『インドで呼吸し、考える2011』(8)ラダック エゴを消し去るとは

7月15日(金)
9.ラダック5日目
日本の寺が建てたシャンティ・ストゥーパ
朝起きると、原稿を一つ書いた。兎に角電気が来ていることが嬉しく、何かやろうと言う気になる。その内にP師の声がしたと思ったら、車で出て行ってしまい、本日の予定もまた分からない。P師一行はどうやら重要な礼拝に呼ばれて行ったようだ。そんな重要な用事とは何だろうか。

朝食の時、ハーディから「P師は午後戻ってくるので、午後外出」との伝言を受け取り、午前はフリーなのだからどこかへ自分で行って見ることにした。ハーディはシャンティ・ストゥーパがいい、というので従う。

道はこの建物の横をひたすら北へ真っ直ぐとか。陽も出ていないので、歩いても行けそうな雰囲気。もし途中でヒッチできればと思いながら、行動を開始した。若干の上り坂である。意外ときつい。途中車は通ったが、軍関係が多く、停まらない。

道は少しずつくねっており、面白い。ちょっとした村を通り過ぎると、左手の山の上に寺院が見えた。あれに違いない、と思うものの、あとどれくらいで着くのかわかない。レイの街は右へ、と表示があり、その先にバスストップがあった。大勢が待っていたが、私が行く方ではなかった。その先で一台の小型車が停まった。場所を告げると、すぐそこだよ、言いながらも乗せてくれた。

3分後の車を降り、麓に向かって歩き出す。ようやく到着すると、急な階段を上から僧侶が降りてきた。「この道がショートカットだ」と教えてくれたので、上り始める。しかしそこは想像を絶する急さで(いや実際には見えていたのだが、想像が働かない)、少し上ると息切れする。振り向けば雄大な眺めが見られるのだが、欠点である高所恐怖症が顔を出し、階段をじっと眺めて耐える。もし日差しがあれば遮るものもなく、熱にやられたかもしれないが、幸い今日は相当に涼しく、何とか堪える。

すると後ろから若者が一人上ってきた。日本人だった。彫刻で独立する前の旅行だと言う。彼と話して何とか元気を取り戻し、上へたどり着いた。しかし一時は呼吸困難も予想され、その場合どうなったかはあまり想像したくない。

小さな寺院へ入ると仏像が安置されていた。更に少し上ると大型の仏像が置かれていた。ローマ字で南妙法蓮華教と書かれていた。横に太鼓があり、妙法寺なる字が見えたので、これが妙法寺と言うお寺が建てた寺院、シャンティストゥーパのご本尊だと分かる。またこの上にストゥーパがあるのだが、これは東南アジアスタイルで、日本的ではないが、確かに日本の寺院が建立したものらしい。

帰りは安全策でメインの道をゆっくり降りる。途中から何故か雨が降り出す。ここラダックで雨とは貴重な体験だ。と言ってもホンのパラパラだが。麓にはいくつかゲストハウスもあり、エコを謳っているものまである。如何にも西洋人が好きそうに作られている。街より値段も安いのだろうか。日本人はこういう所で一日ぼーっと過ごすことは耐え難い。

道を歩いていると反対側から車が通り過ぎた。どうやらタクシーだったようで、停まる。場所を告げると150rpなら行くと言う。悪そうでもないし、道も知っているし、何より疲れたので、送ってもらう。僅か10分で我が苦難の巡礼の道は逆戻りできてしまった。何とも言えない、いやそれが人生である。

スピトク寺院
昼はカリフラワー炒め。これは美味しいが午後の外出に備え控えめに食べる。しかしその後何のお呼びもなく、時間が過ぎていく。P師は相当に忙しいようだ。3時頃P師から声が掛かり、残りの質問をする時間を得た。「敵は自らの内にある」「如何にエゴを消し去るか、人間の体をした野獣であることを捨て、平和に生きられるか」など、心に残る話がいくつも出て来た。

4時になり、昨日の2人、ツォモとスタンジン、そしてハーディも参加して、スピトク寺院へ向かう。この寺院は明日朝大きな礼拝があり、特別に私も参加できるように取り計らってくれている場所。ゆっくり写真を撮る暇はない、ということで、下見のように出掛ける。

先ずは歩いて空港道路へ。しかし昨日とは違い先ず南へ下り、殆ど2つの道路が交わるあたりでバスを待つ。ミニバスがすぐやって来たが席はなく、立っていく。それでも10分ほどで到着。バスを降りると寺院が岩陰に見える。あまり高い所ではないようで、安心して上る。

このお寺もかなり古いようで、15世紀にはできている。その際にはチベットのツォンカパからも贈り物がもたらされたと言う由緒正しい所。入り口には何故か日本語での説明もある。その建物の天井が既に壁画であり、何故か凶暴な鳩?がこれを守るように構えていた。

上ると景色は美しい。この付近には畑もあり、緑豊かな風景となる。反対側には空港の滑走路が見えると言う何となくアンバランスな感じはあるが。本堂は閉まっていた。実はここにはリンポチェが住んでおり、先程彼の乗った車とすれ違っていた。どうやら踊りが下であるらしい。

このリンポチェは前世がラダックに教育をもたらしたとして評価が高い方の転生。僅か6歳だと言う。一番新しい建物に入ると、2人の写真(前世と現世)が飾られている。祈りが行われる場所として壁画もあり、仏像も置かれている。この寺院は歴史が古いのみならず、この辺りの中心的な寺であることが分かる。

景色に見とれていると、昨年ここで外国人が転落死したと伝えられ、ちょっと緊張する。頂上には本当に古い部屋がある。ここは撮影禁止。壁画もかなり傷んでいた。しかし中に置かれていた仏像を見てびっくり。物凄い形相、忿怒尊像と言う名前らしいが、数体安置されている。どんな意味があるのだろうか。

更にここから階段が無い岩肌をつたわり、ブッタ像のある場所へ移動。これが結構難儀。昨日買ったばかりのサンダルを適当に履いており、もし滑ると一巻の終わりという場所もあり緊張。しかしその場所から撮った景色は偶然かもしれないが、実に雲と風景がマッチしていてよかった。

帰りはバスを待つがなかなか来ない。ようやくやって来たバスを見てびっくり。誰一人乗っていなかったのだ。これはラダックでは滅多にない僥倖だろう。おまけに降りるときにツォモが支払いをしようとしたが、運転手は受け取らなかった。これこそ有難いことである。

夕方あの新入り少女がしょんぼりしていた。泣いていたかもしれない。誰かと軽い諍いがあったかもしれない。そういう時は年上のお姉さん尼が間に入り、話を聞いている。基本的には我々が想像するような修行の場と言う厳しさはないが、返って人間的な修行になるような気がした。

夕飯は何故かいつもより人数が多かった。既にここを巣立った、またここから別の場所へ派遣されている尼僧が数人戻ってきているようだ。今日は特別な日であるらしい。そういえば日本でもお盆というのがあるが、旧暦でその時季なのだろうか。夕食後直ぐに特別のミーティングも開かれ、夜遅くまでP師の講話があったようだ。

7月16日(土)
10.ラダック6日目

エゴを消し去る
朝5時過ぎに鐘が鳴った。通常よりかなり早い。外もまだ暗い。昨日の話ではヨーガがあるとのことであったが、よく分からない。何か特殊な体操があったのだろうか。今日はことのほか、涼しい。気温は10度台であろう。

ここに来てから、簡単な3度の食事、勿論肉や魚はなく、また間食も殆どしない。以前のヨーガ合宿のように毎日何かプログラムがあるわけでもない。しかし自らの心がかなり落ち着いてきていることが分かる。それは食事だけの問題はなく、この尼僧院の雰囲気、周囲の自然、などが大きく影響している。

日本は相当暑いだろうな、節電、節電で。こちらはクーラーなしで十分に過ごせる。人間の欲望の一部を自然にそぎ落としてくれるようだ。これがレイの街のゲストハウスで西洋人や日本人といれば、ラダックに居ても、また違ったであろう。私が極めて得難い体験をしていることを実感してきている。

それにしても「エゴを消し去る」とはどうやってやるのだろうか。エゴのルートを分析する、と言っていたがこれはなかなか難しい。怒りの転換、確かの全ての人が同じ境地に入れば、恐らく問題はないが・・・。いや、これは他人の問題ではないのだ、自分の問題として一つずつ解決していくべきことなのであろう。

朝9時前に声が掛かり、尼僧の一人ナムの運転する車で私だけが再度スピトク寺院へ運ばれていった。ラモは北部ヌブラの出身で、2007年までバラナシ(ベナレス)で勉強していたが、卒業して戻ってきたと言う。僧院生活は楽しいのだと。10分程度で到着。ラモは携帯電話を取出し誰かを呼び出す。

彼女は「ラマ ソーナムが迎えに来ます」と言い残して帰ってしまう。あれ、どうすれば、と思っていると、頭上のマニ車の横で手を振る僧がいた。上がっていくと流暢な英語で話す。ここに定住している僧は32人、昨日今日明日は特別のプージャ。昨日見た綺麗な曼陀羅を一年に一回クリーニングし、明日には閉まってしまうと言う。所謂ご開陳に遭遇したらしい。



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