『インドで呼吸し、考える2011』(20)デリー 全ては安全上の理由から

世界遺産へ行き損ねる
地下鉄に乗って市内に戻る途中寄り道する。高架から立派な遺跡のようなものが目に入る。チャタプールと言う駅で下車。駅のすぐ近くに何やら像が立っていたので行って見ると、何とテーマパークのような場所。ここで降りたインド人達は次々と乗合タクシーやリキシャ-に乗っていくが、私は行先が不明?のため、徒歩で目指すことにした。

途中かなり大きなイスラム寺院があり、多くの人が入って行ったが、靴を脱ぐのが億劫で入るのを断念。ここを過ぎると歩く人もまばらとなり、目的地の方角も定かでなくなる。駅から見えた遺跡がそんなに遠いわけがない、とは思ったが、歩いても、歩いても見えてこない。

タクシーもリキシャ-すらも通らなくなり、諦める。しかしどうやって戻るか、目的地に着けなかった落胆も含め、曇りの天気にも拘らず、相当の疲労感がある。今来た道を戻るのは本当にしんどい。前をよく見ると高架が見える。ここは地下鉄の次の駅へ向かう道のようだ。それから20分ほど歩いて、ようやくクタミラーと言う駅に着き、地下鉄で戻る。

この寄り道は一体なんだったのだろうか。あまりにも計画性がない旅を戒められたのだろうか。兎に角近くまで行きながらチャルタプールと言う世界遺産を見逃したことには違いはない。

全ては安全上の理由で
YMCAに戻り、シャワーをたっぷり浴び、通いなれた1階のビジネスセンターへ行く。今回は1日2回ここでメールチェックなどを行っており、すっかり顔なじみに。何だかデリーも名残惜しい。

最近出来たと言うエアポートエクスプレスに乗れば、ニューデリー駅から空港まで僅か18分、しかも駅でチェックインもできると言うので、早めにYMCAを出る。これまた顔なじみになりながら一度も使わなかったリキシャ-のターバンおじさんが待っていた。「最後ぐらい乗れよ。駅まで30rpで行くよ」と言われたが、今回は地下鉄で通そうと思い、断る。

大きな荷物を持って、地下鉄へ。何だかこの格好でいるとちょっとインドに入り込んだ気がする。地元の人と一緒に危ない道を急いで渡り、地下鉄の荷物検査に耐える。インドに居ると時々顔を出す「俺はいったいなぜここに居るんだ、何しているんだ」という思いが出て来る。

ようやくエクスプレスのチェックインカウンターへ。ところが・・・。国際線のカウンターが何処にもない。聞けば「ここでチェックインできるのは国内線のみ」と言う。ここまで重い荷物を運んできた疲れからか急に怒りがこみ上げる。「広告のどこにも書いていないと」と責めると、「その通り、我々も不思議に思っている、全ては安全上の理由だ」と。

エクスプレスの職員はそれでも私の荷物を見て気の毒に思い、「先ずは空港に行ってくれ」と自ら荷物を持って切符売り場で切符を買ってくれた。空港まで何と65rp。空港から来たプリペイドタクシーが320rpだったから、格安ではある。

実は計画ではチェックイン後に夕食を市内で食べ、悠々と空港へ向かはずだった。しかしこうなれば仕方がない。空港へ向かう。ホームに降りるとすぐに列車が来た。見た感じは香港のエアポートエクスプレスと同じ。記念に写真を撮ろうとすると・・。

係員が飛んできて「写真不可」を言い渡す。思わず「何で!」と大声になる。「安全上の理由で」との答えに納得できない。どこにも禁止の表示はない。すると一旦列車に乗ったインド人の品のいい紳士が降りて来て「どうした」と聞く。彼に理由を話せば、この理不尽な対応に何か言ってくれると期待したが、彼の口から出た言葉は「すべては安全上の理由です。我慢してください」というもの。確かに先月もムンバイでテロがあったばかり。しかし・・・すべて安全上の理由で片づけられては。

デリー空港で一波乱
エクスプレスは確かに18分で着いてしまった。しかし私にはまだ出発まで4時間半もの時間が残されている。先ずはチェックインが出来るかどうか。恐る恐るカウンターへ向かうとチェックインはいとも簡単にできた。そこでつい、「何故市内でチェックイン出来ないのか」と聞いてしまった。

職員は誇らしげに「それはインターナショナル・ルールだから」と答える。これまで大抵のことには我慢できていたが、この近代的な空港でインドのことしか知らないにいちゃんにインターナショナル・ルールを持ち出されるとちょっと怒る。香港だって、他のアジアの都市だって、市内でチェックインできるぞ、と言い返すと、彼も本気で応戦してきた。

とその時、後ろに一人だけいたインド人のおばさんが「そうよ、香港ではチェックインできたわ」と助太刀してくれる。職員もおばさんの勢いに押されて私にボーディングパスを渡す。しかし更におばさんが「あんた、香港人?香港はひどいわね、英語が全く通じない、何アレ」と怒りの矛先を私に向けて来た。確かにおばさんのインド英語は相当凄まじく、ほとんど聞き取れない、香港人も参ったことだろう。早々に退散する。

イミグレは結構並んでいたので、早めに通過しようと列に並ぶ。後ろに中国人の団体が20人ほど並び、口々に「インドって、なんでこんなに遅いんだ」と北京語でまくしたてる。私にしてみれば10-20年前、あんたの国もこれと同じくらい遅かったんだと言いたくなる。

30分ほどしてようやくイミグレを通過、ホッとして荷物検査を通過しようとすると、お姐さんが「タッグが無い」とつぶやく。そして私に目配せして、「キングフィッシャーのオフィスへ行け」と小声で言う。私は意味が分からず、何言っているんだ、と聞き返すと、万事休す、といった表情になる。彼女の上司がやって来ていきなり、「タッグが無いなら航空会社カウンターへ戻れ」と叫ぶ。一瞬何が起こったか理解できない。説明を求めてもおじさんは私のボーディングパスに押された2つのハンコにバツ印を付け、イミグレを指さす。しかしここから戻る方法すら分からない。どうするんだ、途方に暮れる。

仕方なく、イミグレへ向かうと銃を持ったおじさんが「なんだ」と怖い顔でにらむ。検査台を指して、訴えるとそのおじさんが、検査台で状況を確認して、ちょっと来い、と手で合図する。とうとう一からやり直しか、はたまた賄賂でも要求されるかと思っていると、おじさんは自分の席から何かをポーンと投げてよこした。見るとタッグである。それを持って検査台へ行くと、何事もなかったかのように通過できた。一体今のナンだったのだろうか。しかもよく見るとそのタッグは私の搭乗するキングフィッシャーではなく、エアアジアのものであった。これがインドの柔軟性か。

中に入ると、そこはインドではなかった。高級車の展示あり、マックやビザ屋あり、広々とした空間で人々が飛行機を待っていた。「インドは一度トラブルと大変なんです」と言われていたが、厳しくもあり、また楽しくもある場所である。それにしてもあのタッグはカウンター職員がドサクサに紛れて、わざと渡さなかったのだろう。それでも何とかなってしまう所がやはりインド、ということか。今回もまた大いに勉強になり、人生を考える上で大きな意味があった、と思う。




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