添い、ようやく外へ。トイレに行きたくなり、一息ついてから、車に乗り込む。もし車をチャーターしていなかったら、どうなっていただろうか。

10月9日(日)  (14) 古いコルカタ

今日はついにコルカタを離れ、ダージリンに向かう日。朝起きてメールをチェックするとジェットエアーからフライトが3時間遅れるとの連絡が入っている。これは助かる。空港で待つのはちょっと辛い。

仕方なく、また散歩に出る。ホテルの周りは何回も歩いたが、いつも感じるのは身分の壁。凄い量のゴミを仕分けている女性、そこにものすごい数のカラスが近寄り、餌を漁る。その中で彼女は黙々と作業をする。トイレも道端。壁はあるが、囲いはない。広い道路の高架の下には、家のない人々が寝泊まりしている。その数も相当である。朝晩は結構寒いのか、毛布などもあるが、基本的には殆ど物を持っていない。うーん。

バスターミナルがあった。どのバスも満員。どこから来たのか、古いバスが唸りを上げている。広々としたターミナルに朝日がまぶしい。その道路脇にクラシックタクシーがペチャンコになっていた。交通事故うだろう。この国では、事故は恐ろしい。

トラムも走っていた。車両は年代物。博物館にあってもおかしくない物が現役で走っている。これは古い建物同様、ベンガルのプライドだろうか。しかしこのトラム、どこから乗るのだろうか。乗客はあまりいないが、適当な場所で乗り込んでいるように見える。是非乗ってみたかったが、どこへ行ってしまうか全く不明のため、断念する。

市場もあった。果物があり、横の箱を見ると「山東梨」とか、「おいしい梨」などと書かれている。この梨は中国から来たのか、それとも日本か。いや、箱の上にはハングルも書かれている。いずれにしても、アジアに中国などの果物が流れ込んでいる様子がよく分かる。

そしてホテルに戻ると迎えの車がやって来て、いよいよ出発だ。改めて街の中を通ると、本当に古い町並み。この風景は実に惜しい気がする。

(15) インド 空港の流儀

コルカタ空港に到着する。インドの空港は国内線といえども色々と面倒である。先ずは預ける荷物をX線に通す。ここが混んでいる。何とか2つの荷物を通し、シールを張ってもらう。そしてチェックイン。ここも混んでいる。どうしてインドにはこんなに人がいるのだろうか。これも急速に中産階級が育ち、旅が普通になりつつあるということか。特に今は旅行シーズン。致し方ない。

そして手荷物チェック。ここも長蛇の列だが、先頭までようやく行くと列が違うという。何の表示もなく、指示もない状態では納得できないが、「俺がルールブック」と言う厳めしい係員の顔を見ると並び直さざるを得ない。バックを持っているかどうかで分けるらしい。更にポケットにデジカメが入っていたため、もう一度やり直し。流石に抗議して特別に係員にデジカメを通してもらう。

ここまですればもう問題はないはずだったが。実は搭乗の際、また問題が起こる。手荷物にタッグが付いていないというのだ。確かに前回デリー空港でもあわや出国無効になりかけたのだが、今回は何度もチェックを受けており、問題はないような・・。しかし係官はここでもルールをかざし、何とチェックインカウンターまで戻るよう指示。

慌てて、手荷物チェックをすり抜け、元に戻る。タッグを見付けてまたチェックへ。事情を話し、列を回避し、チェックのX線を通し、スタンプを貰う。そうして急いで2階の出発ゲートへ。えらい疲れた。何でこんな目に遭わなければならないのか。思うに、インドでは分業が進み過ぎ、誰かがタッグが無いことを注意してくれることはない、ということ。これが民主主義?これはインドの弱点であり、日本にとっては要注意点であろう。

まあ兎に角何とか飛行機に乗り込み、無事に出発。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です