『インドで呼吸し、考える2011』(15)ラダック 今までの生活は一体何だったんだ

7月20日(水)
14.ラダック10日目
今までの生活は一体なんだったのか
朝起きると外が騒がしい。どうやら女子高校生がピクニックに行くらしい。私は相当に寝坊したらしい。一緒に連れて行ってくれるのかと思ったが、あっと言う間に置いて行かれる。P師一行も講義に出掛けて行き、更に学校に行く尼僧たちも出て行ってしまった。こうなるとこの尼僧院は静まり返る。

唯一物音を立てているのが、あのおじさん。朝から夕方までひたすら何かを砕いている。穀物だと思っていたが、どうやらそれは医療で使う薬草を砕いていることが分かる。きっとハーブ園から採って来た物だろう。それにしてもお寺の鐘の音のように音が響き渡るが、誰も反応しない。そしてそれは果てしなく続く。

お昼になっても状況は全く変わらず、おまけに電気も来ていないので、PC使用も控える。そうなると読書しかなく、3冊の本を並行して読んだりしている。初めて完全に時間を持て余す。

2時頃、おばさんが食事を運んできた。私のために例のクッキングチームが作ったスパゲティとサラダ。物凄い量だが、ペロッと平らげる。それはラダックで初めて感じたストレスのせいだろう。やはり人間、ストレスがあると食べる。誰にも構われない生活は理想的とも言えるが、そばに誰もいない生活はストレスになると言うことか。

自ら色々なことを考え出す。ここでは朝お湯が配られて目覚め、シンプルではあるが実に満ち足りた食事を三食頂き、電気がある時はPCに向かい、無い時は読書。ネットが繋がる時は1時間ほど、メールなどをチェックするのみ。そして尼僧より昨年当地を襲った洪水の様子とその後の人々のポジティブな対応を聞く。話の中で何度も「Positive」「Improve」という言葉があり、我々にも何かを訴えかけて来ている。「各人がエゴを消し去ることが大切」、実に難しいこと。

ここにいると、今までの生活は一体なんだったのか、と思ってしまう。電気が無ければ寝てしまう、車が無ければ歩いて行く、シンプルライフを実行する方法はないのだろうか。「エゴ」を少しずつ消していけば、何かが変わるのだろうか。

最後の晩 
昼寝をしている内に皆帰ってくる。何となく安心。ここの生活も10日になり、かなり馴染んでしまっている。日本では、誰かが帰ってこなくても、一人の生活でも特に気にも掛けないが、ここでは家族の帰宅を待つ気持ちが出る。日本と言う社会が、まさに「関係」を失った孤独な社会に見えてくる。

実は私にとって最後の晩は、イギリスの女子高校生の最後の晩と偶然重なっていた。お別れ会があるというので、皆ウキウキしたり、緊張したりしていた。何だか自分まで緊張していた。

P師が私の部屋の前の椅子に座っていた。彼女は決して「今晩が最後の夜ですね」などとは言わない。実にさりげなく会話を始めた。「あなたの子供達はもう十分に分別がある歳。あなたが家族に対して全責任を負う役割は終わった」。会社を辞めたことに対する回答だった。

「日本で仏教を学ぶのは難しい。環境的に整っていない。もし本当に勉強するならインドへ来なさい。でもダラムサラのように西洋化された場所はよくない。バラナシなど、仏教の聖地に可能性がある」「不必要な情報は捨てなさい。これまでのご縁を整理するのもいいでしょう。でも無理にやってはいけない。離れていく人とは自然と離れて行くもの」

「日本も今回の震災を契機に少しずつ変わっていくでしょう。でも、急激な変化、目に見える変化だけを追い求めてはいけない。精神的な構造変化はそんな簡単には起こらない」

こんな話を聞いている内に、夜が更け、お別れ会が始まった。尼僧たちは、英語で司会を務める子、歌を歌う子、踊る子など、一生懸命、エンターテイナーになろうとしていた。正直決して上手くはないが、それはある種の感動だった。

P師が言う。「尼僧がここで踊りを踊ることなどありません。でも彼女達は自分が楽しみ、相手を楽しませるために、一生懸命やっています」何だか、楽しいはずが泣けて来た。

7月21日(木)
別れの朝
朝が来た。ラダックに来てから11日目。とうとうこの地を離れる日が来てしまった。昨日の送別会の余韻もなく、僧院の朝は淡々としている。尼僧は夜が明けるとお湯を持ってきてくれる。その後、熱いチャイも運ばれてくる。これはもう毎日の日課である。それが今日で途切れることには、大いなる感慨がある。

朝ごはんの支度が出来た、と呼ばれる。まだ6時過ぎだ。僧院の朝ごはんは8時からだが、私のために特別に用意してくれていた。しかも食堂には既にP師が座っていた。私に付き合うために来てくれていた。

ここの生活が非常に気に入ったことなどを伝えると、「いつでも来たければ来ればいい」と言ってくれる。そしてここで得た生活体験をこれからの生活に生かしたいと言うと「それは難しいこと。都市生活者に戻れば、すぐに元に戻ってしまう。それでもここの生活を忘れないようにすることは大切」と助言してくれた。

実際にデリーに行き、そして香港に行く頃には、この生活は思い出すものの、素食や自然な睡眠、安定した心など、全く顧みられなくなっていた。人間、そう簡単に変化できるものではなく、また簡単に安きに流れる物。恐ろしい。

出発の時間が来た。車で空港まで送ってくれる。皆が集まってきて、さよならを言う。しかし別れを惜しむ時間は殆どなく、車は動き出す。何人に手を振ることが出来ただろうか。いや、仏教は一期一会、会う時は会うし、別れるときは分かれる。




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