『インドで呼吸し、考える2011』(7)ラダック バスでパゴダへ

ティクセ
我々がやって来たのはティクセという寺院。15世紀の半ば、ツォンカパの予言によりこの地に建てられたというから、歴史は古い。そして何と言っても実に雄大な景色が見える。ラサのポタラ宮に似せられて作られたとも言う。確かにそんな感じはあるが、24年前のラサ訪問の記憶は薄い。

雄大であるが、当然ながら上りはきつい。流石にポタラ宮ほどではないが、二人の尼僧の後を少し遅れ気味に付いていく。ゆっくり歩くと景色が眺められる。寺院も雄大なら、付近の風景もまた雄大。やっとお寺の入り口に到着したところ、スーザンとレイで同じ宿だと言う日本人に出くわした。

このTさん、奥さんがタイ人。アメリカ方面で30年仕事をした後、50歳でリタイアし、タイのチェンマイに移り住んだと言う。こんなところでロングステイの大先輩に会うとは。Tさんはロングステイではなく、永住するとのことだが、既に10年をチェンマイで過ごし、かなり気に入っている様子。チェンマイに来ればと誘ってくれる。これは面白い。

Tさん夫妻は奥さんが仏教徒。毎年ネパールやインドなどを訪ね歩いていると言う。何か月も前から飛行機を予約、相当安い費用で来ている。今日もこの寺院に泊まり、明日朝の大礼拝を見学するのだとか。なかなか面白い。奥さんはまだ若く、英語も日本語もできる。今は日本人にタイ語を教えていると言う。

この寺院の拝観料は30rp。一番の見所はチャンパ大仏像。1階2階吹き抜け、2階で見るとお顔だけが出ている。高さ15mはラダック最大。2人のガイド役は尼僧であり、当然熱心に祈りを捧げる。そしてどんな時でも右から回り、全ての仏像には礼拝する。T夫人はタイ式の祈りを捧げる。色々と違いがあって面白い。Tさんと私は何もせず、不信心が暴露される。

他にも壁画などがあり、西洋人観光客がガイドの案内を聞いている。アジア系では韓国人は見掛けたが、日本人と会うことはなかった。日本人は関心が無いのだろうか。簡単な博物館があり、バター茶を作る機器などが展示されていた。ツァモとスタンジンには写真を一緒にと言うオファーがいくつもあり、人気者に。尼僧が珍しく、かつチベット的だと受け止められている証拠だ。でもインド人が少し偉そうに写真を撮っていると何だか少しムッと来てしまうのは何故であろうか。

ティクセに分かれを告げて、またバスを待つ。シェイに行くらしい。シェイと言えば、今回色々とアレンジしてくれたSMさんのご主人の故郷であり、現在娘さんが当地に滞在していると聞いていた。今度はバスもすぐにやって来て、しかも席に余裕があった。ラッキー。ラダックの交通はよく分からない。

シェイからヒッチハイク



シェイまで15分程度。バス代も10rp。シェイパレスと書かれた看板の所からマニ車を押しながら上る。10-15世紀までこの地がラダックの都であったが、何故か王宮は1600年代に出来、1800年代に王族が転居するまで使われたらしい。現在王宮に住人はなく、荒れていて見学は出来なかった。

しかし周囲の景色は素晴らしい。圧倒されてシャッターを切る。珍しく雨が降りそうで、風も強くなり、その気候の変化が美しい景色を生み出している。寺院の方にはこちらも2階建ての仏像が安置されている。

下に降りるとスーザンがティクセに戻り、泊まると言い出す。確かさっきTさんが明日の朝大きな礼拝があると言っていたが、彼女はそれに関心を持ち、戻ることに決めた様だ。それにしても何という柔軟性。やりたいことは直ぐに行動に移す。この行動力は今の日本に欲しい。

それにしても問題はバス。来た時のあの混みようで、スーザンは無事降りられるのだろうか、いや乗ることが出来るのだろうか。まあ1度行った場所なので、大丈夫だろう。バスは来なかったが手を挙げると小型トラックが停まり、彼女は急いで荷台に駆け上がる。凄い。

レイに戻る我々の方も一向にバスが来ない。他にも数人がバス待ちしている。すると突然スーザンがさっき乗ったものと同じ小型トラックが停まり、皆が駆け出す。私と西洋人男女は荷台に駆け上がり、ツァモとスタンジンは何とか後部座席に収まった。

夕方の風に吹かれながら、荷台にいる気分は最高であった。フランス人とオランダ人の男女も気分は同じだったようで、妙にはしゃぐ。道はレイに近づくにつれて、平らになり特に苦痛もない。陸軍の演習場や監獄なども見え、これまでと違った風景を目に出来た。

トラックが急ブレーキを掛けた。危うく前にぶつかりそうになった。見ると男性が車道をゆっくり歩いている。車にも全く反応せず、殆ど轢かれそうになっても歩みを止めなかった。恐らく精神的な病だと思うが、少し驚く。

レイの街
レイの街に入り、メインバザールで降りる。10rp払ったそうだ。ヒッチハイクは安い、それとも彼女たちが尼僧だからか。メインバザールを歩く。サンダルと帽子を調達するためだ。サンダルは至る所で売っていたが、ちょっと良さそうなのを700rpで、帽子は300rpで購入した。いずれも小さな店。2人が簡単な値引き交渉はしたようなので、そのまま言い値で払う。尼さんの前でお金の話はどうかと思う自らの心境が新鮮。

レイ・ジョカンと言う寺院に入る。僧侶にとって寺院は基本。お堂がかなり広く、レイで僧侶が一堂に集まる場所だそうだ。但し尼僧は建物の外で祈るらしい。尼僧の地位向上の道のりは長い。

帰りに彼女達がパン屋に寄る。クッキーを売っていたので、1㎏買って皆へのお土産にする。2人は別にケーキを買っていた。レイの街中には同じ年ごろの女性が着飾り、髪の毛も伸ばして、おしゃれをしており、2人の気持ちがかなり気になっていたが、ケーキを選び姿を見て、やはり女の子であると少し安心した。

帰りはタクシーを交渉。130rpとなった。10分ほどで帰還。1時半に出発して7時に到着したのだから結構長旅。今日は楽しかった、と素直に言える旅であった。

夕飯後、ハーディと話す。彼女はインドの女性問題を学ぼうと思ったが、西洋人は受け入れられないと考え、ボランティアで英語教師をしながらインド各地を歩いている。2年間はインド国内に留まる予定。アメリカ人は5年間有効ビザが貰えるが、6か月ごとに更新する必要がある。一度国外へ出てしまうと2か月間は再入国不可と言う例のルールにより、インドに戻れなくなる。

彼女は報酬が無いのだからかなり質素な生活をしており、ヒッチハイクもよくやるとか。タクシーは高いから乗らないなど、外見からは想像できないほど、タフである。その夜は一晩中電気が来ており、初めてシャワーを浴び、洗濯した。しかしほとんどお湯は出なかった。それでも3日ぶりのシャワーは、体を元気にしたようだ。

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