『インドで呼吸し、考える2011』(11)ラダック 奇跡の虹を見た

7月17日(日)
11.ラダック7日目
奇跡の虹
朝、ぼーっと目覚める。今日は早くから尼僧たちの声が弾んでいる。確かイギリスの高校生との交流会がある日なのだ。そう思って気にしないでいると、一人が部屋へ飛び込んできて、「大変だ、こっちだ、空が・・」と言うではないか。慌てて外へ飛び出すと晴天の中、小雨が落ち、そして山のあたりにきれいな虹が架かっていた。

しかもその場所はこの2日間訪れたあのスピトク寺院。これは何か特別なサインだと誰にでも分かる。何しろ降水量の少ないラダックで虹は珍しい。2階に上がるとP師が既にカメラを構えていた。「本当に稀なこと。今回スピトクの法会が成功したと言う意味だ」とこの時ばかりは宗教的に言う。確か今日は1年一度ご開帳されていた曼荼羅絵を仕舞う日。

私は昨日よりリンポチェの転生のことなど考えており、ちょっと不謹慎な思考も混ざっていた。特に人々が6歳の子供を生まれ代わりとして崇める姿にはかなりの違和感があった。しかしこの特別の日に目の前でこういうものを見せられると、考えを変えざるを得ない。「ラダックに行けば何かが見られる」と誰かに言われたが、これだったのだろうか。

ただ後で聞くと別の意見もあった「昨年の大洪水も稀なことであった。雨が降ることはよいことだが、また昨年同様の災害に見舞われるのではないかと危惧している人々もいる。虹が出たことが全て良いこととは言い切れない」果たしてこの虹は何を意味するのか。日本ではよく奇跡を扱う番組があり、素直には信じられないが、今回の虹、私は吉兆と信じたい。こんな所から信心とは生まれるのかもしれない。

脈診で分かる「考え過ぎ」
8時前、P師より声が掛かる。LNA関連の資料とDVDを貸してもらう。そしてとうとう脈を診てもらった。P師はチベット伝承医学を納めており、この地方は勿論日本にも診てもらいたがっている人々がいる。今回特別の計らいで実現。そして気になる結果は「身体機能には異状なし。但し考え過ぎ」とのお見立て。

彼女から色々とアドバイスを貰ったが、その後本当の患者が待つクリニックへ出掛けて行った。朝食は食べたのだろうか、凄い人だ、本当に。私の朝食はちゃんと残されていた。今日は珍しく揚げパン。何もつけなくても美味しい。もしこれに砂糖が付いていれば、小学校の給食で食べたあの揚げパンそのものだ。3枚も食べてしまう。

パンを食べながら考える。「考え過ぎ」とは何だろうか。中国でも他のアジアでも「日本人は細かいことを考え過ぎ」とはよく言われた。「重箱の隅をつつく」とも言われた。北京の脚マッサージのお姐さんからも「あなたは一日中頭を働かせている。頭も休めないと使い物にならないよ」と言われたことなども思い出す。

確かに我々は「隙のない生活」を目指しているのかもしれない。そして他人を指して「どうしてあんな簡単なことに気が付かないのだろう」などと思う。日本社会の縛りの構図のような気がする。

P師の言った考え過ぎとは恐らくはもっと大きな意味だろう。「アジアのことを考え、日本のことを考え、家族のことを考え、そして自分のことも考える」それでは疲れてしまうだろう。オンとオフをはっきりさせて、休む時は休む、他人に任せる時は任せる、そんな生活を送れ、と言われたようだ。が、まだ判然としない。

イギリス人高校生来訪
9時過ぎにイギリス人高校生がやって来た。皆準備に余念がなく、胸に名前を張ったりして、緊張の中で実に嬉しそうだった。到着した高校生の荷物を嬉々として運んでいた。グループワークも楽しそうにしていた。正直色々と環境が違う彼女ら。実際はどう思っているのかちょっと関心がある。ハーディは大活躍。受け入れ側代表であり、全体のコーディネーターとして走り回る。庭には特設テントも設置され、調理の補助として何故か男子3名がやって来てテントに泊まるらしい。

交流は順調だったようで、グループワークでは仲良く作業していた。午後も歌やパフォーマンスがあり、尼僧たち、とくに幼い子達は大喜びではしゃいでいた。ただ昼ごはんの時に高校生は先に食べ始め、尼僧たちは結局場所が狭すぎると言うことで、外で食べることになってしまったのは、双方に取り残念なことであった。夜も交代で食べる。

先進国で何不自由なく育ってきたと思われる10代のイギリス人が、突然何もない環境に放り込まれる。「World Challenge Program」というイギリスベースの高校生プログラムだと言うが、イギリスは思い切ったことをする。日本なら「もし何かあったらどうするんだ」と責任論だけが先行し、学校もリスクを取らず、結局このような有意義な体験を得ることは出来ないであろう。イギリス教育の奥深さを感じる。

宿泊などの環境は体験できても、さすがに食事は共有できないとのことで、ケータリングチームが派遣された。彼らはトレッキングのガイドなのだろうか、素早いさばきで食事を作り上げる。その味は肉や魚は使っていないが、西洋人好みに出来ていて驚く。

実は私は外国人扱いで、結局食事はイギリス人と食べる。というよりも彼女らが連れてきたコックが作る料理のご相伴に預かる感じ。クリームスープはとても濃厚、ベジカレーは最高に美味しく感じられた。ようは僧院の食事は基本的に刺激、味付けが酷く抑えられていると言うことなのだ。どちらが良いと言う問題ではなく、美味しいものをたまに食べるのは幸せな気分。しかし考えてみれば、私は彼女らの施しで食事をしていることになる。恥ずかしいような気もするが、ここにいれば、それも良しを思える。

驚いたことにあの新入り少女はまだ馴染めずにはいたが、何とハーディと英語で不自由なく会話していた。そういえばさっき会計係であるソーナムと調理者とのミーティングにも首を突っ込んでいた。彼女はソーナムの親戚だと聞いているが、難しい話もある程度分かっているのだろう。ハーディの好きな食べ物はとの英語の問い掛けに、にカリフラワー、好きな動物はホッキョクグマと答えるあたり、只者ではないかもしれない。ただハーディが敢えて「昔の良い思い出は」と聞いたのに対して、明確に答えなかった。それが彼女のポイントなのだろうか。



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