コルカタ散歩2011(2) コルカタ街歩き

10月7日(金) (4) 朝からインド

昨日は疲れていたのか、ぐっすり寝る。朝早くから、鳥のさえず、ではなく、カラスの大声で起こされる。コルカタはカラスが多い。取り敢えず散歩に出る。ホテル前の店では、数人の男性がチャイを飲んでいた。私も飲んで見たかったが、その輪に入るにはちょっと勇気が必要だ。遠目に彼らを観察する。チャイを飲む姿が皆実に様になっている。女性は一人もいない。カップは昔の素焼きではなく、プラスティック。カップから湯気が立っている。明らかに常連さんばかりで、お互い何やら話している。

隣の大きな建物から子犬が一匹飛び出してきた。危ないなと思ったが、さっと道路に出て行き、真中を闊歩した。さすがインドの犬は堂々としているなと思った。しかし次の日、同じ場所にこの子犬が横たわっていた。寝ていると思って通り過ぎたが、更にその次の日、この犬の周囲にハエがたかっており、死んでいることが分かる。大きな建物から同じ形の子犬が数匹出て来て、周りを囲む。兄弟だろう。人間は誰もこの死骸を片付けようとはしない。

少し行くとカラスが数十匹も密集している場所がある。よくよく見ると、そこはごみ集積場。そしてそのカラスに埋もれて一人の女性がごみの仕分けをしていた。彼女にとっては日常、私にとっては異常な光景であった。その横には石の塀があったが、男たちがそこへ行くとしゃがむ。どうやらトイレらしい。中国のニーハオトイレより凄い。更に横には水道の蛇口があり、男が裸になり、朝日を浴びながら、石鹸をこすり、水浴びしていた。朝からインドを感じた。

朝食はホテルで。ビュッフェスタイル。トーストは古めかしいパン焼き器に入れ、バターを塗る。ゆで卵を自分で割り、塩を掛ける。フルーツは避け、バナナだけに。食後にチャイを頼むとオジサンが実に丁寧にティパックをカップに入れて、作ってくれた。勿論街中の味ではないが、それも一つのチャイ。

(5) Himarayaを求めて

1時間ほど、ネットで仕事。しかしこれから私はどうしたらよいのだろうか。旅行社のセットさんに電話してみた。彼とは偶然1か月前に代々木公園で紹介され、コルカタまで来て連絡した。「実はお爺さんが亡くなりまして」。セットさんは申し訳なさそうに今日は葬儀に行くという。こちらこそそんな時に電話してしまい、恐縮。でも彼は旅行業。私の希望を聞き、明日の朝までにセットすると言って電話を切る。

では次にすることは。そうだ、事務所のとまこさん(http://tomako.tv/)に頼まれた石鹸を買いに行こう。Himarayaというそのブランドは、とまこさんによれば、品質が素晴らしく、海外からも買いに来る、インドの街ではどこにでもあるという。しかし用心深い私はネットでコルカタのショップを確認していた。4店舗あった。フロントの男性にどれがいちばん近いかと聞くと一番近くても車で15分は掛かると言う。「では歩いて行けるな」と言うと、彼は相当怪訝な顔で、「いつかは着くだろう」と答える、それで十分だ。

ホテル近くの大きな通りを南へ進む。今日は天気がよく、結構暑くなりそう。CitiBankやスタチャンの支店が店を構える。インドにかなり食い込んでいる。途中、セントポールカテドラル、という立派な教会がある。流石植民地、と言わざるを得ない。1847年建造。何と1897年と1934年に大地震があり、崩壊したとある。そうか、この辺には地震があるのか。新たな発見。

中に入ると荘厳な雰囲気が漂う。観光客もいくらかいるが、話声がすると座っているオジサンが鋭い視線を投げる。大きな教会だ。ステンドグラスも大きい。1800年代にカルカッタへやってきて、布教した宣教師たちはどんな気持ちだっただろうか、と考えてしまう。勿論インドにはイエズス会の宣教師が1500年代には来ていたので、それほどの覚悟は要らなかったかもしれないが。

そこから更に歩き出す。しかし目指すお店の場所はトンとわからない。コルカタの街には交差点ごとに警察官詰所?がある。場所を聞くと丁寧に教えてくれる。中には「日本から来て何でそんな所へ行くんだ」と聞いてくるオジサンもいる。英語が分かり難かったのか、私の理解力の問題か、3回ぐらい聞いただろうか、結構歩いた。やはりインドは歩くところではないかもしれないと思い始めた頃、ようやくHimarayaの看板が見えた。小さなお店で、教えられなければ見逃したかもしれない。

店自体は小さいがきれい。お姐さんが一人、客の相手をしていた。私の番になると早速コピーした内容を突き出し、「これをくれ」と言う。先方も心得たもので、どんどん探していく。石鹸、クリーム・・・。ただ無い物もいくつかある。「プージャの翌日で品物は入って来ていない。昨日まで休みだったから」と。そうか、それはラッキー。多少の欠品は我慢しよう。紙袋一杯買った。何とかとまこさんに面目が立ちそうだ。

因みにこのお店には韓国人女性が良く来るという。ここの商品を1度使ったら病み付きになる、とはお店の宣伝であった。

(6) 卵焼きそばと両替

歩いて戻る。途中で道端に人だかりがある。見ると何か焼いている。とてもいい匂いがした。焼きそばらしい。急に腹が減る。確かに昼は過ぎているし、これだけ歩いたのだから、当然か。注文したいと思ったが、狭い道路脇に人が多く、なかなか近づけない。しかも荷物が大きい。

ようやく屋台の前へ出て、「ヌードル」と叫ぶ。おじさんは卵を指す。思わず頷く。卵焼きそばになった。目玉焼きが上に乗る。隣の人を見ると8rp払っているから、10rp出すとダメと言う。16rpらしい。卵が入っただけで値段が倍に。昔中国でも卵は高かったな、と思いながら、列から離れ食べる。うーん、これは中国の焼きそばと大差ない。熱々で美味い。こんなウマい物がこんなに安い。インドは幸せな国である。

ホテルに向かって更に歩く。朝見た銀行スタチャンが見えた。そうだ、ルピーに両替しよう。銀行の建物はかなりのオールドファッション。なかなかムードがある。窓口で聞くとここでは外貨両替はやっていないという。お姐さんは親切に両替できる場所を教えてくれた。トーマスクックだという。

また歩いてトーマスクックを探す。これまた古めかしい建物。中へ入ると実に狭い空間に人が沢山働いていた。警備のおじさんに咎められる。「俺は客だ」と言って見たが、何と英語が通じない。それでもそのおじさんも親切に何かを言っている。どうやら両替はこの場所ではないと言っているようだ。オジサン、紙を取り出し、住所を書く。しかしそれが何処にあるのか、全く分からない。残念ながら両替は諦めて、ホテルへ戻る。

(7) インド博物館

疲れてはいたが、近くのインド博物館へ向かう。朝の散歩で場所は確認済みであり、スムーズに行ける。ガイドブックでもホテルの近くで載っているのはこの博物館のみ。今日は金曜日だが休みではないだろう。

入り口付近は大変な混雑であった。外国人の姿はまばらで、多くはインド人。チケット売り場に殺到している。私は過去のデリーなどでの経験で知っていた。外国人は別料金だから専用窓口で直ぐ買えることを。探すとやはりある。外国人100rp、インド人1rp。何と100倍である。どうしても納得できない。以前中国でもこんな理不尽な価格設定があったが、今や世界でも6-7位の経済大国インドでこのような二重価格が存在するのは許せない。ただ考えてみれば、これは外国人との二重価格ではなく、カーストなどで阻まれた下層者への配慮であるかもしれない。

1814年建造のこの博物館、イギリス植民地時代は何であったのだろうか。相当大きな規模である。裏にはきれいな庭もあるが、参観者は立ち入り禁止である。2階建ての建物は四方を囲み、中庭もある。ドーム型の柱がコロニアルである。

1階の廊下も広く、仏像、彫刻などがずらっと展示されている。ブッダガヤから出土した仏像には、味がある。欧米人も興味深く見つめている。インド人にはあまり関心が無いようだ。インド人にとって、仏教は既に過去の物であり、興味の対象でないことが分かる。

見学は各部屋の展示室に行って見る。ヨーガの原型を描いた絵画があった。ユニーク。原始時代からの模型はどこの博物館でもあるものだった。インド人に一番人気は何と2階にあったミイラの特別展。インド人の頭の中には「体は仮の物。死ねば体は終了するが、心は残り、転生する」と言われているが、そんな人々がミイラを見てどうするのだろうか。何を思うのだろうか。中は押すな押すなの満員で、とても見ることが出来ない。外へ出ようとしても、入口へ人が押し寄せるために、出られない。何とも不思議な光景だった。

帰りは少し回り道して散歩。スチワート・ホッグ市場と言う名のレンガの建物が見える。近づくと物売りか、案内志望か、何人もが声を掛けて来る。構わず中に入ると狭い売り場がひしめき、更に声が掛かる。どうもインドは面倒くさい。かなりしつこい。紅茶屋さんでも探したかったが、諦めて外へ出る。市場の脇ではドルガプージャの余韻か、太鼓が叩かれ、ドルガの前でお祭りが続いている。



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